現代社会や文化および芸術に関わるさまざまな領域を、[重要用語]から読み解き学ぶことを目指したコンパクトな入門シリーズ[クリティカル・ワード]シリーズ第1弾の『クリティカル・ワード 文学理論 読み方を学び文学と出会いなおす』は、読むことの基礎と批評理論の現在が学べる最新のキーワード集として、刊行直後から大きな話題となっています。
本書が多くの読者に支持されている理由の一つとして、収録キーワード(トピック)の充実ぶりがまず筆頭に挙げられますが、本書をブックガイドとして(も)活用している方からの絶賛の声も数多く届いています。
今回のためし読みでは、渡邊英理さん執筆の「Book Guide―文学理論の入門書ガイド」を全文公開いたします。「読み方を学び文学と出会いなおす」ために、本書で紹介されている多くの本にも目を通していただければ幸いです。
Book Guide―文学理論の入門書ガイド
文学理論の真髄に迫るには、理論家や思想家の著作を読むことが一番だ。言うまでもなく、入門書や概説書だけで、理論のすべてを知ることはできない。なにより、いまも旅をしつづける理論の多彩な現在形を、入門書や概説書がすべてフォローしアップデートすることは難しい。しかしながら、よき水先案内人を得ることで、理論の旅へ足を踏み出すことが容易になったり、その旅自体を実り多いものにできる場合も少なくないだろう。以下では、日本語環境で比較的入手しやすいものを中心に、理論の旅へと誘う入門書を紹介する。この紹介は、本書を通じて、もっと理論を学んでみたい、あるいは「総合」や「体系」をめざしたわけではない本書では扱われなかった項目や諸理論に触れてみたいと思った読者のためのブックガイドの意味ももつ。本書とあわせて、ぜひ、活用してほしい。
1985年、2冊の文学理論書の邦訳が、出版された。ひとつは、ジョナサン・カラー『ディコンストラクション』(1982)、もうひとつは、テリー・イーグルトン『文学とは何か』(1983)である。いずれも岩波書店から出版された。それぞれ脱構築批評とマルクス主義批評を代表する英米の文学理論家によるこの2冊は、日本における新しい文学理論の時代のはじまりを画した。新しいとは、「現代思想」としての、という意味である。構造主義からポスト構造主義へと至る思想・哲学・文学などの領域を超えた知の潮流は、日本において「戦後思想」からの離陸として体験された。この2冊を嚆矢に、その後、日本において現代文学理論の入門書が陸続と刊行されていく。
テリー・イーグルトンの『文学とは何か』(大橋洋一訳、岩波書店、1985年→岩波文庫、2014年)は、その後、長きにわたって日本における文学理論の定番の入門書のひとつとなった。文学理論を学ぼうとする初学者が最初に手に取る1冊である。訳者の大橋洋一による『新文学入門 T・イーグルトン「文学とは何か」を読む』(岩波セミナーブックス、1995年)は、この本の「手引き」として書かれたものだが、文学理論それじたいの面白さを伝える名著である。2冊を相互参照しながら読むことで、より理解を深めることができる。『文学とは何か』を「種本」にしたと言われる筒井康隆『文学部唯野教授』(岩波書店、1992年→岩波現代文庫、2000年)は、小説である。唯野教授の日々を描く虚構のなかで文学理論の講義が展開される。作中の講義は、小説内のメタテクストでもあり、読み手に文学理論の知を提供すると同時に、『文学部唯野教授』という小説そのものの読み方を自己言及する。
イーグルトン・大橋の2書に並んで、日本語で最も広く読まれているスタンダードな入門書は、新曜社ワードマップシリーズの2冊、土田知則・青柳悦子・伊藤直哉『ワードマップシリーズ 現代文学理論 テクスト・読み・世界』(新曜社、1996年)および、土田知則・青柳悦子『ワードマップシリーズ 文学理論のプラクティス』(新曜社、2001年)だ。そのタイトルにもあるように2書は、それぞれ理論編と実践編にあたる。『現代文学理論』は「現代の文学批評を取り巻く「理論」的な鳥瞰図」を提示し、『プラクティス』は「文学テクストを舞台に具体的な分析(読み)」を実践する。いずれも、現在もアクチュアリティをもつ多彩なテーマが読者により深い考察をうながす仕方で書かれた良書である。同じシリーズの立川健二・山田広昭『現代言語論 ソシュール・フロイト・ウィトゲンシュタイン』(新曜社、1990年)は、ある特定の言語論者の思想をつうじて描く現代言語論の充実した入門書である。『文学理論』の2書とあわせて読むことで、文学における言語とはなにか、という問題を深めることができる。
