いま最注目のアーティスト、ヒト・シュタイエルによる初の邦訳書となる『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』。
本書では、現代美術、資本主義、政治、戦争、破壊されたインターネットの交差点で、デジタルグローバリゼーション時代のアートと、その生産、流通、消費の変容を考察。無数の複雑で現代的なトピックを用い、驚くべき方法論で、グローバリゼーションによる富と権力の格差、高度にコンピュータ化された時代の視覚文化やアート制作における矛盾を明らかにします。
今回のためし読みでは、「第8章 デジタルの肉片」の冒頭部分を公開いたします。
08
Digital Debris
デジタルの肉片
パウル・クレーの《新しい天使》。これほど知られている水彩画もそうないのではないか。ヴァルター・ベンヤミンは、進歩という名の嵐に力なく飲まれていく不運な存在が、そこに描かれていると述べた。その存在が後ろを向き、自らが後にするにつれて天に達するほど積み上がっていく、瓦礫を見つめているのだと[★1]。このベンヤミンのアフォリズムはよく知られており、何度となく語られてきた。しかしその空間的な成り立ちをあらためて考えてみると、意外な盲点があったことに気づくだろう。
どうみてもその画中に瓦礫は描かれていない。しかし、瓦礫が全くないわけではないだろう。〔描かれている〕天使は絵を観るこちら側と向き合っているが、ベンヤミンが言うには、それは瓦礫にも対峙している。とするとその残骸というべきものは、絵画空間の外にあるわけだ。ならば、その瓦礫は私たちの居場所にあることになる。そしてこう考えてみると、観者となる私たちがじつは瓦礫なのだと、そう言うこともできる。20世紀という時代を何とか凌いで進んできた私たちが、歴史の破片であり、また無傷ではないのだと。私たちは、気息奄々としたさまの天使に見つめられ、廃物や無用の商品と化している。そして天使は不確定性の渦へと押し流されるなか、私たちを道連れにしている。
しかし今日、天使が見つめる破片にも変化が訪れているように思う。情報が欠損なくコピーでき、いくらでも回収や復元できると考えられている。そんな時代に、瓦礫や残骸といった概念は合わなくなっているのではないか。製品としての破損耐性もあり、再現も速やかに行える。そんな性能をデジタルが誇る時代に、どんな廃棄物がありうるというのか。情報が不老不死になったであろうこの時代に。歴史の表面に残った瘢痕が証しているのは、アナログ時代の過去が断ち切られたということではないか。当の歴史が自らを摩耗させた末に、次第に崩壊しつつあるのではないか。
実態はその逆で、歴史は終わっていない。残骸はなお天高く積み上がっている。さらにデジタル技術は、対象がほぼ何であれ、その創造的破壊/残骸と退廃の可能性を派生させる。デジタル技術は、破壊、腐敗、堕落のオプションをひたすら増やし、歴史の破片の生産、クローン化、複製の枢要な新機軸となる。政治と社会の暴力性から増幅するという点で、デジタル技術は、歴史の助産師にもなれば(形成)外科医にもなる。
一見して物質性とは無縁なデジタルの残骸は、しかし物質的な現実世界と密着している。その典型的な今日の例が、有毒なリサイクルごみの捌け口となる、中国の貴嶼鎮のような都市だ。そこでは配線基盤とハードディスクが漁られ、有毒物質が地下水に溶け出している。デジタルの時代では、その技術を動員した戦闘、生産過程へのコンピュータの介入、あるいは不動産投機から、損壊した建物や粉々のコンクリート、鉄屑などのアイテムが多産されている。しかし破片とはそうしたものだけではない。有形にして無形のデジタルの残骸は、きわめて触知的な身体要素が絡んだデータベースの破片でもある。
デジタルの破片がそうしたものだと考えれば、スパム(spam)ほどこれに適う例もないだろう[★2]。スパムはオンライン通信における脇役などではなく、それどころか、主要な役を果たしている。スパムは近年、メールの総メッセージのうち約8割を占めていて、デジタル書記の多数派、中核となっている。それは現実を巧みに支配し、活発な動きをみせ、広く分布する実体である。このデジタルの破片は、決して取るに足らぬものや偶然の産物ではない。それは、余剰が基本原理の1つにまで達しうる時代、その本質を照らす表現物なのだ。
ここで、ベンヤミンが示した空間構成の平仄を最後まで合わせておこう。天使が私たちをみているならば、それはほかでもない私たちが瓦礫であるということだ。そして今日、瓦礫がスパムと同義ならば、スパムとは天使が現代の私たちに授けた名前なのだ。
汝、スパムたらんことを
医薬品:81% 模造品:5,4% 増強剤:2,3% フィッシング:2,3% 学位:1,3% オンライン・カジノ:1% 痩身:0,4% そのほか:6,3%[★3]
今日における「スパム」の語義を言い表せば、それは「多数の迷惑な電信」ということになる。これは、1970年に放送された「空飛ぶモンティ・パイソン」のコント〔スケッチ〕をルーツとしている。このコントは食堂を舞台としており、そこでまず2人の客が朝食のセット・メニューについて質問する。
バン氏 さてと……
ウェイトレス いらっしゃい。
バン氏 どんな定食があるんだい。
ウェイトレス 「卵とベーコン」、「卵とソーセージとベーコン」、「卵とスパム」、「卵とベーコンとスパム」、「卵とベーコンとソーセージとスパム」、「スパムとベーコンとソーセージとスパム」、「スパムと卵とスパムとスパムとベーコンとスパム」、「スパムとスパムとスパムと卵とスパムと、スパムとスパムとスパムと、スパムとスパムとスパムと、ベイクドビーンズと、スパムとスパムとスパムとスパム」があるわ。あとは「ロブスターのテルミドール小エビ風モルネーソースと、目玉焼きのせスパム」ね。これはトリュフのパテと食後酒がつくけれど。
バン夫人 スパムがつかない料理はないの?
