第1章 感情を引き出す技巧
ひと口に小説家と言っても、信念や価値観、目的、執筆方法において、さまざまな意見の対立があります。商業的な成功を求める作家もいれば、文学性を追求する作家もいます。まず全体のアウトラインを考える作家もいれば、書きながらストーリーを組み立てていく作家もいます。ジャンル分けされることが名誉の証と感じる作家もいれば、レッテルを貼られることをきらう作家もいます。何よりも名声を求める作家もいれば、金になるかどうかが重要という作家もいます。なかには、映画化されることを夢見る見当はずれの作家もいます。
わたしがここで紹介したいのは、感情を書くのを好む作家と、感情を文章にするのをきらう作家とに分ける考え方です。後者は「見せること」を重視する作家です。登場人物が感じていること、考えていることを読者も感じられるように、登場人物の経験を書き記していきます。読者の感情を引き出すのであり、ひとつひとつ細かく説明するのではありません。こうした作家たちにとって最も大切なのは、瞬間をとらえることです。率直で、生き生きとした、ありのままの姿の描写であり、単なることばを超えるものです。読者は普遍的な人間の姿を認識します。
これと対立するのが、「語ること」を重視する作家です。登場人物の心のなかに入りこみ、その人物と同じようにストーリーの出来事を観察し、体感します。登場人物の感情を書き表すことは、ストーリーを親しみやすく語るうえで欠かせません。登場人物を生き生きと描くにはいちばんの方法です。こうした作家たちにとって最も大切なのは、ことばの力だけで登場人物の内なる状態を細部まできめ細かく表現することです。
見せるか、語るか、どちらかだけを純粋に追求する作家はまれですが、ほとんどの作家はいずれかの技法に偏っています。とはいえ、一般的には語るよりも見せるほうがよいとされています。また、ほとんどの作家は、ふたつを併用しています。見せるか語るかについてあまり議論されることはありません。文学者たちの会合で取りあげられるときは、たいてい「見せることと語ることはどれくらいの配分にするのがよいか」という話題に絞られます。
フィクションにおける感情表現について調査と研究を重ね、指導をおこなってきたわたしは、まったく異なる結論にたどり着きました。作家たちはまちがったことを問題としています。「見せること」と「語ること」は、技法としてはよいのですが、読者の感情にはほとんど影響を及ぼしません。最も問題とすべきなのは、登場人物が経験していることをどうすれば理解させられるか、ではありません。どうすれば読者自身の感情を動かすことができるか、です。
見せることと語ることは、全体のほんの一部にすぎず、最も重要な部分ですらありません。これから見ていくように、読者は、登場人物とともにストーリーの世界を生きていると考えるかもしれません。けれども、実際にはちがいます。読者は、自分の世界で自分自身の経験を重ねているのであって、ストーリーはきっかけにすぎません。
その経験は、プロット、設定、テーマ、雰囲気、台詞、そしてもちろん、登場人物がどんな気持ちでいるかなど、ストーリーの要素の組み合わせによって引き出されるものかもしれません。けれども、小説家の仕事とは、読者を小説家自身あるいは登場人物と同じ気持ちにさせることではなく、読者それぞれの感情の旅へとストーリーを通して導くことです。
よく考えれば、これは理にかなっています。同じ小説でも、読む人によって受け止め方はまったく異なります。どれほどちがうかは、書評共有サイトに投稿されるコメントを見ればわかるはずです。とても同じ小説を読んでいるとは思えません。
この本では、感情面での鮮烈な経験を読者にもたらす方法と手段を掘りさげて考えることを目的としています。効果的な見せ方、語り方についてはもちろん、ほかにも多くのことを考えていきます。読者の反応は複雑に変化します。同じように複雑で、同じようにさまざまな影響を持つのが、キャラクターアーク、つまり、登場人物が自分を発見するための感情の旅です。それは、継続的な感情面での闘いがあるからこそ起こるものです。
小説における感情表現のことばづかいも、読者の経験に変化をもたらします。プロットも、感情面で節目となる一連の出来事として理解されます。作家もまた、書くにしたがって感情の旅を重ねていきます。その旅は、いま書いているストーリーだけでなく、自分の考え方や作家としてのあり方そのものにも影響します。
なぜ、小説を書くときに、感情というレンズを通して見ることが重要なのでしょうか。それは、読者がそのようにして読んでいるからです。読者は読むというより、むしろ反応しています。作者の物の見方や怒りを無条件に認めるわけではありません。読者自身の考え方があります。作家は読者の感情の対象となるものを作り出すのではなく、ただ感情を引き出すのです。登場人物の経験を取りまとめて展覧会のように並べたとしても、その展示は、美術館を訪れる何千人もの訪問者――つまり読者――によって何千通りもの異なる意味を持つことになります。
出版された小説がすべて、読者に強い感動をもたらすわけではありません。持ちこまれた原稿となると、さらにひどい状態です。ほとんど感情をかき立てない原稿がなんと多いことでしょうか。悲しいことに、たった30秒間のテレビコマーシャルが、300ページの原稿よりも感動を生むことは珍しくありません。
