はじめに
ストーリーテリングにおける対立・葛藤の役割:キャラクターの形成
いきなりクイズからはじめよう。フィクションにおいてはいくらあっても足りないのに、現実の世界では、泣き叫ぶ幼児と同じくらいに避けたいものとは何か。正解は「対立・葛藤(コンフリクト)」である。
この答えを聞いても驚きではない。なぜなら対立や葛藤は痛みを伴い、混乱や不測の事態を招くからだ。対立や葛藤が起きると、予定がぶち壊されて、努力が水の泡になり、ストレスを感じ、振り回されてしまう。気持ちは追い込まれ、最悪の事態が起きはしないかと恐怖心を煽られる。やがて精神的にも身体的にも限界に達し、とんでもない行動に走る可能性もある。現実の世界において、私たちは対立や葛藤をあまり好まない。少なくとも、揉め事が絶えない状況に陥ることだけは避けたい、むしろ用意周到に振る舞い、最後まで楽しく過ごしたいと考える。
だが、フィクションとなれば話は別だ。私たちは人の不幸を喜ぶ読者となり、本の虜になる。虚構の世界で起きる、ありとあらゆる番狂わせや裏切りを楽しみ、崖から突き落とされるようなスリルを味わっては心を躍らせる。「雨よ降れ、火の海になれ、毒を盛れ! 身の毛もよだつほどの、あり得ない展開が欲しい! 残忍なキャラクターは、その毒牙を研いでから、解き放て!」と読者の私たちは夢中になる。
現実の生活では可能な限り避けたいものが、まさに、虚構の世界では何度読んでも飽き足りないものであるのは皮肉と言ってもいい。しかし、心理学的にはまったく理にかなっている。本の中で恐ろしいことが起きても、読者の私たちが戦うか逃げるかの防衛反応を直接的に示すことはない。私たちは対立や葛藤を安全圏で追体験しているだけで、不幸は他人に起きているにすぎないからだ。とはいえ、ストーリーがうまく書かれていれば、私たちは物語の世界に引き込まれ、間接的ではあるが、ヒーローやヒロインと一緒に、臨場感たっぷりに彼らの憂いや怒り、困惑を感じることができる。私たちは自らの実体験から、先が見えないときの苦しみや恐怖、窮地に追い込まれたときの気持ちを知っていて、主人公たちに共感するのだ。
本はまるで、劇場の最前列に座って、主人公が怒濤の嵐の中に放り込まれる姿を目の前で見ているような気持ちにさせてくれる。主人公は容赦なく襲う波風にのまれ、忘却の彼方に流されてしまうのだろうか。それとも嵐を乗り越え、心機一転、なんとしてでも自分の目標を達成すべく、勇気を奮い起こし、敵に立ち向かっていくのだろうかと。
私たちが見たいのは後者の、主人公が粘り強く努力する姿なのだ。なぜなら、キャラクターが目標を達成し幸福を感じた瞬間にこそ、現実と虚構の世界は1つになるからである。私たちあるいはキャラクターを悩ませるものが何であろうと、いちばん必要なものを手に入れたときの高揚感は唯一無二の感情だ。そこに真のアイロニーがある。私たち読者は、キャラクターが勝つためには何が必要だったかを知っている。つまり、努力や犠牲、代償が必要だったことを知っているからこそ、勝利の瞬間に心を鷲摑みにされ、「そうだ、そうなんだ」とうなずき、晴れ晴れとした気持ちになれるのだ。しかもこうした気持ちは、キャラクターが逆境に出くわし、障壁や難題に直面しなければ生まれてこない。言い換えれば、対立・葛藤コンフリクトが必要なのだ。現実の生活では、逆境に立たされるのはごめんだと、争いごとを避けたがる一方で、困難に打ち勝つという行為そのものは、私たちに「自分は生きている」と実感させてくれるのである。
フィクションにおいて、対立・葛藤はるつぼのような役割を果たし、キャラクターはその中で試され、へこみ、形作られる。外面的には、対立・葛藤はキャラクターに抵抗させる道具として用いられ、プロットを前に進ませる。抗うキャラクターは自分の世界を見直すことになり、与えられた選択肢の中から1つを選び、欲しいものを手に入れるためには行動を起こさなくてはならない。一方で対立・葛藤は、キャラクターの内面に、恐怖、信念、価値観、欲望の揺れ動きを生じさせる。究極的には、これまでの自分の考え方や行動に固執するのか、それとも、それを変えて、新しい自分に生まれ変わるのかの二択を迫られる。このどちらか一方を選ばないことには、自分の欲しいものを手に入れることはできないからだ。ストーリー作りのエキスパート、マイケル・ヘイグはこれを、恐れながら生きるか、勇気を持って生きるかの選択だと呼んでいる。キャラクターは苦渋の決断を下し、おそるおそる足を一歩踏み出して、変化を受け入れることができるのだろうか、それとも、逃げるのだろうか。キャラクターの信念体系は様々な要素が絡み合って構成されていて、その各要素がせめぎ合う様子が読者を惹きつける。キャラクターが恐怖心を克服し成長しようとする姿は、現在進行形で苦難を体験している読者自身と重なり、読者の心にこだまのように力強く響くのだ。
書き手のあなたが、こうした内面的な対話こそがキャラクター・アークなのだと考えているのであれば、それは私たち筆者の言わんとすることが伝わりつつあることの証だ。対立や葛藤は痛みを伴うが、人生の教師になりえると同時に、キャラクターが本当の自分を発見する機会を与えてくれる。だがそれは、過去の自分を手放すことが前提だ。キャラクターは自分を変えていくことで成長していく。対立や葛藤はキャラクターに行動することを要求し、前に進み出て戦い、あきらめかけた目標に再び立ち向かわせる。ひいてはそれが、読者に読み甲斐があると思わせることになる。対立や葛藤によって、キャラクターは限界まで追い詰められ、これ以上はもう無理だと思った絶体絶命の瞬間に、キャラクターの本当の姿、すなわち、心の中に秘めていた道徳観や価値観、信念をあらわにする。
キャラクターが成功しようと失敗しようと、ストーリー終盤のキャラクターは、序盤と比べると違っている。なぜなら、対立や葛藤は変化の到来を告げるものだからだ。
※掲載しているすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。