ためし読み

『スニーカーの文化史 いかにスニーカーはポップカルチャーのアイコンとなったか』

われわれにとっても最も身近なファンションアイテムであり、誰もが一足は持っているスニーカー。
なぜスニーカーは現代を代表するポップカルチャーやファッションのアイコンになり得たのでしょうか?
ライフスタイルとカルチャーの変革を見つめ、誕生から現在までをたどるスニーカー・クロニクル『スニーカーの文化史 いかにスニーカーはポップカルチャーのアイコンとなったか』が2021年4月24日に発売となりました。
今回のためし読みでは、本書「プロローグ」全文を無料公開いたします。

プロローグ

「きっと、シューズのおかげだ(It’s gotta be the shoes)」。そんなフレーズに聞き覚えがある人も多いだろう。どこで聞いたか忘れたかもしれないが、じつは1989年に流れたナイキの「エア・ジョーダンⅤ」のテレビCMに出てくる。映画監督のスパイク・リーが、自作『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』のなかでみずから演じた登場人物マーズ・ブラックモンにふたたび扮し、マイケル・ジョーダンが「宇宙で最高のプレーヤー」になれた理由を本人に尋ねる。

「ダンクのおかげ?」とリー。

「違うよ、マーズ」とジョーダン。

「ショーツのおかげ?」

「違うよ、マーズ」

「ヘアスタイルのおかげ?」

「違うよ、マーズ」

「シューズのおかげ?」

ジョーダンはこれも否定するが、リーは、いやシューズに違いないと繰り返す。30秒のCMのなかで「シューズ」という言葉を10回も発する。

おなじみのナイキのロゴマークが最後に現われる前に、画面には、「ジョーダン氏の意見は必ずしもナイキ社の意見を反映するものではありません」といたずらっぽいメッセージが表示される。いずれにしろ、視聴者はもうみんな確信している。「きっと、シューズのおかげだ」と。

このCMキャンペーンを通じて、ナイキは大量のエア・ジョーダンを売り上げ、リーの名せりふはポップカルチャーの歴史に刻まれた。しかし、このCMが成功したのは、耳に残るフレーズを使い、有名人がふたり出演したからだけではない。巧妙なかたちで、現代人のほとんどが幼いころから馴染んでいる、ある思いを再確認させたことが鍵だった。すなわち――「靴には魔法の力がある」。

シンデレラはガラスの靴のおかげでお姫様になった。『オズの魔法使い』のドロシーは、ルビーでできた赤い靴の力で、西の悪い魔女を退治し、さらには、靴のかかとを鳴らしてカンザスの家に帰る。『長靴を履いた猫』に出てくる男は、猫に長靴を調達してやり、その見返りとして忠誠心を得る。ギリシャ神話のヘルメースは、翼の付いた靴を履いて、空を飛ぶ。ヨーロッパの童話に出てくる「七里靴」は、ひとまたぎで30キロメートル以上も歩くことができる。アンデルセン童話の『赤い靴』では、若い孤児が、呪いをかけられた靴のせいで、踊り続けなければならなくなる。グリム童話の『白雪姫』では、邪悪な継母が、真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされる。

数百年後の現代に目を移すと、2002年の映画『ロスト・キッズ』では、ラッパーのリル・バウ・ワウが魔法のスニーカーを手に入れ、プロ・バスケットボール選手になる。「ハリー・ポッター」シリーズでは、触れると瞬間移動する「ポートキー」の一つとして、古いブーツに魔法がかけられている。映画版『セックス・アンド・ザ・シティ』の1作目では、主人公キャリー・ブラッドショーが――マンハッタンの不動産事情をよく知る者にとってはおとぎ話としか思えないが――ふつうの部屋並みに広いクローゼットをつくってもらい、大喜びして、そこにまずは一足の靴を置く。

グリム兄弟が各地の民話を集めていた18世紀初頭、靴はときには生死を分ける決め手でありときには社会階層の証しだった。まともなブーツの一足くらい持っていないと、仕事を見つけることさえ難しかった。下層民からみれば、丈夫な靴には、たとえ魔法の力はなくても、飢死を免れるための実用性が備わっていた。

1800年代半ばまで、靴づくりは手作業だけに頼っていたから、時間も経費もかかった。供給量が限られ、人々はいつも靴が欲しくてたまらなかった。その思いが、何世代にもわたって物語の作者たちを刺激したのだ。

さすがに現代では、飢えるかどうかが靴で決まるとは思えないが、やはり、靴には象徴的な力がある。その証拠に、英語の決まり文句にも靴がよく登場する。たとえば、「他人の身になって考える」ことを「他人の靴で1マイル歩く(walk a mile in someone’s shoes.)」、「受けた批判に思い当たる節があるなら」を「もし靴が合えば(if the shoe fits.)」、「代わりがきかない人物」を「履きがたい靴(hard shoes to fill.)」と表現する。意見にぜったいの自信があるときには、もし間違っていたら「靴を食ってみせる(I’ll eat my shoes.)」と言う。形勢が逆転して納まりが悪くなった状態は「靴を反対の足で履いている(The shoe is on the other foot.)」と表現する。人事を尽くしたあとは、もはや「もう片方の靴が落ちてくるのを待つ(wait for the other shoe to drop.)」。

