レビジョン=「虚像」が想像力とされた時代の作家像、作品概念を、現代の視点で分析する『虚像培養芸術論 アートとテレビジョンの想像力』。
本書では、東野芳明・磯崎新・今野勉の思考を軸にマスメディアの中の芸術家像を検証しながら、現代美術、現代思想、現代メディア論を縦横無尽に横断し、メディア芸術の歴史的な視座を編み直していきます。
今回のためし読みでは、著者の松井茂さんによる「プロローグ」の部分を公開いたします。
プロローグ──テレビをつける
本書は、1960年代を主題にした、2010年代の批評集だ。
これらの背景にあるのは、美術批評家、東野芳明(1930〜2005年)が1960年代に書いた、「虚像」に基づく思考である。2013年、伊村靖子と共編で刊行した『虚像の時代 東野芳明美術批評選』(河出書房新社)をきっかけに、この10年間、展覧会のカタログや雑誌に寄稿したテキストを中心にまとめた。
本書のタイトルに含まれる「虚像」とは、元来はテレビの映像のことだった。放送システムによって、お茶の間のモニターに番組として供給される像だ。「television」の字義どおり、「遠く(tele)」にあるものを間接的に、「視覚(vision)」で同時に共有する、マス・コミュニケーションである。私は、この生活様式の変化、認識論の変化に着目した1960年代の東野の批評性を、『虚像の時代』で強調した。
この発見には、2011年3月11日の東日本大震災直後、テレビやラジオがインターネットで同時配信され、虚像と動画が入り交じる体験が大きく作用したと思う。それに続けて、2011年7月24日にはアナログ放送が終了した。1990年代に登場したインターネットが、すんなり日常のインフラストラクチャーとなり、アナログをオールドと位置づけ、デジタルをニューメディアと標榜してきたことにいまさら気がついたのだった。サイマル放送の体験とアナログ放送の終わりを承けて、1953年に本放送のはじまったテレビジョンが、1960年代にはニューメディアだったことを意識して、アートシーンに与えた想像力を考えるようになった。
東野が言及した「虚像」をめぐる議論は、きわめて感覚的なものであり、自身、「一テレビ・ファンという視聴者であらざるをえない」とも認めている。とはいえ視聴者としてだけでなく、テレビに出演した際には、番組でどのように美術作品を紹介したのか、バラエティ番組にコメンテーターとして出演した際、美術批評家として求められたコメントへの疑問、生放送の音楽が口パクであることなど……、こうした話題を批評の前文として挿入したりする。メディア論というほどの議論ではないだろう。しかし前ふりという話だけでもなく、日常生活批判力になり得る、芸術制度を揺さぶる視覚文化の語り出しではあったと思う。
1968年9月には、『アメリカ『虚像培養国誌』』(美術出版社)を刊行。同書は、タイトルどおりアメリカを主題に、これを「虚像培養国」と位置づけた。「虚像培養」という大仰で禍々しい言葉は、「image culture」の訳語であるだろう。同書には、個別の作家論、作品論は収録されず、1965、66年のアメリカ滞在時の日記、マクルーハンの紹介を織り込んだ旅行記など、「テレビづいた」自身の認識論の変化を記録している。その変化を際立たせる意図から、1965年の東京論、1968年の日本での日記も含まれる。理論的な言説化ではないが、「虚像」という言葉は、もはやテレビの映像のことだけではなく、視覚論になろうとしていた。
いずれにしても私は、2011年の体験で、デジタルとアナログ、ソーシャルネットワークとマスメディア、動画と虚像といった、現在のメディア環境から相対化された想像力/創造力への興味として「テレビづいた」。そして、1960年代のアートシーンのテキストに、メディア論とまでは言えない、芸術とは直接関係ないようでいて、無視できない時代精神が揺曳していると気づきはじめたのだった。これを指摘していくことが、私にとっては2010年代の眼差しであった。矛盾や飛躍も認めつつ、以上、本書が「1960年代を主題にした、2010年代の批評集」と宣言する所以だ。
解題と初出
それぞれのテキストは、初出時から大幅に改稿していることを予め断っておく。
第一部「虚像培養芸術論」では、東野が批評家や、作家と共有した「虚像」の諸相を問う。
第一章「知覚のボディ・ビルディング──その日常性への上昇」は、当時府中市美術館の学芸員だった成相肇が企画した「石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行」(府中市美術館、2011年12月10日〜2012年2月26日)への寄稿。同展の現在的意義を、1960年代のメディア状況を論じることで指摘し、石子が自身の主題にした「知覚のあつみ」を、東野のメディア意識と重ねて論じた。そして峯村敏明が、もの派を「視覚主義の切断」によって成立したとする議論を軸に、その問題点を析出した。
初出:『石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行』府中市美術館、2011年12月、80〜84頁。
第二章「東野芳明と横尾忠則──ポップ・アートから遠く離れて」は、日本におけるポップ・アートの受容を追った。東野と宮川淳の「反芸術論争」を検証し、これを日本においてポップ・アートの不可能性を指摘した議論と解釈。他方で東野と横尾は、「もう芸術とはいえないような新しい可能性」を、ポップ・アートを契機に志向していたと推定した。
