ためし読み

『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』第5章 茫洋たるデータ──アポフェニアとパターンの認識(または誤認)

いま最注目のアーティスト、ヒト・シュタイエルによる初の邦訳書となる『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』
本書では、現代美術、資本主義、政治、戦争、破壊されたインターネットの交差点で、デジタルグローバリゼーション時代のアートと、その生産、流通、消費の変容を考察。無数の複雑で現代的なトピックを用い、驚くべき方法論で、グローバリゼーションによる富と権力の格差、高度にコンピュータ化された時代の視覚文化やアート制作における矛盾を明らかにします。
今回のためし読みでは、「第5章 茫洋たるデータ──アポフェニアとパターンの認識(または誤認)」の冒頭部分を公開いたします。

05
A Sea of Data: Apophenia and Pattern (Mis-) Recognition

茫洋たるデータ
──アポフェニアとパターンの認識(または誤認)

機密

 これはスノーデン文書にある画像[図1]で、分類としては「機密」に属している[★1]。ただしそこに視認できるものはない。そしてまさにそれが、この画像が症候的な理由なのだ。

 視認できるものが一切なくとも、昨今ではそれが普通のことなのだ。情報が伝達されるとき、それは人間の感覚では捉えられない、シグナルの集合という形をとる。現代の知覚領域の大部分には、機械が関与している。人間の視覚がおよびうる範囲は、そのごく一部である。機械による機械のためのコード化。その対象となるのは、電荷、電波、光パルスであり、これらは光速よりやや遅い程度の速さで伝導する。みるという行為に取って代わるのが、確率の計算である。視覚は重要性を失い、フィルタリング、復号化、そしてパターン認識に置き換わる。スノーデン文書のノイズ画像が示しているであろうこと。それは、適切に処理や変換されない限り、技術的シグナルは基本的に人間の知覚の埒外にあるということだ。

 ただそうは言っても、ノイズとは少なくとも「何か」ではある。それどころか、米国国家安全保障局(NSA)にとっては、また機械の知覚モード全体においても、ノイズとは看過しがたいものだ。

 米国国家安全保障局は、2011年から翌年にかけて組織内で運営していたサイトに、「シグナル対ノイズ」という一本のコラムを掲載した。そのテーマはずばり、どうすれば「トラック何台ぶんものデータから情報を」抽出できるかという、同機関にとっての重大な問題だった。「ここで言いたいのは何もデータについてではなく、データへのアクセスですらない。トラック何台ぶんものデータから情報を得る方法を知りたいのだ。(…)開発者の皆さん、助けてください!だって私たちは、データの海で溺れ(決して波に乗ってはいない)、死にそうなほどなんですから。見渡す限りデータ、データ。一滴の情報も見つからない」[★2]

 分析官たちは、傍受した通信内容が気道にまで流れ込み、死ぬ思いでいるかのようだ。「トラック何台ぶんものデータ」の解読、フィルタリング、復号、洗練化、そして加工が必要なのだ。考えるべき点は、入手から識別能力へ、不足から過剰へ、増設から選別へ、リサーチからパターン認識へと移っている。そしてこの種の厄介事はシークレットサービス以外にも降りかかっている。あまつさえ、あのウィキリークスのジュリアン・アサンジが「我々は資料に浸かり、溺死しそうになっている」と述べるほどなのだ[★3]

アポフェニア

 冒頭で触れていた画像の件に戻ろう。そのノイズを実際に復号化したのはイギリスの政府通信本部の技術者たちで、出てきたのは空に浮かぶクラウドのイメージだった。イギリスの分析官たちは、イスラエルのドローンが発信する映像をハッキングしてきた。これは少なくとも、イスラエル国防軍がガザに対して航空作戦を仕掛けた2008年には始まっていた[★4]。けれども、スノーデン文書のアーカイブにその攻撃の様子を捉えた画像はない。発信の折りに傍受されてきたのは、じつに何通りもの抽象模様だった。ノイズと走査線。カラー・パターン[★5]。リーク済みの訓練マニュアルに目を通すと、この種のイメージを完成させるには、極秘とされた相当数の作業を行わねばならないことが分かる[★6]