「物」としてとらえた場合も、わたしたちとの密接度は並大抵ではない。靴は、曲がったり伸びたりと、履く人に馴染むかたちに自在に変化する。身に着けるほかの衣料品とくらべて、これほどの柔軟性は類がない。もし、慈善向けに寄付された品物を売る店に、しゃれたロックTシャツの古着が埋もれていたら、ヒッピーにとっては垂涎の的だろう。ところが、誰かが履き古したスニーカーが売られていても、他人にとってはあまり魅力がない。スニーカーの靴底は、わたしたちを周囲の環境と結びつけ、と同時に、環境からわたしたちを守る働きをする。実用的な装備として活かすもよし、自己表現の媒体として使うもよし、履く本人が自由に選べる。おそらく、こうしたさまざまな特性の何かが、靴にたんなる靴以上の魅力を持たせているのだろう。

さてそれを踏まえて、マイケル・ジョーダンとナイキ製品の話に戻ろう。子供たちは、あこがれのスポーツ選手を見つけると、野原やコート、砂場で、そのスーパースターの真似をする。「ぼくはディマジオだぞ」「エルウェイだ」「レブロンだ」となりきる。ナイキのCMは、超人のジョーダンと普通人のリーを共演させ、双方の溝を埋める手段があると匂わせた。その手段は100ドルかかるが、手段がまるきり無いよりましだ。昔ながらのおとぎ話の現代版といえるだろう。農場暮らしの女の子が赤い靴のおかげでオズの国からわが家へ帰れたように、平凡な子供でも、特別なスニーカーを履けば、たちまちジョーダンのように跳躍できる……。

長いあいだ、わたしはスニーカーのことをとくに気にかけていなかった。日々成長するなかで、毎日履いて、やがて履きつぶす、という存在にすぎなかった。初めて多少の愛着を抱いたスニーカーは、ナイキ・エア・フライト・タービュランス。高校1年のとき、バスケットボールの部活で履いていた。

そのシューズを選んだ理由の一つは、広告の宣伝キャラクターがデイモン・スタウダマイアーだったからだ。当時、デイモンは新人で、トロント・ラプターズのポイントガードとして活躍中だったが、それ以前のアリゾナ・ワイルドキャッツ(わたしの地元で最も人気がある大学チーム)時代から知っていた。そのシューズを選んだもう一つの理由は、値段だ。1年前のモデルだったので、ナイキのアウトレット店で40ドルだった。エア・ジョーダンの最新モデルが150ドルしたころだから、圧倒的に安い。

黒と白の波打ったラインとお馴染みのナイキ・ロゴマークがあしらわれたデザインで、わたしはとても気に入った。1年生のあいだ、練習と試合のためだけに履いて、終わるとそそくさと箱にしまった。痩せこけた協調性のない14歳が、このシューズのおかげで急に大活躍、とはいかないまでも、わたしとしてはそんな気分になれた。コート外でこのシューズを履いたことが、たった1回だけある。わたしの住む田舎町から遠い都会へ引っ越してしまった仲間が、久しぶりに遊びに来てくれたときだ。その連中は、新しい髪型をして、新しいサングラスをかけ、新しいCDが詰まったバインダーを持っていた。わたしは新しいシューズで対抗した。

わたしが次にスニーカーの魔法にめぐり合ったのは、何年もあとのことだ。バスケットボールへの情熱はとうに消えていたが、クリストファー・マクドゥーガルの『BORN TO RUN 走るために生まれた』(NHK出版)を読んだ影響で、長距離走に夢中になった。この本は、走ることの素晴らしさを歌い上げ、過酷な100マイルレースのようすや、不毛の地を走り続ける個性豊かな「ウルトラランナー」たち、薄いサンダルでどこまでも走るメキシコの先住民の部族などを描いている。わたしは、マラソンでたびたび膝を痛めていただけに、著者マクドゥーガルが見いだしたウルトラランナーのほとんどに共通する特徴に興味を覚えた。すなわち、ウルトラランナーたちは、ごく薄い靴しか履かないか、あるいは裸足なのだ。この本の示唆に従うなら、厚底のナイキを捨てさえすれば、膝の痛みにさよならできることになる。

