ためし読み

『サスペンス小説の書き方 パトリシア・ハイスミスの創作講座』

この本はハウツー式の手引き書ではない。どうすれば良い本、つまり読みやすい本が書けるかを説明することは不可能である。けれどもこの本には、何が書くことを刺激的で生き生きした仕事にし、同時にたえず失敗の可能性を秘めたものにするのかが書かれている。

それゆえ、私は自分の失敗について、ここでは成功と同じだけたっぷり論じている。人は失敗から多くを学べるからだ。恐ろしいほどの時間と労力を無駄にした経験と、その失敗の理由を明らかにすることで、他の作家たちが同じ苦しみを味わわなくても済むかもしれない。私のキャリアの最初の六年間はうまくいっているとは言い難いものだったが、その後いくつかの幸運が重なった。だが、求めたり頼ったりする力としての幸運を私は信じていない。おそらく作家にとっての運の大半は、正しい時に正しいものを書くことで訪れる。それこそが、私がこの本で説明していることである。

『サスペンス小説の書き方』は、若くて経験の浅い作家たちに向けて、土台作りから説明している。もちろん、熟年の初心者も作家としては若いのだし、地を耕す仕事は誰にとっても同じだ。すべての駆け出しの書き手が、すでに作家であることを保証しよう。良かれ悪しかれ、みな自分の感情と、気まぐれと、人生に対する姿勢を、世間の目にさらすリスクを取ろうとしているのだから。

そうした理由で、私は物語のきっかけになるような日々の出来事からこの本を始めている。作家はそこから進んでいく――まず作家が、次に読者が動き出す。芸術はいつでも、おもしろいことや、数分ないし数時間を費やす価値があると思えることを語って、読者の気を惹けるかどうかの問題なのである。

本書の中には、奇妙な出来事、自分の執筆をいくつかの良い短編や長編に導くことになった偶然の符号が多く語られている。作家に刺激を与えるのは、予期していなかったことであり、しばしば些細な事柄である。『ガラスの独房』には普段以上の困難がともなったため、この本に刺激を与えたもの、背景をなす素材を得るための苦労、編集者からの厄介な要求、原稿のリジェクト、そして最終的な採用、ささやかなおまけとして、同じタイトルで作られた映画についても説明した。

多くの駆け出しの作家が、著名な作家は成功の方程式を持っていると考えている。本書はとりわけそうした考えを一掃する。執筆に成功の秘密はなく、あるのはただ個別性だけだ――それを個性と呼んでもいい。そして、一人ひとりみな異なっているのだから、周囲の人間との違いは、その個別の人間が表現するしかない。私が魂の解放と呼ぶものである。といってもそれは、神秘的なものではない。それはただ、ある種の自由――整えられた自由なのだ。

『サスペンス小説の書き方』は、執筆をより大変なものにさせようとする本ではない。ただ願わくば、書きたいと望む人に、この本を通して自分の中にすでにあるものに気づいてもらいたいのである。

パトリシア・ハイスミス

新版のためのまえがき

私はこの本を、ライター社から提案を受けて20年以上前に執筆した。ライター社はボストンに拠点を置き、作家の技術を指南したり、作品の市場を見つける手助けとなるような雑誌や本を出版している出版社だ。私が思うに、経験の浅い作家にどうすれば成功できるか、どうすれば売れるかを伝える本は存在していない。実際、それがすべての作家の目標ではないのだろう。しかし、若い頃の私の目標ではあった。私は短編や長編を書くことで自ら生計を立てることを――あるいは立てようとすることを――選び、他に収入源を持たなかったからだ。それゆえこの本では、自分の出発点について、いくつかの短編について、最初に長編を書こうとした試みについて、最初に出版された長編小説『見知らぬ乗客』について語っている。失敗と間違いについても書いている。私はそこから学んだし、おそらく他の人もそこから学べるだろう。

この間の年月に、それまで短編小説を買い取っていた多くのアメリカの雑誌が廃刊になった。サスペンスの分野の雑誌は数少なく、真っ先に浮かぶのは『エラリー・クイーンズ・ミステリー・マガジン』であり、次に浮かぶ月刊誌が『アルフレッド・ヒッチコック・ミステリー・マガジン』である。サスペンスとは何だろうか。私は次のように言うことで、この質問に答えることにしている――サスペンス・ストーリーとは、暴力かアクションの可能性、あるいは死の可能性さえもがつねに漂っているものだ。自分の想像力を暴力の主題に閉じ込めるつもりはないが、本書が扱っているのは、業界での用語の使用法に基づいたサスペンス(つまりは暴力であり、時には殺人を意味する)の執筆である。

