ためし読み

『天才たちの日課 女性編 自由な彼女たちの必ずしも自由でない日常』

はじめに

この本は2013年〔日本語版は2014年〕に刊行された『天才たちの日課――クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々(Daily Rituals: How Artists Work)』の続編であり補正版だ。前作では、作家や詩人、画家、作曲家、哲学者、その他の傑出した人々の日々の暮らしや仕事ぶりを簡単にまとめて紹介した。私はその出来に満足していたし、自分と同じように、創作の現場をのぞき見したいと思っていた人たちに読んでもらえてうれしかった。そういう人たちは、ベートーヴェンが朝のコーヒーのために豆をきっちり60粒数えていたことや、バレエの振付家のジョージ・バランシンがアイロンがけの最中に最高のアイデアを思いついていたことや、作家のマヤ・アンジェローが「小さくて質素な」ホテルの部屋で辞書や聖書やトランプやシェリー酒のボトルに囲まれて書いていたことを知っておもしろがってくれた。しかしこの本には、いま思えば、大きな欠陥があった。そこで取り上げた161人のうち、女性は27人しかいなかったのだ。割合にして17パーセント以下だ。

なぜ、これほど男女の比率にあからさまな差があるまま刊行してしまったのだろう。誰もが納得する言い訳があるわけではないが、前作で私が試みたのは、過去数百年の西洋文化圏で天才や偉人と呼ばれた人々の横顔プロフィールを紹介することだった。そしてそれを成功させるためには、「あの有名な天才がこんな平凡な日常を送っていた」という風に、イメージと実像のギャップを示すことが重要だと考えていた。そのために、西洋の有名な作家や画家やクラシック音楽家などに焦点を合わせた結果、残念ながら、対象となる人物の大半が男性になってしまったのだ。がんばって女性の話を見つけようと思わなかったことは、私の想像力が恐ろしく欠けていた証拠で、ほんとうに申し訳なく思っている。

そこで今回は、前作にみられた男女比のバランスの悪さを遅まきながら解消するとともに、私がもともともくろんでいたことをよりよく実現するために努力した。そのもくろみとは、単にインテリが好みそうな雑学情報を集めるだけでなく、読者にとって実際に役立つ本にしたいということだった。クリエイティブな仕事にたずさわっている人は、そのための時間を確保したり、創作に適した精神状態にもっていくことに日頃から苦労している。それは私自身もライターとしてしょっちゅう経験してきたことだ。おかげで私は、ほかの人たちがどうやって仕事をこなしているのか、その方法を、ごく基本的なレベルで知りたいといつも思っていた。たとえば、作家や画家や作曲家は毎日原稿を書いたり絵を描いたり作曲したりしているのか? もしそうなら、どれくらいの時間、いつごろの時間帯にやっているのか? 週末も仕事をしているのか? 創作活動をしながら、どうやって生活費を稼いだり、十分な睡眠を取ったり、家族や知人と向き合ったりしているのか? 時間や金銭のやりくりがうまくできたとしても、もっとやっかいな問題、たとえば自信を失ったり自己管理ができなくなったりしたときにどう対処しているのか?

前作では、天才たちの日常のごく平凡な事柄を紹介することによって、たとえ遠回しにでも、そういった疑問に答えたいと思っていた。しかし、取り上げた対象が有名な男性に偏っていたために、そのもくろみはあまり成功しなかった。なぜなら、そういう人々が問題に直面したとき、それを解消してくれたのは、献身的な妻や、使用人や、巨額の遺産や、何世紀も前から受け継がれてきた特権などである場合が多かったからだ。そういう例は、現代の読者にとって役に立つお手本にはなりにくいだろう。多くの天才たちの日常は、仕事、散歩、昼寝などにきちんと配分され、金を稼ぐことや食事のしたくをすること、愛する人との時間を確保することといった下世話な心配事とは無縁の、妙に現実離れしたものにみえた。

しかし今回、対象を女性に絞ったことによって、フラストレーションや妥協に満ちたドラマチックな景色が開けた。もちろん、本書に登場する女性は特権階級の出身者が多く、みんながみんな日常的にトラブルに遭遇し、それを乗り越えてきたわけではない。しかし、そういう経験をした人は多い。そしてそのほとんどは、女性による創造的な活動が無視されたり否定されたりした時代に育っている。妻、母、主婦としての伝統的な役割より芸術による自己表現を優先しようとして、親や配偶者から猛烈に反対された人も多い。また、母親として、子どもの世話と自分のやりたいことのあいだでひじょうに苦しい選択を迫られた人もたくさんいる。さらに、ほとんど全員が、作品の受け手や、プロとしての成功の鍵を握る人々のあいだに蔓延する性的偏見と闘ってきた。編集者、出版業者、学芸員、批評家、パトロン、その他もろもろの流行仕掛け人たちは、たまたま男性の作品のほうが優れていただけだ、という主張をひたすら繰り返した。これに加えて、女性アーティスト自身の心に存在する壁もあった。それは、怒りや罪悪感や憎しみといったさまざまなマイナスの感情で、自分と自分の業績を世の中に無理やり割りこませなくてはならないことから生じるものだ。

