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1960年代、テレビジョンの想像力=「虚像」がアートを起動した。

磯崎新は都市デザインを虚業と称し、横尾忠則は虚像となり、高松次郎は影を演じた。
今野勉はテレビの日常性を主張し、東野芳明は「テレビ環境論」を書いた。

マスメディアの想像力を分母に、現代を逆照射する戦後日本芸術論。

本書の目的は、現代芸術がマスメディアを分母とした表現活動を再配置し、テレビジョン=「虚像」が想像力とされた時代の作家像、作品概念を、現代の視点で分析することである。

マスメディア(放送文化と出版文化)を介してはかられる領域横断は、芸術家相互の新たなネットワークを生成し、旧来の制度化された芸術諸分野を解体していた。
「虚像の時代」を問い直すこと、つまりオールド・メディア成熟期をテーマにすることは、ニュー・メディア成熟期を迎える現在の批判理論に繋がる。

本書では、東野芳明・磯崎新・今野勉の思考を軸にマスメディアの中の芸術家像を検証しながら、現代美術、現代思想、現代メディア論を縦横無尽に横断し、メディア芸術の歴史的な視座を編み直していく。
現代芸術は、抵抗文化としてのラディカルな戦略をいかに設計してきたのかを分析する。

私たちは未だ、視覚文化の荒波を乗りこなすために、
知覚のボディ・ビルディングを試行すべきなのだ。
(本書より)

メディア掲載

目次

プロローグ:テレビをつける

第一部 虚像培養国誌
第一章 知覚のボディ・ビルディング──その日常性への上昇
第二章 東野芳明と横尾忠則──ポップ・アートから遠く離れて
第三章 戦後日本におけるマスメディア受容と現代芸術の文化学──高松次郎の場合

第二部 磯崎新論──出来事(ハプニング)の編纂(アーキテクチヤ)
第四章 出来事(ハプニング)の編纂(アーキテクチヤ)──都市デザインとしての《SOMETHING HAPPENS》
第五章 イソ、サム、トーノの《建築空間》──福岡相互銀行大分支店にみる建築と美術の協働
第六章 「かいわい」に「まれびと」が出現するまで──「お祭り広場」一九七〇年
第七章 繰り返し語り、騙られる《コンピューター・エイディド・シティ》をめぐって──一九六八年のテレヴィジョンと幻視者(ヴイジヨナリー)

第三部 アートとテレビジョンの想像力
第八章 マスメディア空間における芸術表現と情報流通──雑誌『現代詩』を事例に
第九章 テレビ環境論 その2──《あなたは…》と《ヴォイセス・カミング》と
第一〇章 流通するイメージとメディアの中の風景

エピローグ:ゼロ地点から向かいます──放蕩娘たちのストリーク
あとがき

プロフィール

[著]
松井茂(まつい・しげる)
1975年東京生まれ。詩人、情報科学芸術大学院大学[IAMAS]准教授。共編に『虚像の時代 東野芳明美術批評選』(河出書房新社、2013)、『日本の電子音楽 続 インタビュー編』(engine books、2013)等。共著に『FABに何が可能か 「つくりながら生きる」21世紀の野性の思考』(フィルムアート社、2013)、『キュレーションの現在 アートが「世界」を問い直す』(フィルムアート社、2015)、『テレビ・ドキュメンタリーを創った人々』(NHK出版、2016)等。監修に『美術手帖』の特集「坂本龍一」(2017)、「平成の日本美術史 30年総覧」(2019)、『現代思想』「磯崎新」(2020)等。キュレーションに「磯崎新12×5=60」(ワタリウム美術館、2014)、「磯崎新の謎」(大分市美術館、2019)等。詩集に『二●二●』(engine books、2020)等。

お詫びと訂正

『虚像培養芸術論』の初版におきまして、以下のような誤りがございました。
謹んでお詫びさせていただくとともに下記のように訂正をさせていただきます。

P95、P107、P109写真キャプション内の撮影者名
〈誤〉
撮影:石松建男

〈正〉
撮影:石松健男

ご購読の皆様、関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを謹んでお詫び申し上げます。

株式会社フィルムアート社