アメコミ史上最高のアーティスト、「ザ・キング」こと、ジャック・カービー!!
キャプテン・アメリカ、X-MEN、ハルク、ファンタスティック・フォー、マイティ・ソー、ブラックパンサー、アベンジャーズ、ダークサイド、ニュー・ゴッズなど数々の偉大なスーパーヒーローたちを作り上げた伝説のアーティスト、ジャック・カービーの決定版ビジュアル伝記がついに刊行されました。
今回のためし読みでは、本書の「はじめに」全文を無料公開いたします。
《自画像(セルフ・ポートレート)》「マーベルマニア・インターナショナル 1969」より
アート:ジャック・カービー&マイク・ロイヤー カラー:トム・ジウコ カービーのペンシルによる原画に、マイク・ロイヤーが初めてペン入れを担当した作品。
はじめに
ジャック・カービーがコミックブックを発明したわけではない。ただ、そんなふうに見えるだけだ。
1939年の時点では、のちにこのコミックブックという新興のメディアの最も重要で最も卓越した革新者の一人となる彼も、自己を確立するまでにはまだあと数年を必要としていた。それどころか彼はまだ、ジャック・カービーですらなかった。ジェイコブ・カーツバーグという名で、家族と一緒にニューヨーク市のサフォーク通りに住んでいたが、そこは市内で最高の地域というわけでもなかった。21歳の彼は、人が人として行ないうる最も重要なことだと自ら信じることをしようとしていた。家族のために、給料の小切手をもち帰るということだ。それをなんとかできない限り、たとえほかに何かがうまくできたとしても、自分の人生は失敗だと思っていたのだ。
コミックスに関わる仕事の多くは、「ショップ」と呼ばれるスタジオでなされる――このスタジオは、列をなす製図用デスクに向かってせっせと仕事に打ち込むアーティストたちが、ぎっしりと詰め込まれた狭苦しい場所だ。稼ぎはよくない。だが、1929年に世界を襲った大恐慌が終わりつつあるという確証を、いまだ見てとることのできない地域に住む若者にすれば、いい仕事だった。少なくとも、新聞売りをはじめ、彼がこれまで試してみたほかのいくつもの選択肢よりは勝っている。
そういうわけで、当時はジェイコブという名だった彼も、通りをうろついている若いアーティストたちの群れに加わった。この若者たちは誰もが誰も、大きな黒いポートフォリオに作品のサンプルをいっぱいに詰め込んでもち歩いていた。サンプルの大部分は、最初に彼らに絵を描きたいと思わせた新聞の連載漫画の「バリエーション」(あからさまに言えば「盗作」)だった。最終的には、この若者たちは全員が一度はヴィクター・フォックスのもとで働くことになったようだ……何かもっといい仕事がやってくるまで、少なくとも数週間の間は、ということだ。
伝説によると、フォックスは、『ディテクティヴ・コミックス』と『アクション・コミックス』を出版していた出版者ハリー・ドネンフェルドの会計係だった。ある朝――と、その伝説は続くのだが、その『アクション・コミックス』の創刊号の売上げ高の知らせがあった。ジェローム・シーゲルとジョセフ・シャスターによる『スーパーマン』という名の新作漫画を特集した号だ。フォックスは、その売上げ数を目にするや仕事を辞め、同じビルのなかにオフィスを借りると、フォックス・コミックス社の社長として、その日のうちにアーティストたちを雇い入れたのだった。
素晴らしい物語だ。おそらくは、本当の話ではないだろう。でも、よくできた話ではないか。
フォックスは、古いタイプの山師的な金融家だった。つまり怪しげな事業から、また別の怪しげな事業へと全力疾走することに何年も費やしてきた人物ということだ。だが、初期の漫画本の出版者の大半は、みんなそんな感じだった――骨を折っているにもかかわらず収入の少ない、品位にも資本にも欠ける事業家だ。そうした出版者のいく人かを大富豪に、そして事実上「まっとうな」実業家に変えるのは、大ヒット作を手がけられるかどうかにかかっていた。そう、たとえば誰かが『スーパーマン』をもち込んでくれるとか、あるいはボブ・ケインが『バットマン』という名の作品の出だしの部分をもってやってくる、といったことがあればということだ。
あるいは、何年か先のことではあるが、ジャック・カービーを雇い入れるのでもいい。