文学理論が欧米の大学でカリキュラム化され、そこで教科書的な位置にある優れた入門書も翻訳されている。まず、ジョナサン・カラー『文学理論』(荒木映子・富山太佳夫訳、岩波書店、2003年)は、オックスフォード大学出版局の《超短イントロ・シリーズ》の1冊である。フランス文学研究者からアメリカの脱構築批評の牽引者となった著者は、本書で諸理論を「解釈をめぐって競合するアプローチ」として描くのではなく、理論が行ってきた挑戦や意味の創造を示そうとする。巻末の付録には主な批評の流派や運動のスケッチもつく。カラーの同書は、先述の『ディコンストラクション』(富山太佳夫、折島正司訳、1985年、岩波現代選書→岩波現代文庫、2009年)とともに、広く読まれ続けている。ピーター・バリー『文学理論講義 新しいスタンダード』(高橋和久監訳、ミネルヴァ書房、2014年)は、欧米の大学の多くの学部過程の教科書や参考書として使用されることで版を重ね、増補拡大がなされてきた入門書である。そのタイトルの通り実際の授業を土台に作られており、課題挑戦のコーナー「考えてみよう」で具体的な「実践」を体験できる。昨今隆盛する「エコ批評」や欧米における理論の新動向にも目配りがあり、「文学理論の歴史」を「重大事件」で語る1章は殊にユニークだ。
レントリッキア&マクラフリン〔マクローリン〕編『現代批評理論 22の基本概念』(大橋洋一・正岡和恵・篠崎実・利根川真紀・細谷等・石塚久郎訳、平凡社、1994年)および『続・現代批評理論 +6の基本概念』(大橋洋一・正岡和恵・篠崎実・利根川真紀・細谷等・清水晶子訳、平凡社、2001年)は、入門書の枠にとどまらない大部な書で、豪華な執筆陣が並んでいる。バーバラ・ジョンソン、スタンリー・フィッシュ、スティーヴン・グリーンブラット、ジュディス・バトラー、当代一流の文学理論家が展開する理論をめぐる個性的なナラティブは読み応えがある。
フランスの概説書としては、ジャン゠イヴ・タディエの『二十世紀の文学批評』(西永良成・山本伸一・朝倉史博訳、大修館書店、1993年)が翻訳されている。レヴィ゠ストロースの神話研究への注目の高まりのなか構造主義の祖として発見されたロシア・フォルマニズムからはじまり、フランス、アメリカ・イギリス、ドイツ、ロシアに展開された文学批評の方法論としての理論が概説されている。アントワーヌ・コンパニョン『文学をめぐる理論と常識』(中地義和・吉川一義訳、2007年、岩波書店)は、第1章でも触れられた通り、理論の諸流派やその思想の解説それじたいを行うものではない。むしろ、教科書的な理論を抵抗なく受け入れ、理論をモードとして消費する傾向に対する挑発としての理論書である。「作者」をはじめ理論が解体し厄介払いをしようとしたが果たせず、「常識」として生き残った通念は少なくない。著者は、こうした理論と常識の「魔」を検討することを通じて、理論そのものの自明性をも問いながら、そのあるべき姿を探ろうとする。
理論の解説とその実践を1冊で体験できる入門書も多数でている。難波江和英・内田樹『現代思想のパフォーマンス』(光文社新書、2004年)は、哲学者による理論の解説書である。「現代思想をツールとして使いこなす技法を実演(パフォーマンス)する」ことを目指し、ソシュール、バルト、フーコー、レヴィ゠ストロース、ラカン、サイード6人の思想・理論を解説したうえで、具体的なテクストの分析を「実演」する。丹治愛編『知の教科書 批評理論』(講談社メチエ、2003年)は、英米文学・独文・仏文などを専門とする著者たちが、各章で理論の概略と具体的な作品の批評実践をおこない理論の魅力を伝える。武田悠一『読むことの可能性 文学理論への招待』(彩流社、2017年)、『差異を読む 現代批評理論の展開』(彩流社、2018年)の2書は、ひとりの著者によって書かれた理論編と実践編の2冊である。前者では文学理論の「定番」の解説が試みられ、後者では理論の社会的な「展開」と、その実践的な「展開」を描く。後者のエピローグは「アダプテーション批評」を扱っており、ポストメディア時代の理論への展望もなされる。
