ためし読み

『幸せに気づく世界のことば』

CWTCH|クチュ
ウェールズ語[名詞]
1.食器棚または隠れ家
2.ハグ

場とは必ずしも物理的な場所ではなく、人と人とのあいだに生み出されることもある。このことを、ウェールズ語の「クチュ」ほどはっきりと示す言葉はなかなかない。「抱きしめることは誰でもできるが、クチュはウェールズ人しかできない」という言い回しがある。クチュという短い言葉は、人に寄り添うこと、愛情を抱くこと、相手を守ること、相手を自分のものだと思うこと、居心地のよい場所を生み出すことなど、さまざまなことを指し、さらにいえばこれらすべてを一語で網羅する。クチュをするとは、最も簡潔に表現するなら、相手に「安全な場所」を与えることといえるかもしれない。つまり、この言葉のもう一つの意味である「隠れ家」を与えるということだ。しかしこれでは、この言葉に含まれる心地よさや親密さという強力な要素(物理的な空間または人と人とのあいだの比喩的な空間のどちらに生じるものにしても)が伝わらない。クチュという言葉は通常は名詞として扱われるが、ウェールズ人のふだんの会話では動詞としても使われる。「お願い、クチュして」とか「クチュしている」などと言ったりする。

クチュという言葉の微妙なニュアンスをすべて理解できるのはウェールズ語を話す人だけかもしれないが、この言葉には大事な人を守って自分のものにするという意味合いがあり、恋人や友人、身内など、恋愛関係だけでなくもっと精神的な関係にある相手もその対象となる。人と人との温かい関係と深く結びついた言葉なので、幸せにも強く関係する。心から愛してくれる人に温かくぎゅっと抱きしめられて、絶望の淵から立ち直った経験は誰にでもあるのではないだろうか。抱きしめることは、ときとして単なる動作にとどまらず、クチュの効果をもたらすのだ。

クチュは子ども時代の思い出を呼び起こすこともある。膝を擦りむいたときや世の中に失望したときに最も身近で世話してくれる人からしか得られない、あのしっかりと支えられているという感覚がよみがえる。父か母か、あるいは他の頼れる人が、やさしく抱きしめてくれたときの感覚だ。

今度ハグするとき(またはされるとき)には、このありふれた動作が生み出す安らぎの空間に思いを巡らせてほしい。必要とあらばいつでも支えや安心や幸福感を与えてくれる空間がそこにあるはずだ。

UNIKKAAQATIGIINNIQ|ウニカクラティジニーク
イヌイット語(イヌクティトット語) [動詞]
1.共同体的な生活におけるストーリーテリングの力および物語の役割

ときとして、実体がなく名状しがたい何か、すなわち描写を拒み、言葉で言い表すことのできない霊的なものが、幸せな社会を結束させることがある。とはいえ多くの場合、この絆はまさに言葉によって形成される。そう、この絆とは物語である。

カナダ、アラスカ、グリーンランドの北極圏の先住民であるイヌイット族には、自分たちの暮らしにおいて物語とストーリーテリングのもつ大事な役割を伝える「ウニカクラティジニーク」という言葉がある。この言葉から、イヌイットのコミュニティで暮らすすべての人(若者も老人も)に、世界の複雑さや人生の浮き沈みに対処するための知恵と教訓を授ける手段として、物語が尊ばれていることがわかる。

物語が人の幸せにどれほど影響を与えるかについては、思いつく限りほぼすべての文化やコミュニティで営まれる日常生活のなかで目にすることができる。よく生きるための共通の道徳や願望や教えを生み出す際に、物語や神話は常に人にとって重要な役割を果たしてきた。実際、幸せという概念自体も、文化ごとに異なることから一つの物語といえる。

人は同じ物語を聞いて一緒に笑ったり、泣いたり、深く心を動かされたりする。これがウニカクラティジニークの力だ。この言葉は、先住民社会とその社会がもつ知恵にとって物語や口承の歴史がいかに中心的な位置を占めるかを明らかにする。ウニカクラティジニークのおかげで、コミュニティのメンバーは分別や謙虚さといった文化的な決まりごとを犯すおそれなしに、心の奥底にある思いや感情を表現することができる。

ここで少し、自分の文化で物語の果たす役割について考えてみてほしい。単純な寓話からきわめて非道な架空の物語に至るまで、物語は「現実世界」で生きるために人と人を結びつけ、力を与える。架空の物語を現実生活のシミュレーションと呼ぶ心理学者もいる。私たちが人間の行動について「こうしたらどうなるか」というシナリオを通じて特定の仮説を検証する場という意味だ。あなた自身の幸せとコミュニティの幸福に対して、ウニカクラティジニークはどんな役割を果たすだろうか。

SISU|シス
フィンランド語 [名詞]
1.意志の強さ、勇気、根性

一部の文化には、国家の紋章のように燦然と輝くほどあがめられている言葉がある。フィンランドの場合、それは「シス」だ。フィンランド人と彼らのあり方を表現するきわめて特別な言葉として広く認められた言葉であり、成功の可能性が低いときでも確固たる勇気をもって生きることをいう。

真の幸福を実現するには、かなりの強靭さが必要だ。これを否定できる人はほとんどいないだろう。私たち自身が身をもって知るとおり、生きることに困難はつきものだ。そして幸せとは通常、そうした困難を無視する無邪気な楽観主義ではなく、困難にぶつかっても道を切り開く前向きな意志の強さから生まれる。このように、いかに乗り越えがたく思われる逆境でも克服する勇気をもつように努めるべきだという考え方がシスだ。この短い言葉は、最高の意志の強さ、あるいは数々の障害を伴うであろう長期的な目標を追求するうえでの揺るぎない根性を意味する。

