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『虚像培養芸術論 アートとテレビジョンの想像力』第2章 東野芳明と横尾忠則 ──ポップ・アートから遠く離れて

テレビジョン=「虚像」が想像力とされた時代の作家像、作品概念を、現代の視点で分析する『虚像培養芸術論 アートとテレビジョンの想像力』
本書では、東野芳明・磯崎新・今野勉の思考を軸にマスメディアの中の芸術家像を検証しながら、現代美術、現代思想、現代メディア論を縦横無尽に横断し、メディア芸術の歴史的な視座を編み直していきます。
今回のためし読みでは、「第2章 東野芳明と横尾忠則──ポップ・アートから遠く離れて」の冒頭部分を公開いたします。

第2章
東野芳明と横尾忠則

──ポップ・アートから遠く離れて

 日本でポップ・アートを体現した批評家と作家は、大衆文化を媒介に、芸術外を目指していた。東野芳明は、「現代の神といえば、流行そのものじゃないか」*1と軽薄に述べながら、流通するイメージとメディアの中の風景に身を投じていく。従来の芸術史を根源的ラデイカルに疑いつつ、デザイナー横尾忠則に接近した。

ジャスパー・ジョーンズ《旗》(1958年)

 1958年、ヴェニス・ビエンナーレの代表として渡欧する瀧口修造に随行した東野は、現地で初めて目にしたジャスパー・ジョーンズの作品《旗》に衝撃を受け、これを「俗物の形而上学」と評した*2。アメリカ現代美術との出会いは、東野をそのまま大西洋経由でニューヨークへ導き、ジョーンズはもちろん、ロバート・ラウシェンバーグ(1925〜2008年)やジョン・ケージ(1912〜1992年)との親交へとつながる。

 「俗物の形而上学」と評したのは、画題となっている星条旗やターゲツトや数字といった、「アメリカの日常生活や現実から生まれた非芸術的な対象」を、「丹念に、稠密に外科医の冷静さと錬金術師の魔力でもって」、抽象表現主義が培ったマチエールで描いていることに由来する。誰が描いても星条旗は星条旗だし、数字は数字であり、意味が変わらない記号──巧拙と無関係に伝達可能な日常的概念──であり、実物を見ないで描ける絵画であり、すべてが実物なのだ。東野は、こうした芸術と非芸術の往還に、存在と概念をめぐる哲学的な問いを見出す。錯視的な「眼だまし絵」になぞらえて「観念だまし」とも評した*3

ニュー・リアリスツ展(1962年)

 ニューヨークのシドニー・ジャニス・ギャラリーで開催された「ニュー・リアリスツ展」(1962年10月)は、イギリスで「ポップ・アート」、イタリアで「ポリマテリアリスト」、フランスとアメリカで「ニュー・リアリスト」と呼ばれる動向を集めた展覧会で、ポップ・アートの嚆矢となった。これに接した東野は「ニュー・リアリズム ニューヨーク・レポート」*4を書き、この動向をいち早く日本に紹介する。同展には、アメリカの作家のほか、イヴ・クラインやジャン・ティンゲリー、アルマンなどヨーロッパの作家も含まれていた。東野は、ヨーロッパの作家が「審美的で趣味的で弱々しいのは面白い。伝統的な美意識がこういう仕事にも自然に反映」していると指摘し、アメリカの作家が、「極端なまでつっ走り、徹底してドライなのは、うしろ髪を引く過去がないから」だと分析し、展覧会全体を次のように総括する*5

現代において、本当の事件、本当の食物、本当の物体とはなになのか。それは、新聞やポスターや映画やショーウィンドーの中や、つまりはマス・プロされたイメージを通したマス・コミュニケーションの手によってのみ存在しているのではあるまいか。日本でいうプリント文化がはじめて絵画の上に登場したのである。(中略)この種のプリント文化系の作家たちの好む、コカコーラ、マリリン・モンロー、罐詰スープのイメージに、ぼくは一方で、アメリカ社会そのものの無気味な象徴を感ずる。この3つは、そのままアメリカニゼーションの標本ではないか。もっともそこに、政治や社会への風刺を見るのは間違っているようだ。*6

 大量に共有されるイメージが主題となり、アメリカを象徴する表象が描かれていることは「風刺」ではないという。東野は、自分と同年齢で、「ニュー・リアリスツ展」にもかかわっていたフランスの批評家、ピエール・レスタニー(1930〜2003年)が、やはり1958年にヴェニスで接したジョーンズの星条旗について、「アメリカの神話、ひとつの生活様式、諸価値の階級、世界政治の状勢」、「赤旗と同じような超象徴シユールサンボル」を感じたと書いていることに共感する。東野は、星条旗を戦時下からの解放の象徴として「目にしみるほど美し」く仰ぎみたこと、軍人や教師たちの態度が180度変わったことについて、こうした「老人たち」よりも、「日本とフランスの戦後青年」のほうが自分には近いという*7。1969年にポップ・アートについて以下のようにも述べる。