今日のサスペンスの市場はいっそう小さくなってきているかもしれないが、短編と長編の質は上がっていると思うし、そのことがサスペンス執筆の満足度をますます高めている。とはいえ、その構成要素、すなわちサスペンス短編か長編を書くプロセスは、少なくとも私にとって変化していない。「どこからアイディアを得るのですか」。ジャーナリストによるほぼすべてのインタビューで、今でも聞かれる質問だ。インタビューする人間を満足させるような答え方ができず、かつては落ち着かない気持ちになったものである。「どこからともなく」と、私は答えていた。いまだにそう答えている─ただし、今ではにこりと笑いながら。アイディアは作家に訪れるものあり、作家が探すものではない。少なくともそれが、この本で伝えようとしている執筆というものであり、作家の想像力というものである。「目の端に鳥たちの姿を捉えるように、アイディアがやってくるんです」と、私はジャーナリストに言う。「鳥たちを理解しようと思うかもしれないし、思わないかもしれません」。アイディアは私が愛する天恵の形式である。だから、この短くてシンプルな本の中でもいくらかの時間を割いて、心を開いてアイディアを受け入れるための方法を提案している。そのうえで、私自身がこうしたアイディアを短編か一冊の本に発展させる際の、堅苦しくないやり方も紹介している。

短編小説の古い市場がいくらか閉ざされる一方で、新しい市場が開いてきてもいる。たとえばニューヨークの『オムニ』は、アイディアに開かれた高級誌であり、想像力とファンタジーを愛する作家と読者の要求に応えている。さらに、テレビはチャンネル数を急増させ、短編や長編のドラマ化への欲求が高まっている。フランスでは、私のもっともブラックかつ/あるいはユーモラスな13作の短編が買われたばかりだ。各作品は異なる監督のもとで、1時間ほどのドラマになる予定である。これらの短編は、それぞれ10編以上が収められた4つの短編集から選ばれた。そのうち2作か3作は、週末にローマのアパートメントで書いた4編の中に含まれる――優雅なアパートメントだったが(実際、本物の宮殿の中に位置していた)、あまりにうるさくて夜はほとんど眠れなかった。一週間のうち月曜から金曜は、『ガラスの独房』に取り組んでいた――『サスペンス小説の書き方』の中で詳細に説明している長編小説である。この作品は、まず書くのに苦労し、そのあと削るのにも苦労した。少なくとも一度のリジェクトに苦しんだのちに、ようやく採用された。私の短編の一部は、きわめてささやかなアイディアから始まっている。何が記憶に残る短編、古典となる短編を生み出すのかは、誰にもわからないものである。

ひとつ確かなことがある。世間、読者、テレビ視聴者は、「物語」の虜となって楽しむことを望んでいる。長く覚えていられて、身を震わせたり、声に出して笑ったり、友達に話したり薦めたりできるような、普通でないものを求めているのだ。アイディアの芽と鋭い鑑賞眼を持った読者との間には、長い道のりがある。したがって本書では、自分が経験した経済的な苦境や、騒音や他人といった物理的な障害について説明し、作家が自分のためにおこなわなければならない宣伝の努力についても語っている。エージェントがつねに自分のために労力を割いてくれるだろうと当てにすることはできない。他の誰であっても同じだが、エージェントが怠惰な場合もある――とりわけ、たいして稼げないクライアントと仕事をしている時には。自分を奮い立たせ、自分の才能を宣伝する方法を考え出すのは、たいてい自分自身なのである。

筆跡や指紋が証明しているように、すべての人間が隣人とは異なっている。だから、すべての画家や作家や作曲家が、隣人とは違う言葉を持っている(あるいは、持つべきである)。レンブラントやヴァン・ゴッホの絵は、遠くから見てもすぐにそれとわかる。私は個別性を、自分自身であることを、自分の才能を最大限に用いることを信じている。それがこの本のすべてだ。それが最終的に人びとの愛するもの――特別で個人的なもの――なのだ。

1988年4月

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サスペンス小説の書き方

パトリシア・ハイスミスの創作講座

パトリシア・ハイスミス=著
坪野圭介=訳
発売日 : 2022年2月22日
2,000円+税
四六判・並製 | 216頁 | 978-4-8459-2113-3
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