ヴィクター・フォックスは、そこまで幸運ではないだろう。クリエイティヴな素晴らしい才能をもつ者たちの大半が一度は彼のオフィスを通過したとはいえ、全力疾走で去っていく者もいたからだ。フォックスは最初のうちは、ウィル・アイズナーとジェリー・アイガーが運営するスタジオからストーリーを買っていた。アイズナーが辞めて『スピリット』誌を始めると、フォックスも自社ですべてを制作することに決め、ニューヨーク・タイムズ紙にスタッフ募集の広告を出した。彼の雇ったアーティストたちは本来なら自宅で仕事をすることもできたのだろうが、フォックスのほうは、自分が賃金を払っている以上は、その雇い人たちを毎日ゴミのように扱うことで喜びを味わいたいと思っていた。
そういうわけでスタッフはみんな、朝の8時から夕方の6時まで、あるいはもっと遅い時間まで、オフィスに座りっきりで、イラスト・ボードを絵で埋め続けることになった。そこには、ビル・エヴェレット(まもなく『サブマリナー』を生み出す人物)や、ジョー・サイモン(のちにカービーと一緒に、『キャプテン・アメリカ』をはじめとして何十にも及ぶヒット作を生み出すことになる人物)、そしてチャールズ・ニコラス・ウォイトコウスキ(すでにフォックスのために、冴えないところもあるスーパーヒーローのスター「ブルービートル」を生み出していた)のような若者たちがいた。
そんな彼ら全員が少なくとも1日に3ページは描き終えようと競い合っている間も、フォックスはと言えば、後ろの通路を大股で行ったり来たり、のそのそと歩き回っていた。マルクス兄弟のグルーチョ・マルクスのような尊大な態度で、その間も最新の売上げ数が書かれた紙を握りしめながら不満をもらしている。「おれはコミックスの王様なんだぞ! キング・オブ・コミックスなんだぞ!」 それから誰かしらの机の横で立ち止まってその仕事ぶりを一瞥すると、かつてクズ債権の売り手だった自分には判定を下す資格が大いにあるとばかりに叫ぶのだった。「ひどいもんだ! もっと速くやっつけろ、この役立たずめ!」
誰一人として傑作を生み出してはいなかった。だが、フォックスだって、傑作に相応しい賃金を払ってはいなかった。「大きな雲をひとつと、ちっぽけな飛行機をひとつ描けば、それだけで一コマになったよ」と、ジェイク(すぐにジャックと改名することになるが)がのちに当時を回想している。あるとき、彼はコマひとつの大部分を「ワオ(Wow)」という文字だけで埋めてしまった。ある種のサウンド・エフェクト的な試みだ。例のごとくウロウロと歩き回っていたフォックスが立ち止まって訊ねた。「いったいぜんたいそいつは何だ?」
若いアーティストはフォックスを見上げて答える。「これはね、フォックスさん、「ワオ!」ですよ」
フォックスはそのコマを数分間まじまじと検分しながら、口の片側にくわえていた葉巻をもう片側へとゆっくりと移動させた。「わからんな」
「ストーリーの一部ですよ」と、カーツバーグが説明する。
フォックスは、納得したようにうなずき、その場にいたほかのアーティストたち全員に、仕事をやめてカーツバーグの机の周りに集まるようにと言った。「ここのジェイクが「ワオ」について説明してくれる。続けろよ、ジェイク。みんなに「ワオ!」のことを話してやれ」
ジェイクは口ごもりながら、コマをエネルギーと興奮でいっぱいに満たすことについて、そして「ワオ」といった言葉が、それぞれの年齢の子どもたちの心の内にどんなふうに届くものかを説明した。そしてもちろんアーティストたちの全員が、この「ワオ」はただ、コマを絵で埋めることから逃れるためのカーツバーグ流のやり方なのだと理解していた。誰もがうなずきながら自分の机に戻っていき、即座に自分の次のコマに「ワオ」と描き入れた――そのコマで、それがどんな意味をもつかは関係なかった。
フォックスもこれが気に入った。彼はただコミックブックを出版しているだけではない。いまや「ワオ」のいっぱい詰まったコミックブックを出版しているのだ。
結局のところ、コミックスのこの王様は、朝、アーティストの出社に合わせて起きることに飽きてしまった。スタッフを集めた彼は、ボーイ・スカウトの経験者がいるかと訊ねた。「はい」とアル・ハーヴェイが手をあげた。プロダクション・アーティストの彼は、まもなく自らの名字を冠したコミックブック会社「ハーヴェイ・コミックス」を設立することになる。ともあれフォックスはハーヴェイに鍵を渡すと、こう言い渡した。「これからは、君がオフィスの鍵を開けるんだ」