わたしは、当時人気だったビブラムのファイブフィンガーズという製品に目を付けた。「5本指」を意味するネーミングと同じくらい、外見も滑稽なシューズだ。まるで手袋のように、足の指が一本ずつ覆われていて、遠目にはゴリラの足みたいに見える。けれどもわたしはその効果をすっかり信じ込んだ。スニーカーにはもう目もくれなくなり、自然界と魂でつながりたいと思った。進化の過程で失われた、足の完璧な耐久性と形状を取り戻したかった。素足と同じかたちのシューズは理にかなっている、と感じられた。わたしは、ランニング用品の専門店に入って、ファイブフィンガーズが欲しいと男性店員に伝えた。それを履けば、たちどころに痛みが消えて、永遠に走れるはずだ、と。

店員が、魔法からわたしを解き放った。「大きな厚底のナイキをやめて、スリッパ同然のシューズを履くなんて。関節の痛みがひどくなる一方ですよ」と忠告してくれたのだ。結局、店を出るわたしの買い物袋のなかには、鮮やかな青のブルックス・ピュアコネクトが入っていた。超軽量ながらも多少のクッションがあり、ファイブフィンガーズよりも明らかにスニーカーに近かった。

このシューズは、とても新鮮に感じられた。ブルックスの靴の構造(それまで履いていたナイキと違い、土踏まずを支える膨らみがある)のせいだけでなく、色が斬新だった。それまでのわたしは、シューズといえば黒、グレー、白ばかり買っていたからだ。なぜだかわからないが、この真っ青な靴を履くと、速く走れる気がした。実際のタイムがどうだったかはまた別の問題だが……。

*  *  *

スニーカーほどバリエーション豊富な靴はない。名称こそ、スニーカー、トレーニングシューズ、ジムシューズ、テニスシューズ、ジョギングシューズ、ランニングシューズといろいろだが、たいてい誰もが一足は持っているだろう。スニーカーによって、他人と差別化を図ることもできるし、他人に溶け込むこともできる。スニーカーを軸にその日のファッションを考えてもいいし、まず服を決め、家を出る寸前にスニーカーを突っかけてもいい。どのスニーカーも、履いている本人について大なり小なり何かを語る。

2014年のボストンマラソンでは、色とりどりのさまざまなスニーカーを見ることができた。わたし自身はまたもレースの出場資格を逃したが、マラソン愛好家として、テレビやオンラインの中継に見入った。爆破テロで死者3人、負傷者数百人という事件が起きてから1年後とあって、事件現場に近いコップリー広場には、慰霊碑の代わりにランニングシューズが山と積まれて、人々が取り囲み、追悼の花束や手書きのメッセージを置いていた。近くのボストン公立図書館には、前年の追悼式の際に集められたランニングシューズの数々が芸術的に展示された。一方、マラソンコース上では、何万人もの参加ランナーが、思い思いの薄底のハイテク・シューズを着用し、沿道に並ぶ観客たちも、色彩豊かなバスケットボールシューズやテニスシューズを履いていた。カーボンファイバー製の義肢に加え、最先端の工学にもとづくデザインや革新的なソールが開発されたおかげで、脚を失った人たちもこのマラソンに参加できた。42.195キロのコースに沿って、頭上の電話線には古いシューズがぶら下がっていた。

競技用具、汎用ファッション、記念碑、芸術作品……1世紀半のあいだに、スニーカーは、静かにわたしたちの生活の隅々にまで浸透し、文化的な存在になった。そもそもスニーカーが誕生したのは、産業革命と、その意図しない副産物である余暇の増加とが組み合わさった結果だ。その後、スポーツが体系化されていくにつれて発展した。第2次世界大戦時には米軍兵士の訓練に役立った。ファッションや消費者文化とともに進化し、郊外のティーンエイジャーと都会の不良グループ、両方のイメージを固めた。誕生したてのヒップホップでもさっそく歌詞に登場した。若いパンクロッカーも年配のロックスターも、定番のファッションに採り入れた。有名スポーツ選手の人気に貢献し、グローバル化のシンボルになった。大統領でさえ愛用するのだから、ほかの人々については言わずもがなだ。近年では、ある種の専門分野を生み出し、芸術的な撮影、科学的な分析、社会学的な研究などにつながっている。そうした成果の例として、たとえば、写真やインタビューを集めた書籍『SNEAKERS』(スペースシャワーネットワーク)、熱心なコレクターたちを追ったドキュメンタリー映画『スニーカーヘッズ』、本格的な学術研究に裏打ちされ、写真も豊富な書籍『アウト・オブ・ザ・ボックス:ザ・ライズ・オブ・スニーカー・カルチャー Out of the Box: The Rise of Sneaker Culture』(未邦訳)などがある。本書は、そうした流れの延長として誕生した。ある意味で、スニーカーの歴史は、米国の現代史ともいえる。

いったいどんな経緯でこうなったのだろう?

(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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スニーカーの文化史

いかにスニーカーはポップカルチャーのアイコンとなったか

ニコラス・スミス= 著
中山宥= 訳
発売日 : 2021年4月24日
2,000円+税
四六判・並製 | 384頁 | 978-4-8459-2017-4
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