廣野由美子『批評理論入門 「フランケンシュタイン」解剖講義』(中公新書、2005年)は、1冊まるごとメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』という具体的な対象テクストをベースにおき諸理論を浮上させる。一般的な文学理論の入門書とは逆のアプローチをとる本書は、第1部で小説技法をキーにして、第2部で『フランケンシュタイン』批評史を描くことを通じて、ひとつのテクストが、理論によっていかに多様に読みうるのか、その可能性を提示する。
大橋洋一編『現代批評理論のすべて』(新書館、2006年)は、テーマ編、人名編、用語編とコラムによって構成され、それぞれに独自のナラティブを配した読む事典、考えるための事典の趣をもつ。特に人名項目は類書に見られない充実で、写真の掲載もあり理論家の横顔を手軽に知ることができる。
大学の学部等の講義で使用することを前提に編まれた教科書も、複数編まれている。丹治愛・山田広昭編『文学批評の招待』(放送大学教育振興会、2018年)は、放送大学の講義用に編まれた教科書である。英文学と仏文学の研究者ふたりの編者と、比較文学・日本文学も含む3人の著者がオムニバス形式で理論的地平にもとづく批評的実践を提示する。木谷厳編著『文学理論をひらく』(北樹社、2014年)は、英米文学研究者たちによる大学での講義のための教科書として書かれた入門書である。講義とコラムで編まれ、その根底には、人文学の危機の時代における批評の再興と、理論の「教育的価値」の発掘をめざす今日的な問題意識が貫かれている。
石原千秋・木股知史・小森陽一・島村輝・高橋修・高橋世織著『読むための理論』(世織書房、1991年)では、日本文学研究に文学理論を「導入」してきた「先駆者」たちが理論の基礎を紹介する。本書は日本文学研究が文学理論という問題領域に出会う過程そのものの「歴史」の証言でもある。同書の編者のさらに「先駆者」とも言える前田愛の『文学テクスト入門』(増補版、ちくま学芸文庫、1993年)や『都市空間の文学』(ちくま学芸文庫、1992年)における日本近代文学における理論的実践の軌跡には、いまも古びない問題提起がある。一柳廣孝・久米依子・内藤千珠子・吉田司雄『文化のなかのテクスト カルチュラル・リーディングへの招待』(双文社出版、2005年)は日本文学研究者によって編まれた大学短大の講義演習用の教科書である。現代日本文学を文化=歴史的なコンテクストのなかで読む実践を通して、カルチュラル・スタディーズを中心とする理論の基本概念を概説している。亀井秀雄監修・菱沼正美著『超入門!現代文学理論講座』(ちくまプリマー新書、2015年)も、日本文学研究による入門書である。高校生向けに書かれたものだが、文学理論の初歩を親しみやすい日本文学のテクストを対象に分かりやすく解説している。
諸理論・各論の入門書・概説書については、前掲書のなかのブックガイド等をあたってほしいが、特に文学に即したものを数点あげておこう。まず、富山多佳夫編『現代批評のプラクティス』シリーズ(研究社、『ニューヒストリズム』(1995年)、『フェミニズム』(1995年)、『文学の境界線』(1996年)、『ディコンストラクション』(1997年)、『批評のヴィジョン』(2001年))は、全5冊における実践的な批評を通して、多様な理論と諸理論の多面性に触れることができる。フェニムズム文学批評史は、武田美保子編『読むことのポリフォニー』(ユニテ1992年)で精妙な概観と展望がなされている。ポストコロニアル理論に特化した入門書としては、本橋哲也『ポストコロニアリズム』(岩波新書、2005年)がある。ファノン、サイード、スピヴァックの思想から日本の状況までコンパクトに要諦を伝える好著である。
(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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