ためし読み

『フィールド・レコーディング入門 響きのなかで世界と出会う』

まえがき

 近年、フィールド・レコーディングという言葉を目にする機会が増えてきた。例えば、インターネットで「フィールド・レコーディング」と検索すると、多くの作品やアーティスト、機材の情報などが見つかる。またSNS上では実際にフィールド・レコーディングを実践している人たちがさまざまな情報を交換している。

 こうした背景には、二一世紀に入り小型軽量で廉価なハンディレコーダーが登場し、誰もが手軽に高品質な録音をおこなうことができるようになったという環境の変化が挙げられるだろう。また、ハイレゾを謳うたうポータブルオーディオ機器が一般的になり、家電量販店でもイヤフォンやヘッドフォン、デジタルオーディオプレイヤーの高級機種をよく見かけるようになった。さらに、テレビでは身の周りの音をキャラクター化した子供向けのアニメや地域固有の音を紹介する番組が放送され、ユーチューブでは自然・環境音の動画や音フェチ、ASMRといった物音や声に焦点を当てた動画が多くのアクセスを集めている。視覚的な情報が氾濫する現代社会において、「音」や「聴くこと」への関心が徐々に高まりつつあるようだ。

 本書執筆の動機は、このように社会的な関心が高まるなかで、これまでまとまった形で紹介されることがなかったフィールド・レコーディングの実践について、多様な側面からその魅力を伝えたいと思ったことにある。
 一般にフィールド・レコーディングという言葉から多くの人が連想するのは、ネイチャー・レコーディングではないだろうか。すなわち、川のせせらぎや野鳥のさえずり、波が浜辺に打ち寄せる音など野外の自然音を録音することである。そして、それらの音は「癒し」、「ヒーリング」、「リラクゼーション」といった言葉と結びつけられることが多い。しかし、フィールド・レコーディングの対象となるのは野外の音や自然音に限らない。屋内を含めたあらゆる場所や空間が「フィールド」となりうる。また自然音には、「癒し」という効能的な側面にとどまらない、多様な感覚やイメージを喚起する力がある。

 また近年、いわゆる「音楽」の制作プロセスのなかでフィールド・レコーディングをおこなう人も増えているようだ。例えば、ドローン・ミュージック、アンビエント・ミュージックと呼ばれるような音楽は、楽器音や声だけでなく、自然・環境音や物音を録音し、それらを加工・ミックスして制作されることがある。音のテクスチャー、偶然性といったことへの関心から環境の音を録音し、それらの音を素材として「音楽」を制作することは動機として共感できる。他方で、フィールド・レコーディングには響きとしての面白さだけでなく、例えば、その音が生じる場所の歴史や生態環境、録音者の視点といった文脈が録音内容と結びついている。しかし、そうした側面が語られることは少ない。

 筆者にとってフィールド・レコーディングとは、マイクロフォンを通して場所や空間の響きを観察し、記録する行為である。視覚的に捉えられがちな身の周りの環境やモノをさまざまなマイクロフォンを通して聴覚的に観察してみると、想像もしないような姿が現れることがある。身の周りの環境を録音機器というテクノロジーを通して観察・記録し、記録した音を聴くという実践を繰り返すことで、我々の身体と環境との関わり方や環境に対する認識そのものが変わっていくかもしれない。それはありふれた日常が驚きをもって再発見されるようなスリリングで刺激的な体験である。

 さらに、フィールド・レコーディングは音を録るという実践だけでなく、録音物として聴かれることで、リスナーの多様な感情、身体経験、記憶と結びつき、聴く主体によって異なる「風景」や「イメージ」、「物語」を描いていく。このように録音物がリスナーにさまざまなイメージを喚起させる力を持っている点もその魅力のひとつだろう。本書では本文中および巻末の付録において、多様な視点、方法に基づくフィールド・レコーディング作品を紹介しており、その奥深い世界へ読者を誘うガイドとしての役割も果たしている。さまざまなフィールド・レコーディング作品を聴くことで、そこからどのようなイメージが喚起され、風景や物語が描かれていくのかをぜひ体感してほしい。

 本書の目的は、音や聴くことに関わる研究・芸術実践としてのフィールド・レコーディングの方法や可能性、魅力をさまざまな側面から紹介することにある。本書が身の周りの環境や場所、モノに対する新たな視点を提供し、「世界」に対する想像をめぐらすきっかけのひとつになれば嬉しい。

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フィールド・レコーディング入門

響きのなかで世界と出会う

柳沢英輔=著
発売日 : 2022年4月26日
2,400円+税
四六判・並製 | 304頁 | 978-4-8459-2124-9
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