初出:「東野芳明と横尾忠則の1960年代──ポップ・アートのディスクール」(原題)、『ユリイカ』第44巻第13号、2012年11月号、204〜213頁。
第三章「戦後日本におけるマスメディア受容と現代芸術の文化学──高松次郎の場合」は、第二次世界大戦後の日本の美術界において、マスメディアの影響を、残されたテレビ番組から探求しつつ、高松作品に見られる行為遂行性を指摘した。「高松次郎:アトリエを訪ねて」(Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku、2016年6月16日〜7月9日)に協力した際の調査に基づく。
初出:『情報科学芸術大学院大学紀要』 第8巻、2016年3月(本稿は、JSPS科研費17K02368の助成を受けた)。
第二部「アーティスト・アーキテクトの時代」では、建築家、磯崎新の1960年代の思想性を、東野やアーティストとの交流から検証した。
第四章「出来事の編纂──都市デザインとしての《SOMETHING HAPPENS》」は、磯崎を中心に、先行する世代の芸術家、同世代のネオ・ダダ、1960年代のマスメディアを手がかりに、《SOMETHING HAPPENS》を都市デザインとして解釈する試論(書き下ろし。本稿は、JSPS科研費17K02368の助成を受けた)。
第五章「イソ、サム、トーノの《建築空間》──福岡相互銀行大分支店にみる建築と美術の協働」は、東野が「発注芸術」をテーマに掲げて企画した展覧会、「色彩と空間」展が、磯崎の設計する福岡相互銀行大分支店に与えた影響を詳述。サム・フランシスとの協働をこれに見出す。
初出:『1968年 激動の時代の芸術 展覧会カタログ』千葉市美術館・北九州市美術館・静岡県立美術館、2018年9月、254〜257頁。
第六章「「かいわい」に「まれびと」が出現するまで──「お祭り広場」1970年」は、磯崎が自身の都市イメージを、日本万国博覧会(大阪万博)に向けてどのように考え、東野と企画した展覧会「空間から環境へ」で得た知見をいかに集約したかを検証した。「磯崎新12×5=60」(ワタリウム美術館、2014年8月31日〜2015年1月12日)を監修した際の調査に基づく。
初出:『atプラス: 思想と活動』25、2015年8月、112〜124頁。
第七章「繰り返し語り、騙られる《コンピューター・エイディド・シティ》をめぐって──1968年のテレビジョンと幻視者」は、この半世紀、何度となく「現在」に召還される原型として提示された、アンビルトの都市デザインの検証。「磯崎新の謎」(大分市美術館、2019年9月27日〜11月24日)をキュレーションした際の調査に基づく。
初出:『現代思想』 第48巻第3号、2020年3月増刊号、242〜255頁(本稿は、JSPS科研費17K02368の助成を受けた)。
第三部「アートとテレビジョンの想像力」では、テレビジョンそれ自体により着目し、アートシーンと放送文化のかかわりを検証した。
第八章「マスメディア空間における芸術表現と情報流通──雑誌『現代詩』を事例に」は、第二次世界大戦後、1950年代のメディア論の受容、綜合芸術運動の相互浸透を確認した。そして、マスメディアを乗りこなそうとした綜合芸術運動の終焉を、雑誌『現代詩』に追った(書き下ろし。本稿は、JSPS科研費17K02368の助成を受けた)。
第九章「テレビ環境論 その2──《あなたは…》と《ヴォイセス・カミング》と」は、東野が提示した「テレビ環境論」を枠組みに、寺山修司と萩元晴彦のテレビ・ドキュメンタリーと湯浅譲二の電子音楽に見られる、メディア表現の近さを指摘した作品解釈の試論だ。東野が「その1」しか書かなかった「テレビ環境論」の続きとして書いた。
初出:「《ヴォイセス・カミング》とテレビ環境論」(原題)、『洪水』第8号、2011年7月、50〜54頁。
第一〇章「流通するイメージとメディアの中の風景──今野勉の映像表現」は、2013年12月21日に実施したシンポジウム「思想としてのテレビ 今野勉の映像表現とテレビマンユニオンに関する研究」の口頭発表。1950年代に綜合芸術運動として期待されたテレビジョン、1960年代に「虚像」を起点とした認識論、これらの最良の要素が、1970年にテレビマンユニオンを設立した今野勉の映像表現に集約されていることを指摘した。このシンポジウムは、東京ステーションギャラリーで成相が企画した「ディスカバー、ディスカバー・ジャパン「遠く」へ行きたい」(2014年9月13日〜11月9日)の研究会的な性格もあった。
初出:『AMCジャーナル』第1号、2015年3月、188〜209頁。
エピローグ「ゼロ地点から向かいます──放蕩娘たちのストリーク」は、2020年に東京都美術館で開催された中島りか、ミズタニタマミによる「都市のみる夢」の展評。この展覧会は、1960年代のアートの思想を、大胆に変奏していたと思う。正直に言えば、「1960年代を主題にした、2010年代の批評集」と述べる契機を示してくれた展覧会であり、本書をまとめる意義を後押ししてくれた。多謝!
初出:『美術手帖web』2020年12月1日。
(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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