シスという言葉には、人が勇敢だという意味で使われる英語の「ガッツ(guts)がある」というフレーズと同じく、いささか血なまぐさいところもある。シスもガッツも「内臓」を意味するからだ。したがってシスには、危機の際に自分の外からではなく自分の中の奥深いところからしばしば引き出すことのできるスタミナという意味もある。

人格の内面的な強さ、あるいは物事がうまくいっていないときに自分を鼓舞する力について、フランスの哲学者で作家のアルベール・カミュは、どれほど暗い冬(比喩であれ現実であれ)でも自分の中に確固たる夏を見出すことだと述べたことで知られる。人が自分でも驚くほどの内面的な強さをもち、生きていく過程でぶつかる障害に立ち向かうにはどうしたらよいか、ということをカミュは考えていたのだ。

シス、すなわち不屈の勇気とは、幸せな暮らしを求めるうえできわめて大事な要素だろう。自分のまわりで万事が順調なときには、幸せも容易に手に入る。だが、粘り強さが試されてはじめて、自分自身の幸福とはどんなものか、その真の意味合いを見出すことができる。要するに幸せとは、いくつかの障害を切り抜けない限り、真の幸せになりえないのだ。

WHIMSY|ウィムジー
英語 [名詞]
1.風変わりでおちゃめな行動やユーモア

たいていの文化と同じく、イギリス人も独自のユーモアセンスを通じて喜びを表す。その一面を表すのが「ウィムジー」という言葉だが、これはどうも訳しにくい。このユニークな英単語は、「空想的な」から「奇抜な」、「かわいらしい」、「滑稽な」まで多様な意味をもち、正確にはこれらすべての要素が混ざり合って特有の意味をなしている。「ウィムジカル(whimsical)」な物事はイギリス人を喜ばせる。基本的に厳格で真面目な文化のバランスを取ってくれるからだろう。エドワード王時代の謹厳な家族に笑いとウィムジーを持ち込む不思議な乳母、メアリー・ポピンズをイメージすればわかりやすい。

ウィムジカルであるとは、陽気で無邪気でおそらくちょっと理解不能であることだ。そのため、この言葉はさまざまな状況を描写するのに使える。たとえばイギリスの典型的な喫茶店は、不揃いの変わったカップ、明るい花柄の壁紙、飾り旗、額縁に入れた刺繍が店内にあれば、ウィムジカルな内装だといってよい。

性格や容姿でウィムジーを色濃く示す人もいるかもしれない。そういう人は、世の中を見るときにウィットに富んだ愉快な見方をしているに違いない(『不思議の国のアリス』でアリスがウサギの巣穴に落ちたときに出会う奇妙でウィムジカルなキャラクターたちを思い出してほしい)。派手な色や突飛な組み合わせの柄やスタイルを選ぶ人は、着こなしがウィムジカルだといえるかもしれない。

ウィムジーとは要するにちょっとした不真面目さであり、人生を深刻にとらえすぎないことである。よって、おとぎ話に登場する妖精などのキャラクターは、いたずら好きでとらえどころがなく意表を突く性質ゆえに、この言葉を思い出させることが多い。

自分の世界にウィムジーのかけらをちょっと振りまいてみてはどうだろう。自分にとって楽しい、すっきりする、おもしろい、というだけの理由で、まったくくだらない、ばかげて常軌を逸したことを毎日一つすればいい。私たちは人生の大部分を、成功や身分や功績というはるかかなたのゴールラインを目指す厳しい競争に費やしている。しょっちゅう疲れを覚えるのも当然だ。ときどきでもウィムジカルなばかばかしさを少し実践するのは、この状況にうってつけの現実逃避となる。そして、日々の暮らしに陽気な楽しさを少し加えることもできるだろう。

MAÑANA|マニャーナ
スペイン語 [副詞][名詞]
1.明日
2.いつかそのうちに

スペイン語の「マニャーナ」という言葉は、前に「la」をつければ「明日」や「朝」の意味になるが、物事を先送りするための技だといっていい。スペインは文化的多様性の高い国だが、ポジティブでありながらのんびりした人生哲学を表すこの言葉には、いかにもスペインらしい要素がある。この国のあちこちで、暮らし方に対して共通のおおらかさがみられる。これがマニャーナだ。スペイン人はパーティーに招かれたら必ず出席する(そしておそらく場を盛り上げる)が、定刻には現れないかもしれない。

信念をもって実践する限り(ときどきであっても)、この姿勢は非常に心地よい。考えてみてほしい。目の前の用事について考えるのを今はやめて、マニャーナ(いつかそのうち)にしたらどうか。たちまち気が楽になるだろう。

実際、マニャーナという考え方は、幸せについていえば、時間を完璧に管理しなくてはという束縛を手放すのに役立つ。すぐさましなくてはならないことなど、そうしょっちゅうあるわけがない。すぐに片づけるべき用事を気にするあまり大事なことを失念したり、狂ったように働き続ければいつか処理すべき仕事に「先回り」できると思ったりしているなら、結局のところ自分のしっぽを追いかけてぐるぐる回りながら、それを生産性と勘違いし続けるだけだ。

あとで片づければいいことを今心配するのを拒み、巧みに逃れるのがうまい人というのが、きっと知り合いのなかにいるだろう。これは「明日になったらどうでもよくなるかもしれないことに、今、気をもむことなどない」という生き方だ。その人を見習って、用事を一つ(二つでもいい)マニャーナまで先送りしてみよう。その時が訪れたら、その用事は今思っているほど重大ではなくなっているかもしれない。

(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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幸せに気づく世界のことば

メーガン・C・ヘイズ=著
イェレナ・ブリクセンコヴァ=絵
田沢恭子=訳
発売日 : 2020年3月19日
1,600+税
A5判・並製 | 152頁 | 978-4-8459-1931-4
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