その後は、フォックスが自信満々にやってきてスタッフを叱りつけ始めるのは、昼の11時頃となった。だが、彼が出社する前には毎朝のように、かつてのボーイ・スカウトやらほかのアーティストたちやらが代わる代わるに雇い主を真似て、机の列の間をうろつきながら、こう繰り返したものだ。「おれはコミックスの王様だ! キング・オブ・コミックスだ!」 そしてカーツバーグとビル・エヴェレットは、互いに挨拶するときには未来永劫にわたり、そのモノマネを繰り返すことになる。
さて、途中は飛ばして、1960年代の半ばのこと。
1965年のことだと言っておこうか。マーべル・コミックス・グループは、『ファンタスティック・フォー』や『スパイダーマン』『X-MEN』をはじめとしたコミックスを出版していた。かつてのジェイコブ・カーツバーグがジャック・カービーとなり、アクションものや冒険もののコミックブックの卓越したアーティストとして知られるようになってから、もう長い年月が経っていた。この頃には、彼はマーベルのアーティストたちのなかでもスター的な存在で、コミックブック業界の新しいルネサンス期を切り拓いた共同制作者の一人だった。フォックスと並ぶもうひとつのキワモノ出版社だったこの会社が富を蓄えていくにあたって、その変異をもたらす動力となったのも彼だった。この場合、その会社は数十億ドル規模の資産をもつ企業帝国となり、アメリカの大衆フィクション界を長期にわたって代表する地位へと進んでいくことになるのだ。
スタジオで働いていた時代は久しく過去のものとなり、カービーは今や自宅で仕事をし、1週間に1度だけニューヨーク市内に出かけ、描いた原稿をマーベル社のオフィスに届けていた。もし、それも避けることができたなら、街に出る回数はますます減っていっただろう。列車に乗っている間は、絵を描くことができないからだ。カービーにとっては、いまだにそれがすべてだった。仕事をして家族を養うことである。もちろん彼も素晴らしいストーリーを描きたいと思っていたし、自らを表現し、またその驚嘆すべき想像力を世界中の人々と分かち合いたいと望んでいた。それはどれも素晴らしいことだった。だが、家族の良き扶養者であることは、いまだ彼にとって第一の仕事であり、その点は常に変わることはなかった。
マーベル社のオフィスを訪れると、ビル・エヴェレットに会い、例のヴィクター・フォックスのモノマネを交わし合った。それは、かれこれ四半世紀にもわたって続いていた習慣だ。二人でどこにランチにいこうかと話していたちょうどそのとき、編集長のスタン・リーがやってきて、カービーに最新のファン向け情報ページ「マーベル・ブルペン速報」の自社広告を見せた。「君に本物の賛辞を贈ろうと思ってね、ジャック」と、スタンが言った。「ここ、見えるかい? 君のことをこう呼んでいるんだ。キング・オブ・コミックスってね!」
カービーとエヴェレットは笑い転げた。「違うよ、違う」と、カービーが反対した。「キング・オブ・コミックスは、ビル・エヴェレットだよ!」
でも、エヴェレットは取り合わない。「ジャックこそ、間違いなくキング・オブ・コミックスさ」と、彼は抗弁した。編集長のリーはエヴェレットの側につき、そういうわけでカービーは永遠にこのニックネームを押しつけられることになった。真に慎み深いこの男は、長い間、このあだ名に決まりの悪い思いをしたものだ。とはいえ、最終的には、あまりに多くの人々が自分を「キング」と呼ぶため、ついに受け入れることになる。だってそうだろう? そうしたささやかなPR用の工夫が、給料の手取り額をより高めることだってあるかもしれないではないか。
この呼び名はもちろん、カービーに関する書物にとっては完璧な題名だ。だがその呼び名が意味をなすのは、茶目っ気たっぷりに瞳をきらめかせながら言うときだけだということを、ジャック自身はみんなに知ってほしがっていたと思う。彼について語るときに挙げられるほかの言葉はすべて、パワーにあふれ、遊星の大爆発や宇宙のエネルギーを描き出した人物、そして自分の周囲の世界や自分が出会ったすべてのものを変えた人物、といったものだ。
だが、そのニックネームは? そのニックネームはジャックにとっては、常にある種のジョークのようにユーモアをこめて口にされるものであったし、あるいはそうであればこそ彼にも受け入れられるものだった。そう、いつだって、茶目っ気たっぷりに瞳をきらめかせながら。
(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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