 しかし、ここでよいことを教えてあげよう。あなたに代わって、この私がその画像を復号化しようと思うのだ。秘密のアルゴリズムなんて要らない。ニンジャの秘儀で充分だ。無料で行う方法も伝授したい。では、次にみせる画像[図2]に全神経を集中させてほしい。

 これは一体何でしょう。夕日に照らされた水面のきらめきにみえないだろうか。きっとこれが例の「データの海」、致死的な水難を被りかねない茫洋な水域なのですね。よくみてください。すごく微妙だけど、波が揺らいでいますよね。

 さて、私が使った術は「アポフェニア」という古きよきメソッドである。

 アポフェニアとは、ランダム・データに一定のパターンを知覚することをいう[★7]。雲や月面に顔のイメージを認識する行為というと、一番分かりやすいだろうか。ベンジャミン・ブラットンが近年述べているように、アポフェニアの本質は「分かちがたい知覚的同時性を唯一の直接的連繋として、情報源から関連性と成果を引き出す」点にある[★8]

 分析官もまた、場合によってはアポフェニアの術に頼るのだろう。絶対にないとは言い切れないではないか。

 あるいは、アマニ・アッ゠ナサースラの顔のイメージがクラウド・ネットワークのなかから見つけ出されたこともおおいに考えられる。この43歳の女性は、2012年のガザ空爆によって視力を失った。彼女は当時、テレビを観ていた。

「私たちは自宅でテレビのニュースを観ていました。夫はそろそろ寝ると言ったのですが、私は休戦報道が出ないか気になって、アルジャジーラにチャンネルを合わせ、もう少し起きていようと考えていました。夫が「チャンネルを変えたのか」と言い、「ええ」と答えたのが最後の記憶です。爆弾が落ちたときには、何も感じませんでした。その時に意識が途切れたのです。気がついたとき、そこは救急車のなかでした」。アマニは第二度熱傷を負い、ほぼ全盲となった。[★9]

 アッ゠ナサースラが妥当な標的だという判断が下される際、どんな「シグナル」がどんな「ノイズ」から抽出されたのだろう?どの顔がどのスクリーンに現れ、そしてなぜそんな事態に至ったのか。あるいはこう言ってもいいかもしれない。誰が「シグナル」で、誰が切って捨てるべき「ノイズ」なのか?

原注
★1 これについては以下を参照。“Anarchist Training mod5 Redacted Compat,” assets.documentcloud.org.
★2 “The SIGINT world is flat,” NSA Signal v. Noise column, December 22, 2011.
★3 Michael Sontheimer, “SPIEGEL interview with Julian Assange: ‘We are drowning in material,’” Spiegel Online, July 20, 2015.
★4 Cora Currier and Henrik Moltke, “Spies in the sky: Israeli drone feeds hacked by British and American Intelligence,” The Intercept, January 28, 2016.
★5 Ibid. これらのイメージの多くは、ニューヨークのホイットニー美術館で開催されたローラ・ポイトラスの素晴らしい展覧会「アストロ・ノイズ」(2016)で使われた。
★6 分析官は、これらの映像の解読法を指南する訓練マニュアルで、ケンブリッジ大学のオープンソース・ソフトウェアを「スカイ・テレビ」のハッキングに利用するのだと、誇らしげに述べている。以下を参照。“Anarchist Training mod5 Redacted Compat,” assets.documentcloud.org.
★7 ウィキペディアの“Apophenia”の項目を参照のこと。
★8 Benjamin H. Bratton, “Some Trace Effects of the Post-Anthropocene: On Accelerationist Geopolitical Aesthetics,” e-flux journal 46 (June 2013).
★9 “Israel: Gaza Airstrikes Violated Laws of War,” hrw.org, February 12, 2013.

(この続きは、本編でお楽しみ下さい)

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デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術

星を覆う内戦時代のアート

ヒト・シュタイエル=著
大森俊克=訳
発売日 : 2021年9月25日
2,600+税
四六判・並製 | 384頁 | 978-4-8459-1831-7
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