涙を流すほど感動したり、激しい怒りにかられたり、ちがう生き方をしようと決心させられたりした小説がどれくらいありましたか。心にしっかりと刻みつけられた、忘れられない作品はいくつあるでしょうか。おそらくその数は多くないと思いますし、数少ないなかで、印象に残った作品のほとんどは、現代の小説ではなく、不朽の名作と呼ばれるものではないでしょうか。そうした作品が名作と呼ばれる所以はなんでしょう。技巧に富んだストーリーテリングはもちろんですが、作品が永遠の魅力を持つのは、読んでいたときの気持ちを覚えているからです。読者が覚えているのは技巧ではなく、心に受けた衝撃です。
伏線が回収されれば読者は満足しますが、その小説について読者が覚えているのは、読んでいるあいだに感じたことです。すばらしい書き出しに引きつけられることや、思わぬ展開に好奇心をかき立てられることがあるでしょう。緊張感でページをめくる手が止まらなくなることや、美しい文体に圧倒されることもあると思います。けれども、そうした効果はすべて、夜空の花火のようにたちまち消えてしまいます。小説でいちばん印象に残っているのは何かと読者に尋ねれば、登場人物という答えが大半だと思いますが、ほんとうにそうでしょうか。たしかに登場人物は実在するように感じられてくるものですが、それは読者自身の感情が投影されているからです。登場人物が本物なのではなく、わたしたち自身の感情こそ本物なのです。
感情に働きかけることは文章に添えものを与えることではありません。プロットと同様に、小説の目的や構造の基礎となるものです。感情を引き出す技巧は、キャラクターアーク、プロットの転換、はじまり、中間点、終わり、そして力強いシーンを書くための基礎となるものであり、作者の考えのよりどころとなるものです。
感情を引き出す技巧は、ひとりの人間としての作家の書く力を解き放ちます。そして、小説がまとまらなかったり、書くことが楽しめなくなったりするような混乱したときにも、ストーリーとのつながりをたしかめることができます。感情を引き出す技巧は、使い古された文章作法を焼き直すことではありません。読者の感情に強く訴えかけるものを理解し、考え抜いたうえで、書くことに取り入れていくものです。自分自身のなかにあるツールを使って文章を力強いものにする方法であり、そのツールとは、自分自身の感情です。
この本に書いた方法は、プロットを書くための公式や、創作術の本によくあるシーンのチェックリストに頼るものではありません。偶然の発見や運で片づけることもありません。天賦の才などというあてにならない資質は役には立ちません。感情を引き出す技巧を習得するためには、まず感情面への衝撃がどのように生まれるかを理解してから、実際に応用していきましょう。
魔法のような方法ではありませんが、成果は魔法のように感じられるはずです。この技法を習得しても、ストーリーのタイプやスタイル、意図は変わりません。大衆小説か純文学か、執筆前にプロットを考えるか考えないか、ひとつのジャンルにこだわるか、複数のジャンルを融合させるか、新しく切り開くか、それは問いません。繰り返しますが、あらゆる原稿は、もっと読者の感情を引き出す必要があります。その方法をこの本では紹介していきます。
わたしはこれまでに小説の技法に関する本を何冊か書き、好評を得てきましたが、こうした新しいアプローチをとる必要があると考えたのには理由があります。わたしにとって、読者の感情を引き出す技巧について学ぶことが必要になったのは、多くの原稿を読み、小説を出版してきたなかで、深く感情を動かされることがないと気づいたからです。よく売れているスリラー小説の激しいアクションには、あまり感動を覚えません。SFやファンタジーには想像力をかき立てられますが、心が動くことはめったにありません。恋愛小説やウィメンズ・フィクション〔米国ロマンス作家協会の定義によると、人生の岐路に立たされた女性の人間的成長を描いた女性読者向けの小説〕は、ほとばしる感情を描いていますが、興味を感じないことがほとんどです。
なかでも文芸小説は、読者として最も退屈なものとなりかねません。美しい文章は、ダイヤモンドのネックレスのように輝きを放つかもしれませんが、輝きは感情ではありません。今日の編集者が最も望んでいるのは強い声であり、それはまちがいではありませんが、どんなに強い声でも心に届かないことがあります。強い文章がかならずしも強い感情を引き出すわけではありません。下手な文章によってかえって心が乱れ、怒りが湧きあがり、涙があふれることもあります。
小説を読むならば、もっと感情を揺さぶられたい。だれもがそう思うのではないでしょうか。そこで、この本で紹介する技法が重要になります。強い感情を持ったとき、読者の心は開いています。あなたのストーリーは、読者の心に届いた一瞬だけでなく、永遠に読者を変えることができます。何について書くか、どう書くか、どんな出版形態を選ぶか、自分のキャリアに何を望むか、それはわたしの関知するところではありません。わたしが求めているのは、作品を読んで強く心を揺さぶられることです。記憶に深く刻まれた名作の数々や、今年きっと読むことになる衝撃的な新作と同じように、あなたやあなたの作品の登場人物と心をかよわせたいと願っています。
さあ、これでよい目標ができたでしょうか。そうであるよう願っています。この先のページは、その目標を達成するための手引きです。
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