ためし読み

『「書き出し」で釣りあげろ 1ページ目から読者の心を掴み、決して逃さない小説の書き方』

イントロダクション
なぜ「書き出し」の本なのか

なぜこの本は、ストーリーの書き出しだけを説明しているのでしょうか。書き出しが果たすべき役割をうまくこなしていなければ、作品に目を通すエージェントや編集者は、ストーリーの残りの部分を読まないというのは、純然たる真実です。それなのに、書き出しに関する本がたったの一冊しかないほうが、よっぽど不思議です。書き出しは、あなたが書くストーリーのおそらく最も重要な部分です。作品を出版したいのであれば、その重要な部分を正しく理解する必要があります。

出版エージェント〔著作者の代理人として出版社へ著書を紹介したり契約条件を交渉したりする職業〕や編集者に読まれない原稿は膨大な数にのぼります。いや、待ってください、つぎのように訂正します。エージェントや編集者に書き出しの数段落や数ページしか読まれない、すぐれているどころかすばらしい可能性を秘めた長編や短編小説は膨大な数にのぼります。なぜでしょうか? 簡単です。ストーリーの書き出しがよくないからです。エージェントや編集者は、いまいちだったり正しくなかったりする書き出しに出くわすと、その先はもう読みません。この本は、その問題の解決を手助けするために書かれたものです。

以上がこの本の前置きです。単純に思えますよね? そのとおり単純なのですが、それにもかかわらず、まちがった声で書かれていることを除いて(声に関する重要な情報は、わたしの以前の著書、ライターズ・ダイジェスト・ブックス社から刊行されている『Finding Your Voice(未)』をご覧ください)、原稿が拒絶される唯一最大の理由は、ストーリーをまちがったところから開始していることです。皮肉なことに、原稿が拒絶されるのは、ストーリーの大部分がよくて書き出し部分だけに欠点があるからではなく、そもそもエージェントや編集者が、その大部分に到達しないからです。ストーリーの書き出しがまずいと、それより先はほとんど読まれません。よい部分があとから出てきたとしても、彼らの目にふれない可能性が高いのです。

では、どうして作家はよいものを埋もれさせ、それがエージェントや編集者の目に届かないという事態が起こるのでしょうか? それには、こういうわけがあります。

よいものを埋もれさせてしまうのは、ほとんどとは言わないまでも、おおぜいの作家が、ストーリーのはじめ方や、構成の組み方さえも教えられていないからです。多くの創作クラスでは、書く練習に重点が置かれています。それは創作の部品のひとつであり、チキンで言えば丸焼きではなくナゲットです。わたしたちは、描写の方法、登場人物の造形法、効果的な台詞の書き方などという部品のように分けられた方法を教わります。しかし、ストーリーをどのようにまとめあげるかについては、ほとんど教えられないのが実情です。さらには、ストーリーの構成で最も大事な要素であるストーリーのはじめ方について教えられることは、それ以上にまれです。

ストーリーの構成を教えている例もあるにはあるのですが、その手本として使われている本はたいてい古めかしく、講師自身が学生だった何年も前に学んだものを、つぎの世代に伝えているにすぎません。

そのような講師が気づいていないのは、物語の書き方は進化するものであるということです。現在受け入れられているものは、わずか数年前と比較しても、そのころに通用していたものとは異なり、大きく様変わりしています。

この本では、いまの時代に受け入れられるものを紹介するつもりです。出版エージェントや編集者、そして(最終的には)読者が期待するものを。

何が受け入れられるのかを理解すれば、作品は読まれるようになります。書き出しから結末まで。

よいものを埋もれさせたり、ストーリーのすべりだしがまずかったりすると、出版エージェントや編集者は原稿を読むのをやめます。エージェントや編集者は通常、送られてきた原稿を山ほどかかえています。受けとったすべての原稿に目を通し、さらにそのほかの何百という業務をこなすには時間が足りません。それで原稿の山に対する防御策として、原稿を読まないですませる方法を考え出すわけです。せめて、原稿全体を読まないですむように。どうやって? 編集者は、読みはじめた長編小説や短編の原稿が、かぎられた時間を割いて読むには値しない代物だと示唆する注意信号リストを作成します。みなそれぞれ独自のリストを持っていますが、ほぼすべての編集者に共通する注意信号があります。それは、書き出しがまずい原稿は読むのをやめるということです。これまでの経験から、書き出しをまちがえているストーリーを読むことは、かならずと言っていいほど時間の無駄になるとわかっているのです。だから、単に読まないですませます。

なぜわたしがそんなことを知っているのかと言うと、ひとつには、わたしがいくつかのアンソロジーの編集者であり、『フライング・アイランド』〔インディアナ・ライターズ・センターが刊行するオンライン文芸誌〕年報版の客員編集者であり、『クレセント・レビュー』というすばらしい文芸誌の共同編集者だったからです。出版されるために必要なことについて、わたしが編集者としてひと月で学んだ量は、これまでどんな創作クラスで学んだよりも多いものでした。

