ためし読み

『天才たちの日課 女性編 自由な彼女たちの必ずしも自由でない日常』

アイダ・ルピノ
1918~1995

ルピノはイギリスで長年ショービジネスにたずさわってきた家系に生まれ、1930年代にハリウッドに移住した。当初は『夜までドライブ』、『ハイ・シェラ』、『海の狼』などの映画に出演し、世渡りのうまい女性の役を演じて有名になった。しかしルピノはこういっている。「ほんとうは演技をするのはちっとも好きではなかった。俳優というのはひどく大変な職業で、私生活がめちゃくちゃになる」。1949年、ルピノはふたり目の夫とともに映画製作会社を立ち上げ、脚本・監督を手がけ始めた。そして、レイプや私生児、重婚などの社会的タブーに切りこむ一連の低予算映画を作り出した。1953年には代表作となる『ヒッチ・ハイカー』を発表する。緊張感に満ちたこの作品は、女性が監督した唯一のフィルム・ノワールといわれている。その後数十年間にルピノがつくった劇場用の長編映画は一本だけだが、テレビドラマを多く手がけて、『ヒッチコック劇場』や『奥さまは魔女』、『ギリガン君SOS』、『トワイライト・ゾーン』などの人気シリーズでも才能を発揮した。

ルピノはもちろん女性差別に悩まされたが、断固としたプロ意識でそれに立ち向かった。「私は脚本を手に入れるとすぐ仕事に取りかかる。調べものや準備をして、撮影が始まるときには、たいていもう考えはまとまっているから、あとはもう前に進むだけ」。可能ならばいつも、週末は次の週の準備にあてた。「屋外の撮影場所やその他のセットは土曜か日曜に見に行く。セットは週末のほうが落ち着いていて静かだから。そこで段取りを考えるのよ」。(脚本家としてのルピノはそんなにきちんとしていなかった。伝記作家のウィリアム・ドナティはこう書いている「アイダ〔ルピノ〕は24時間書きつづけることもあった。その辺にある紙切れや食料品店の紙袋など、手元にある紙に手あたり次第書いていくのだ」)撮影現場では、わざと母親的な態度をとっていた。俳優陣もスタッフもルピノを「お母さん」と呼ぶようになったが、それは彼女がそう呼んでくれというからだった。「重要なのはいつも女性的な態度で接すること」とルピノは説明している。

男性はえらそうにする女性を嫌うから、命令するんじゃなくて提案するの。「ねえ、みんな、お母さん困ってるの。こういうことをしたいんだけど、やってくれるかしら。なんか変な感じよね。わかってる。でも、お母さんのためにやってくれない? こんなふうにいうと、男性はやってくれる。そのほうが協力してもらいやすいわけ。それと、絶対にかっとならないようにしてる。女性にはかんしゃくは許されないの。男は女がヒステリーを起こすのを待ち構えてる。[……]それに気をつけているかぎり、スタッフはいうことをきいてくれるわ。私はお母さんと呼ばれるのが気に入っている。

イーディス・ヘッド
1897~1981

「ハリウッドでいいデザイナーであるためには、精神科医とアーティストとファッションデザイナーと仕立屋と針山と歴史家と看護師とバイヤーのすべての役を兼ね備える必要がある」とヘッドはいっている。それは経験から得た知識なのだろう。彼女は60年にわたる経歴のなかで、1100本以上の映画の衣装をデザインし、アカデミー賞に45回ノミネートされた(そのうち8回は受賞)。短く切った前髪、モノトーンのツーピース、屋外でも屋内でもサングラスというひと目で彼女とわかるスタイルを貫き、その独得のファッションセンスで注目された。もとは教師をしていたが、26歳のとき、パラマウント社の衣装部に入った。そこで徐々に昇進し、ついにハリウッド黄金期の代表的衣装デザイナー、トラヴィス・バントンに次ぐ地位に就いた。そしてバントンが1938年にパラマウント社を去ると、ヘッドが衣装部門を率いることになる。そのときのことを、数十年後に回想してこう書いている。「華やかなセレモニーも、ドラマチックな変化も、シャンパンでのお祝いも、給料のアップもなかった。私はそれまで週に6日、1日15時間働いていて、その後もそれをずっと続けた」。1930年代から1940年代は、1年につき30本から40本の映画の仕事をした。4、5本の映画の男優、女優すべてのスターの衣装を同時にデザインすることもよくあった。

ヘッドが成功したのは、芸術的才能と勤勉さのおかげだが、ハリウッドの大物やかんしゃく持ちをうまく操る能力に長けていたからでもある。実際、「私はデザイナーより政治家のほうが向いている。誰の機嫌をとればよいかわかるから」といっていた。理想をいえば、自分の仕事に関してもっと完璧を目指したかったが、ハリウッドの映画制作の現実がそれを許さない。それについてはこういっている。「私は内面では自分のやりたいように衣装を作るか、そうでなければ仕事をしないと言い張る自尊心の高い人間だったが、実際は雇われ人のかがみみたいに、すぐ妥協するし、いつでも締め切りに間に合わせた」さらに、ハリウッドで働くうちに、「芸術家としての欲求を抑えることを学んだ」。

トレードマークになったファッションについても、必要に迫られて生み出されたものだった。ヘッドはパラマウントの衣装部門のトップになってすぐ、俳優たちに注目を集めることの大切さを理解した。「私は仕事部屋でもオフィスでも仮縫い部屋でも、色を絶対に使わない」と彼女はいっている。

自分の服も色物はいっさい着ない。絶対・・。ベージュか、グレー(好きなのはベージュがかったグレー)か、白か、黒。すてきな衣装を試着した魅力的なスターのうしろに立ったときに目立ちたくないから。スターには自分の姿に集中してほしいのに、壁に絵がかかっていたり、おしゃれで明るい色の服を着た私の姿が鏡に映ったりしたら、気が散って、目がそちらに向いてしまう。だから私はできるかぎり自分をおしゃれに見せないようにするの。俳優は自分がどう見えるかということに完全に集中しないといけないから。

ヘッドは別の機会にこういっている。「撮影所にいるときの私はいつも、サングラスをかけてやぼったいベージュのスーツを着た平凡なイーディスなの。そうやって生き残ってきたのよ」

(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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天才たちの日課 女性編

自由な彼女たちの必ずしも自由でない日常

メイソン・カリー=著
金原瑞人/石田文子=訳
発売日 : 2019年9月26日
1,800+税
四六判・並製 | 432頁 | 978-4-8459-1637-5
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メイソン・カリー=著
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四六判・並製 | 376頁 | 978-4-8459-1433-3
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