貧しくたって、読みたい、書きたい、届けたい。
同時代の小説家/活動家でありながら、出会うことのかなわなかった小林多喜二と埴谷雄高。彼らを軸に、政治と文学の不思議なつながりを鮮やかに描き出す、貧しくも冒険的な文学研究の書。
新進気鋭の在野研究者、荒木優太の処女作が大幅増補で堂々の復活!!
2013年に『小林多喜二と埴谷雄高』という書名で自費出版され大きな話題となった処女作(本書第一部)に、新たな序文と論考群(「第二部 貧しいテクスト論四篇」「第三部 自費出版録」)を加え、待望の書籍化!!
ネットワークに憑かれているアクティヴな意識高い系と、
ネットワークに疲れてひきこもる単独者と。
同志に密告されて虐殺された戦前共産党の非転向の英雄と、
政治から遠く離れて『死霊』なる長篇小説に戦後を捧げた転向者と。
つまりは(?)、政治と文学と。
紙で闘った二人の小説家/運動家は同じ政治組織に属していながらも一度として出会うことはなかった。
だが、彼らの遺した紙屑=ミッシングリンクはたしかにその「つながり」を伝えている。
そして、現代のウェブ環境を生きる、我々の貧しい「つながり」の命運もそこに。
有限なリテラシーとライブラリーのなかで「アクティヴィスト」と「ひきこもり」を横断しながら、
ありえたかもしれない出会いの場所を望見=冒険する。
闘え。すなわち、読んで、書いて、届けろ。もしも世界を変えたいのならば。
多喜二にとって、プロレタリア文学とは貧困者を描く文学である以前に、読書環境の貧困を前提とする文学だったのではないか。比喩的にいえば、テクストのプロレタリアが存在する。共産党員のバイブル、『共産党宣言』によればプロレタリア階級の「労働者は祖国を持つてゐない」。それと同じように宛先をなくし、安住すべき場所を失ったテクストが存在するのではないだろうか。テクスト散在的な文学観を参照した時、埴谷の文学論の無批判的な出発点が明らかになるように思われる。つまり、埴谷はリテラシーとライブラリーの貧困の可能性を予め無視することで初めて、文学の「無限」の語りを獲得しているのではないか。
(中略)
埴谷が「白紙」について語る時、「無限無終の果てもなき何かの産出器」といったように、常にその「無限」性が強調される。何も書かれていないということは、裏返せば、可能不可能含めて何物でも書けるということだ。虚無的かつ虚構的な虚体とは、このようなイメージの純粋な概念化であった。しかし、「白紙」が無限であったとして、白紙に書かれたテクストを保存する場所、閲覧する場所、ライブラリーは無限足り得ないのではないか。テクストの支持体は「白紙」だけではないし、「白紙」に印字された、その「白」黒のコントラストの文字列が汚されることなく一定期間保存され続けるという事態は決してあらゆるテクストに妥当するものではない。保存されるのは寧ろ一部の特権的なものに限定されることを流通の不安は教えている。
(中略)
埴谷には多喜二にあった流通の不安が存在しない。テクストが誰にも届かないのではないか、テクストに接近する機会が剥奪された者が多数存在するのではないかという発想がない。皮肉なことに、位階制を特徴とした政治から何とか文学を救い出そうとした埴谷の一連の試みは、(埴谷がいう意味で)「政治」的文学規定を定めて、そこから小文字のテクストを排除すること、言い換えればテクストに位階制を導入することで遂行されたようにみえる。
(第四章 政治「と」文学 より抜粋)
メディア掲載
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日本経済新聞1月27日号
「二者択一迫る思考への疑問」 -
WEB RONZA
「紙屑の可能性、在野であることの自由」
目次
新序文 つながり一元論
第一部 『小林多喜二と埴谷雄高』
序章 「政治」と「文学」
アクティヴィストとひきこもり/多喜二のリーダビリティ/埴谷のノンリーダビリティ/「政治と文学」論争粗描/「政治と道徳」としての「政治と文学」/政治から遠く離れて/小林多喜二「と」埴谷雄高
第一章 散在する組織
零距離の距離感/臨場的興奮による団結/広義の散在的組織へ/安定的同一性の獲得/結節点の内面化/非常時共産党の特殊性/埴谷雄高の位階制批判/「組織者」首猛夫の体験/「目的意識」批判/女性か組織か/三つの「距離」と「抽象の体系」/福本イズムの「抽象」性
第二章 混在する組織
「ひとりぎめの連帯感」/不在=権力/ 表/裏の分節 /ひとりじゃない『独房』/見知らぬ同志の誕生/潜行する成員/潜行成員の特徴二つ/被監視意識の成立/侵食される散在的組織/「超人」首猛夫の体験/スパイリンチ事件/情報化するスパイ/忠誠と裏切り
第三章 組織の外へ?
埴谷雄高の孤独の発見/抽象に寄生する/相克を抱える自己/弾劾裁判/死者の電話箱/存在=宇宙の発見/細胞論/「不快」の両義性/「文学的肉眼」の系譜/多喜二の終わりなき世界/「循環小数」の絡み合い
第四章 政治「と」文学
虚数の世界/虚数から虚体へ/中心と心中/「最後の風景」を超えて/「政治」と「文学」の三本/コミュニカティヴな文学/読者参加型文学としての「報告文学」/テクストの傷つきやすさ/流通の不安/「白紙」の特権性/選言と連言/『党生活者』再考①/『党生活者』再考②/「か」と「と」
あとがき
第二部 貧しいテクスト論四篇
宮嶋資夫『坑夫』試論――ポスト・プロレタリア文学の暴力論
プレ・プロレタリア文学としての『坑夫』/仲間と闘う「軍鶏」/散在的共同体の成立/自由の条件/責任者なき共同体の暴力/ポスト・プロレタリア文学としての『坑夫』
くたばって終い?――二葉亭四迷『平凡』私論
くたばつて仕舞へ/三つの名/経済に拘束される小説家/死を看逃す/失われた〈終わり〉を求めて
人間の屑、テクストの屑
宮本百合子「雲母片」小論
第三部 自費出版録
在野研究の仕方――「しか(た)ない」?
教師になる「しかない」?/電子の本から紙の本へ/小林多喜二と流通する言葉
カネよりも自分が大事なんて言わせない
カネなんて要らない?/ハンス・アビング『金と芸術』を参考に/コールリッジに倣いて/背いて
自費出版本をAmazonで69冊売ってみた
フォロワーの8%が本を買った/新しい「知り合い」の誕生?/自費出版のコミュニケーション/自分の限界を知ること
註
あとがきふたたび――改題由来
関連作と重要語の索引
プロフィール
[著]
荒木優太(あらき・ゆうた)
1987年東京生まれ。在野研究者。専門は有島武郎。明治大学文学部文学科日本文学専攻博士前期課程修了。ウェブを中心に大学の外での研究活動を展開している。2015年、「反偶然の共生空間──愛と正義のジョン・ロールズ」が第59回群像新人評論賞優秀作となる。著書に『これからのエリック・ホッファーのために──在野研究者と生の心得』(東京書籍、2016)。