向こうにあるアメリカじゃない(中略)自分たちの中にあるかっこつきの「アメリカ」なんだな。これはもう日本だけじゃなくて、フランスの青年も感ずれば、スペインの青年だって感ずる、戦後のひとつの「アメリカ」というものだね。これはポリティカルのものまで含めてもいいけれども。そういうものであった場合に、単にニューヨークで起こったポップアートを形で真似するということだけでなくて、なんか自分の中のアメリカというものの発見、それはつまり現代の発見だね。*8

 1945年以後、世界中に進駐したアメリカは、1930年生まれに共通の価値感を刷り込んでいるだろう。東野にとってはポップ・アートに先駆けて、ジョーンズやレスタニーとの共有感覚が深い。1969年になると、ベトナム戦争やスチューデントパワーが顕在化し、日本人のなかにアメリカ的なるものが存在すること自体が、政治的ポリテイカルであることが自覚される。

 他方で東野は、ポップ・アートを「「テレビっ子」の生んだ美術である」と解説する*9。日本では、1950年代に文民統制シビリアン·コントロール民主化デモクラシーを目的に整備されたインフラストラクチャーが、テレビ番組と共に、お茶の間に広告を供給しはじめる。大量生産、大量販売、大量消費のインフラとして、イメージの「流通革命」が、大衆に「sensuous revolution/感覚革命」*10をもたらした一断面として、ポップ・アートを指摘したのだ。これは卓見だ。

 1965年の講演「アメリカにみる現代美術」*11では次のように発言をしている。

20世紀になると、イメージの即時的表現──外部の複雑な転変をそのままとらえる(中略)のは、やはり映画であり、テレビであり、写真であるというわけで、いまこの時代に、画家が一枚のカンバスにうんうん苦しんで、これが俺だ、これを見てくれといっても、もうそんなものには大衆はまともにつきあわないで、テレビのチャンネルをひねり、映画館に通うのが当然の事情になってくる──(中略)絵画にとっては非常に絶望的な状況なわけで、こういうものを逆手にとらえて、むしろ自己崩壊ヽヽヽヽを起こしていく。そしてそこから全然ちがったかたちで、もう芸術とはいえないような新しい可能性ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽというものが、ボツボツとして起きている。(中略)タブローの様式上のちがいでなくて、何かタブローの生命自身の根底で大きい変革が起きて、むしろ美術というものが自殺することで全然ちがったものが生まれてくるのじゃないか、そんな気がいたします。(傍点は引用者)

 ポップ・アートはもちろんのこと、「流通革命」や「感覚革命」によって、もはや絵画が「自己崩壊」して、「芸術とはいえないような新しい可能性」が起きていると考えていたことは興味深い。後述するように、デザイナーであった横尾忠則をはじめ、いわゆる美術家ではない芸術家たちとの交流を積極的に深める東野の動きのモチベーションがすかし見える発言だ。

 そして、東野が、「ジャスパー・ジョーンズは、アメリカの作家というより「私」の生活のなかで起こった大事な事件です。これはもう日本とアメリカということじゃない」*12と述べるとき、その眼差しは、芸術論を超えた文明論を指向していた。


1──坪井秀人「『荒地』と『列島』 戦後詩の十年」『声の祝祭』名古屋大学出版会、1997年8月。
2──加藤邦彦「新日本文学会と「現代詩」」『現代詩 復刻版』別冊、三人社、2020年4月。
3──小田久郎『戦後詩壇私史』新潮社、1995年2月、137頁。
4──『現代詩 復刻版』三人社、2018年11月〜2020年4月。
5──吉見俊哉はこの特集について以下のように評価する。「日本でテレビ放送が開始されて僅かに5年しか経ていない時期にもかかわらず、その質と密度においてその後のテレビ研究の大枠を予告し、日本のテレビ研究の出発点を高らかに宣言した特筆すべき特集号で、その後のテレビ研究に大きな影響を与えていった。ここに集められた諸論文を一見すると、テレビと政治、受け手の生活や番組受容、娯楽ないしは芸術としてのテレビ、放送局の機構と経営、テレビと映画、印刷の比較論など、その後のテレビ研究の主要な研究フィールドがほとんど網羅されている」。「テレビジョン時代 解題」(『思想』2003年12月号、7頁)より。
6──同、8頁。
7──清水幾太郎『わが人生の断片(下)』文春文庫、1985年10月、115頁。
8──『世界』1949年1月号、16〜20頁。ここには翻訳者とされる中野の名前は掲載されていない。

(この続きは、本編でお楽しみ下さい)

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