ためし読み

『22世紀の荒川修作+マドリン・ギンズ 天命反転する経験と身体』

あとがき

「人は死ななくなる」「死ぬのは法律違反だ」と主張しつづけた荒川修作は、2010年に亡くなった。『ALIVE FOREVER, NOT IF, BUT WHEN』という著書を執筆しながら、公刊することなくマドリン・ギンズは2014年この世を去った。死すべき運命を根底から覆す「天命反転」を企てた二人の死を、私たちはどう受けとめたらいいのだろうか。

彼らが遺した多くの作品、彼らが語った思想は、今も私たちに強く働きかける。美術館で二人の作品を観て、あるいは奈義町、養老町、三鷹市にある建造物を通して、彼らがやり遂げたかったことを、身をもって体験する。全身で彼らの主張を感じる。荒川+ギンズに関心をもつすべての人にとって、二人は生きているし、永遠に生きつづけている。彼らはすでに天命反転を達成しているのだ。

こんな月並みなことを言って、済まされるわけがない。これを聞いた荒川は「きみたちの常識や倫理では、ぼくの言っていることは少しもわからない」と私たちを叱責しだすことだろう。荒川+ギンズの理論と実践に、私たちは総力戦を挑まなければならない。ちょうど彼らが人間の運命に同様の戦いを仕掛けたように。二人の絵画を身体全体で受けとめること。二人の建築物のなかで光、音、匂い、気配と一体になること。二人の言葉に浸りきること。荒川+ギンズの挑戦の意味を考えるためには、全身で全方向的なアプローチをする必要があるだろう。

そうした意図から関西大学東西学術研究所に身体論研究班が発足したのは、2016年4月であった。これまでも荒川+ギンズの創作活動に対する研究は、美術史・芸術学の視点から進められ、すぐれた先行研究が多数ある。また後年の建築作品や思想書に関しては、対談集、研究書、論文集などが出版されてきた。しかしながら、これらの研究は、美術史、芸術学、哲学、建築など個別の領域から、それぞれの観点にもとづき比較的独立したかたちで行われており、彼らの活動の変遷(彫刻‐絵画‐インスタレーション‐建築)を、芸術・科学・哲学を総合する営み(荒川の言うコーデノロジストCoordinologist の仕事)として考察する試みは、ほとんどなされてこなかったと思われる。本研究班は、身体論を軸にして、荒川+ギンズの「建築する身体」「天命反転」を学際的に研究することを目指している。哲学、教育学、心理学、メディア論、リハビリテーション研究、心身統合論などを専門とする六名の研究者(三村尚彦、門林岳史、小室弘毅、村川治彦、稲垣諭、染谷昌義)と二人の活動を長年サポートしてこられた株式会社コーデノロジスト(荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所)代表の本間桃世氏が中心メンバーとなり、多くの方のご協力を得ながら、研究を進めてきた。本書は、東西学術研究所身体論研究班第一期(2016‐2018年度)の研究成果報告である。

荒川とギンズの死後に私たちの研究班が発足したことは、私たちの研究活動に独特のトーンを与えたように思われる。とはいえそれは、感傷的ないしメランコリックなものではまったくない。この三年間、修辞的な意味でも文字通りの意味でも、私たちは荒川+ギンズを追いかける旅を続けてきた。ニューヨークのReversible Destiny Foundation(荒川+ギンズ財団、以下RDF)に一年に一度以上訪れては資料の閲覧や今後の研究協力のための打ち合わせを行い、また、バイオスクリーブ・ハウス、Dover Street Market New York やその他関連する展覧会などを視察した。三鷹天命反転住宅にはそれよりも遥かに高い頻度で滞在した。そして、養老天命反転地にも奈義町現代美術館にも、他にもありとあらゆる荒川+ギンズゆかりの場所に足を運んだ。その過程で私たちが接してきたのは荒川+ギンズに関わる現在進行形のプロジェクトであり、そのことは本書にも色濃く反映されていると思う。

また、私たちがいわば遅れてきた荒川+ギンズ研究者であったことには、私たちにとって利点もあった。先に触れたように私たちの研究はRDFとの密接な連携において行われており、荒川+ギンズが遺した草稿やメモ、音声データ、彼らの書き込みのある資料などを閲覧しながら進められている。そのなかには荒川+ギンズの生前には閲覧が困難だったであろうものも多い。三鷹とニューヨークのスタッフの皆さんがときおり披露してくれる荒川+ギンズの思い出話にも、彼らが亡くなった今だからこそ言えるような内容も多いだろう。それに加えて私たちは、荒川+ギンズの生前には書きづらかったかもしれないアイデアを思い切って書くことができる立場にある。本当の意味での荒川+ギンズ研究はこれから始まるのだ、とまで言うつもりはない。だが、荒川+ギンズについての研究の性質はこれから確実に変わっていくはずだし、本書はその節目の時期に刊行する私たちの共同研究の最初の成果である。

そういう次第で、私たちの荒川+ギンズへの挑戦は、まだ三合目あたりといったところだろうか。最終的な目標は、荒川+ギンズの思想を批判的に継承し、22世紀につながっていく身体論を提案することである。今後、私たちの研究をより一層豊かにしていくためにも、読者諸氏からのご批判、ご意見などを賜れれば幸いである。

三村尚彦、門林岳史

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