もちろん私は〝女性アーティスト〞をアーティスト一般から分けて扱うことの危険性は承知している(男性が書く場合はなおさら危険だ)。この本で紹介した女性の多くは、自分の作品が性と結びつけられることに慣れているが、そのことを快く思っている人はひとりもいない。画家のグレース・ハーティガンはあるインタビューで「自分が女性アーティストだと意識したことは一度もないし、そのように呼ばれるのも嫌い。私はひとりのアーティストなの」と語っている。だからというわけではないが、私は本書で女性のアーティストを取り上げるにあたって、前作で登場した男性(および女性)と同じやり方で書くようにした。つまり、手紙や日記やインタビューや他の人が書いた伝記などをもとに、彼女たちが日々どのように仕事をしていたのか、小さな肖像画を描くようにしてまとめた。

とはいえ、この本には前作と大きく違う点がいくつかある。たとえば、前作で私が取り上げたのは、一日の活動パターンについて、比較的きちんとまとめることができた人物だけだった。しかし今回は、もっと範囲を広げて、とくに決まった日課やスケジュールを持たない人についても書くことにした。そういった人は、規則正しい生活をする余裕がないか、決まりきったルーティンに従うこと自体好きでないかのいずれかだ。ふたつ目の相違点は、本書に収められた女性はみな、それぞれの分野で認められた一流のアーティストだが、一般的にはそれほど有名でない人も多いことだ。そこで今回は生い立ちや経歴の紹介に前作よりもページを割き、それと関連づけて仕事ぶりを書くようにした。

また、今回は本人と家族の関係にも多くの注意を払った。というのも、多くの場合、彼女たちの時間をいちばん多く要求するのは子どもだったからだ(依存心が強くて横暴な夫が僅差で二番手となっている)。したがって、彼女たちがクリエイティブな仕事と家庭内のごたごたや義務などをどのようにさばいているのか――わき目もふらず仕事第一で突っ走っているのか、時間を上手に配分してこなしているのか、ある種の義務はわざと無視しているのか、あるいはそういった方法を少しずつ組み合わせているのか――その点を明らかにすることが、彼女たちの日常をありのままに描くために欠かすことができなかった。それは、私が先ほど述べた本書のもくろみ――創造性を発揮するにはどうすればいいか悩んでいる現代の読者のヒントになる本にすること――にもつながっている。私は、女性アーティストが日々直面している障害について、できるだけ正確に書きたかったし、彼女たちがどうやってそれを乗り越えてきたのか、そもそも乗り越えることができたのか、可能なかぎり明らかにしたかった。

だからといって、クリエイティブな仕事をするのは喜びの少ない苦しい生き方だ、などというつもりはない。それができる環境を作るには、うまく立ち回ったり、ある程度の犠牲を払ったりする必要がある。しかし仕事そのものは夢中になれるほどの魅力があり、むしろエネルギーの源となることが多い。女性アーティストが経験する二面性――スーザン・ソンタグの言葉を借りれば「生活ライフ」と「仕事プロジェクト」―― の折り合いをつけるのはとても難しいが、そのための努力を放棄してしまうのも同じくらい難しい。本書では、そのことをできるだけ正確に描くよう心がけた。原稿を書きためるあいだ、私の心につねに浮かんできた疑問は、かつてフランスの作家コレットが同じくフランスの作家ジョルジュ・サンドについて口にした疑問――彼女はいったいどうやってやりくりしていたの?――と同じものだった。その答えとして、ここに143通りの試行錯誤が収められている。

(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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天才たちの日課 女性編

自由な彼女たちの必ずしも自由でない日常

メイソン・カリー=著
金原瑞人/石田文子=訳
発売日 : 2019年9月26日
1,800+税
四六判・並製 | 432頁 | 978-4-8459-1637-5
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天才たちの日課

クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々

メイソン・カリー=著
金原瑞人/石田文子=訳
発売日 : 2014年12月15日
1,800円+税
四六判・並製 | 376頁 | 978-4-8459-1433-3
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