編集者としてデスクにつき、視界をふさぐエヴェレスト山のような原稿を前に、出版を推薦するか拒否するか判断していると、よい書き出しがなぜこれほど重要なのかすぐに理解できました。退屈なオープニングや明らかにまずい書き出しは、きわめて高い確率で駄作であるということが、一日も経たないうちにわかったからです。送られてきた原稿の出来不出来は、ほぼかならず、書き出しが暗示していました。

わたしがまず気づいたのは、目の前に積みあげられた原稿を一ページずつ読んでいては、終わるわけがないということでした。そのほかのあらゆる日常の営みを放棄してしまわないかぎりは。食べること、寝ること、歯を磨くこと、トイレへ行くこと、大切な人とことばを交わすこと、家のなかをうろちょろしている愛らしいマンチカンたちの相手をすること……そうしたことをあきらめたとしても、そびえ立つ紙の山をせめて丘くらいにする時間さえ確保できなかったでしょう。

そこで、わたしが何をしたと思いますか? 簡単です。ほかの編集者やエージェントがしていることをただ真似したのです。いま目を通している原稿を置き、つぎの原稿へと移るタイミングを知らせる、ちょっとした注意信号リストを作ったわけです(第9章で、重大な五つの注意信号を修正する方法を説明します)。だれもが判断のもとにする明らかな注意信号があります。たとえば、不適切なフォーマット、スペルミス、句読点の誤り、文法や構文のまちがい、一貫性のない視点、また紙の物理的な状態から見て、明らかに何度か別の出版社に送ったと思われる原稿などです。そして、もちろん、まずい書き出しも。実際のところ、すばらしい書き出しのストーリーに出会ったら――これは比較的まれなことです――経験の浅いわたしでも、上質のストーリーを発見する確率が飛躍的に高まることがわかりました。しかも、ほかの注意信号に目をつぶるか少なくとも寛大になり、先へ読み進みました。わかりますか? よい書き出しというのはそういうことです。編集者が少しでも先を読むように後押しするのです。すばらしい書き出しは、ストーリーの小さな欠点が大目に見られるというゆとりを与えてくれます。わたしが請け合います。

そんなボーナスを編集者から得られるのは、もうけものだと思いませんか?

うれしいことに、すばらしい書き出しを習得するのはむずかしくありません。

実にいい点は、しかるべきところからストーリーを開始して、エージェントや編集者や読者の気を引いて注目させる方法を習得するのは、まったくむずかしくないということです。さらに言うと、ストーリーを適切にはじめるための構成要素を学べば、競争から大きく抜きん出て、あなたの原稿はいくつも出版されることになり、著述家というすばらしいキャリアを手にすることでしょう。

ここで少し余談を。わたしはこの本のなかで、ストーリーのことを「作品ピース」とは呼びません。この呼びかたのもたらす悪影響は、出版されるような作品を書くうえで、作家がかかえる問題のかなりの部分を占めるのではないかと思っています。わたしたちが使う用語には、自身の成果に対する思いが反映されていることがあります。わたしたちは、まさに「部品ピース」ごとに指導を受けることに慣れているので、自分が作りあげたものまでそんなふうに呼んでしまうのです。わたしの経験から言うと、創作クラスの授業は、通例、練習問題が多すぎます。講師は文章の描写を教え、それから登場人物の造形、そのつぎは……といった具合に。わたしたちはピース・・・ごと・・に学ぶのです。こうした教え方自体は、かならずしも悪いことではありませんが、問題が生じるのはおそらく、講師が生徒に全体像を見せるのを怠ることが多いからでしょう。ストーリー自体の全体像、ストーリーがどのように形成されるのかといったことを。ストーリーはただのピースの寄せ集めではありません。もっと複雑です。

なぜ創作の大部分が練習を通して教えられるのでしょうか。わたしなりの考えを言わせてもらうと、それが簡単だからです。

生徒に向かってこんなふうに話すのはたやすいことです。「さてみなさん、きょうは描写に取り組みます。いまから浜辺についての独創的な描写を考え出してください。たとえば、砕け散る波しぶき、きらめく砂丘、潮のかおりをいっぱいに含んだ風など。このようなオリジナリティあるものをね」(念のためにお伝えしますけど、最後の台詞はもちろん皮肉です)。そうすれば、クラス全員が喜んで熱心に――ともかく、目の前のことに集中して――取り組むので、講師は小まめに時計へ目を走らせながら、じっくりと小説を読むという大切な仕事ができるというわけです。

この本のテーマはストーリーの書き出し部分だけなのだから、自分で自分の教訓を守っていないじゃないかと思われるかもしれませんね。しかし、そんなことはありません。適切で質の高い書き出しは、ストーリー全体の縮図です。正しい書き出しを攻略すれば、ストーリー全体の縮小版を書きあげたことになります。


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「書き出し」で釣りあげろ

1ページ目から読者の心を掴み、決して逃さない小説の書き方

レス・エジャートン=著
倉科顕司/佐藤弥生/茂木靖枝=訳
発売日 : 2021年11月26日
2,000+税
四六判・並製 | 304頁 | 978-4-8459-2105-8
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