ウェイトレス だったら「スパムと卵とソーセージとスパム」がいいわ。スパムがそんなに入っていないから。
バン夫人 (叫び声で)スパムなんてこれっぽっちも要らないのよ!(…)
バン氏 そう騒ぐな、俺がそのスパムを食べるから。好物なんだ。
俺のスパム、スパム、スパム、スパム、スパム……
バイキング (歌い出す)スパム、スパム、スパム、スパム……
バン氏 ……ベイクドビーンズ、スパムにスパム、スパム
ウェイトレス ベイクドビーンズはもうないわ。[★4]
この「空飛ぶモンティ・パイソン」のコントは、一種の征服譚である。缶詰食品のスパムが、じわじわとメニューの全品目と会話全体を侵略していき、しまいには「スパムにスパム、スパム」が一切を圧倒し、バイキングの一味と場違いな参加者たちがこれをはやし立てる。スパムは話の筋立てを蚕食し、番組の終わりのクレジット・タイトルにまで押し寄せる。そこではしつこさが勝利し、陽気さと過剰が肩を並べている。
この掛け合いでは最初、スパムとは同名の缶詰肉のことだったが、やがて繰り返される語呂がもとの意味を離れ、単語自体が増幅、暴走していく。そしてこの言語作用のうちにスパムが広まった場が、新興のパソコン通信の世界だった。
スパムという語は1980年代のマルチユーザー・ダンジョン(MUD)の環境で、まさに侵略の一手法になっていた。別のプレイヤーが打つ文章を画面から追い出したいとき、この単語を連続入力して強制スクロール状態にしたのである。つまり内容よりも量が重要だったわけで、このときスパムという語は、不要な情報の物的遮断に適した、いわば重石となった。
いらつかせる無意味な文章のかたまりをこんなふうに大量に送りつけることを、「スパミング(spamming)」といった。内輪のグループがルームでいつもどおりに会話を続けたいとき、新参者を追い払う手段がこれだった。対抗グループのメンバーがチャットに励んでいれば、その妨害にも使われた。(…)例えば、スタートレックのファンが集まるチャットルームにスターウォーズのファンが出向いて、皆が退室するまで文章のかたまりで画面を埋め尽くすことがあった。この行為は「フラッド攻撃」や「トラッシング」などと呼ばれていたが、やがて「スパミング」という名称に落ち着いた。[★5]
スパムはこのように、単語の羅列によってほかの人間や事物にお引き取り願う、通信時の行為をルーツとしていた。言葉ではあるものの、それは一定のスペースから字句を弾き出すための展開型のオブジェクトとして用いられた。昨今ではスパムは一転し、経済活動に対する硬化剤となっている。営利や詐欺目的の電子メールが、嵩にかかって世界中のデータ接続に押し寄せ[★6]、時間と労力を浪費させて莫大な経済損失をもたらしている。この方法で得られる客の割合はとても低いが、そこにはなおビジネスとして成功の余地がある。むろんこのベンチャー式の経済基盤を成り立たせているのは、簡便な複製技術である。スパミングとは、無価値で目障りなものの散漫かつ執拗な繰り返しであり、その狙いは、無関心な観者のうちに眠る一片の価値を引き出す点にある。
原注
★1 Walter Benjamin, “Theses on the Philosophy of History,” in Illuminations: Essays and Reflections, ed. Hannah Arendt (New York: Schocken Books, 1968), 257–8.〔ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」山口裕之訳『ベンヤミン・アンソロジー』河出文庫、2011年、367‐368頁〕
★2 このテーマへの関心を促してくれたイムリ・カーンに記して感謝する。スパムに関する非常に有益な論考として、以下。Finn Brunton, “Roar so Wildly: Spam, Technology and Language,” Radical Philosophy 164 (November/December 2010), 2–8.
★3 Commtouch Online Security Center, commtouch.com.
★4 The Broadview Anthology of British Literature, Concise Edition, Volume B, ed. Joseph Black et al. (London: Broadview Press, 2015), 1509–10.
★5 Myshele Goldberg, “The origins of spam,” MysheleGoldberg. com, May 21, 2004.「知的なやり取りや言い争いにうんざりしたとき、スターウォーズのファンは〈スパムとタン〉戦法に回帰した。「もう充分だってば」、彼らはこう書いたものだ。「スタートレックなんてのは、スパムにタン(tang)だ」。スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン、スパムとタン。誰も書き入れられぬほど、数十、数百と同じ文句を貼り付け、チャットルームの空間をいっぱいにした」。
★6 これに関する非常に興味深い一つの例に、以下のオークション・サイトでの、アンディ・ウォーホルの実在しない作品《スパム》のリミテッド・エディションの販売がある。us.ebid.net (accessed in June 2011).
(この続きは、本編でお楽しみ下さい)
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