ストーリーにはなぜ感情が必要か
もし現実の世界で、あなたの経験が本質的要素を欠いていて、記憶に残らないとしたらどうだろうか。たとえば、澄みきった氷河湖を見下ろす展望台までハイキングし、鏡のような湖面を眼前にしても何も感じない。あるいは、思い立って昔住んでいた町を車で訪ね、子どもの頃に暮らした家の前を通り過ぎるが、他の家と同じにしか思えず、懐かしさは込み上げてこない。息子の結婚式の当日でさえ、我が子が幸せの涙を流しているのを見ても何も感じないとしたら、どうだろうか。
人生の特別な瞬間を、それにまつわる感情抜きで思い浮かべるのは、穏やかではない。むしろ空恐ろしい。私たちが一体何者であるのかがわかるのは、感情があるからこそなのだ。感情は私たちの経験に良くも悪くも意味も与え、この世を生きていくときの欲望や行動、価値観を方向付け、私たちの進化や成長を助ける。めいめいが違う人生を歩んでいても、感情によって、私たちは他者とつながりを保っている。
人として、私たちは新しい経験をしたがる。人生を精一杯生きているかのような気持ちになれるからである。しかし、自分のやりたいことがすべて叶えられるわけではない。仕事や家庭を抱え、コミュニティに属していると、(身体的限界や経済的障壁、時間のなさなど)さまざまな制約が課されるからである。人生が自分の思うままにならないからこそ、私たちはストーリーに惹かれ、のめり込む。ストーリーを通じて、私たちはいくつもの人生を生き、知らなかった現実に遭遇し、自分とは異なる考えや信念を持って行動をとる他者の歩みをたどることができる。
しかし、ストーリーを動かすには感情が必要だ。しかもたくさん必要になる。感情は、読者が現実から虚構の世界に入り込むための架け橋の役目を果たす。現実世界の人間と同じように、キャラクターも欲求や欲望に突き動かされ、物事を感じていれば、読者はキャラクターと自分を重ねることができるからである。たとえ読者がキャラクターの目標や挑戦に不案内であっても、キャラクターの感情は理解できるはずだ。喪失の苦しみや、誰かを失望させたときのつらい思い、人に裏切られたときの刺すような痛みはわかるし、努力して目標を達成したときの、ほとばしるような満足感も知っている。それが愛すべきキャラクターの経験ならば、共感が湧き起こる。
感情は人間の経験の中心にあるものだから、それを書き表すのは簡単なはず、と思うかもしれないが、そうではない。実際は、キャラクターを現実的に描けば描くほど、その感情を言葉で書き表すのは難しくなる。真実味のあるキャラクターは現実の人間と同じように考えて行動する。私たち全員がそうであるように、キャラクターも本当はより激しい感情を抱いているのにそれを押し殺し、他人から決めつけられる不愉快な状況や、本当の自分をさらけ出すときの不快感を避けたがる。
自分の感情を押し殺しているキャラクターは、書き手に2つの課題を突きつける。第一に、読者がキャラクター自身やその経験に共感するのは難しくなる。感情を隠されていては、キャラクターを信頼するのも難しい。信頼関係がなければ、読者は遅かれ早かれ、本を閉じて別のことをするだろう。たとえどんなにキャラクターが本心を出すことを恐れていても、書き手はそれを読者に伝える方法を見出さなくてはならない。
感情を抑圧するキャラクターは、心の奥にある感情に向き合えず、進化を遂げようにも心の障壁をなかなか乗り越えられない傾向にある。これが書き手にとっての2つ目の課題だ。キャラクターは個人的に成長しなければ、いつまでも尻込みをしてこの障壁を越えられないし、親密な人間関係を築き、有意義な目標を達成し、自己を受け入れるといった、自分が心から望んでいるものも手に入れることができない。キャラクターに己の弱さに向き合わせるのは容易ではないが、それは心の成長の旅路を歩ませるには必要なことなのだ。
書き手が説得力のあるストーリーを作るには、キャラクターに心の扉を開かせ、抑圧していた感情を解放させる方法を知っておく必要がある。たとえキャラクターを傷つけるとしても、彼らに本当の自分に向き合わせ、感情をこれ以上隠せないようにするために、心の壁を破らせなければならない。
そのための有効な戦略として、感情ブースターを用いるのもひとつの手だ。つまり、感情を揺さぶる具体的な状況や条件の中にキャラクターを追いやって平静を失わせ、熟慮を許さないのである。たとえば、注意力散漫、喪失感、疲弊は人間関係に軋轢を生じさせる。キャラクターの心全体が木片を積み上げて作った塔なのだとしたら、感情ブースターはその木片のひとつで、抜き取ってしまえば塔を崩しかねないものなのだ。
ここで、ジェイクというキャラクターを考えてみよう。ジェイクがある朝目覚めると、どうも熱っぽくて、体調が優れない(体調不良)。長らく待ちに待った昇進を目前に控えているので、病欠の電話をする勇気はなく、シャワーを浴びて仕事に出かける。職場の倉庫に着くと、フォークリフトに乗り込んで、パレットを運び、トラックに荷を積み込む一日が始まる。ところが、同じシフトの2人が来ていない。2人分をカバーするために仕事量は増える。何をするにもいつもより気合いを入れないとできないし、頭痛のせいで騒音に耐えられない。仕事は遅々として進まないが、倍速で働かなければならない。倉庫内を急いで行ったり来たりしているうちに、めまいがしてきた。応援に来ると言った現場監督は一体どこにいるんだ?
この緊張感と、我慢の緒が今にも切れそうになっているジェイクの気持ちをあなたは感じとれるだろうか。ストレスが溜まって同僚を怒鳴りつけ、早まった判断をし、慌てるあまり誰かに怪我をさせるのも時間の問題ではないだろうか。
感情ブースターとは、キャラクターがあれもこれもと対処を迫られているなかでさらに付加される条件や負担を指し、難題や対立・葛藤、動揺がひとつになって、身体的、認知的、心理的な不快感を引き起こすものである。感情ブースターの存在により、キャラクターは熟慮を許されず、感情を抑えつづけることができなくなっていく。それに、気が散っているせいで、カッとしやすくなり、油断をして重要なことを見逃し、ミスを犯す可能性が高くなる。
そこで、ジェイクがフォークリフトの操作を誤り、運搬していた商品を木枠ごと落として商品を出荷できなくした上に、安全上の危険を生じさせたとしよう。駆けつけた現場監督にジェイクは叱責され、あれもこれもと仕事ぶりをなじられてしまう。ジェイクにしてみれば、そもそもこの現場監督が応援に来なかったからこんなことになったのだ。病気で熱もあるところへ、いらだちでカッとなったジェイクは、「僕は体調が悪くても必ず出社しているのに、一言の感謝もない」と言い放つ。叱られた上に不用意な失言を重ねたとあっては、昇進への望みは、倉庫の床に散乱した商品もろとも消えていく。
―――中略―――
感情ブースターは、大なり小なり、キャラクターを窮地に追い込むのに理想的である。なぜなら、書き手にとっては時にそれこそが必要なことだからだ。絶対に間違った選択はしない、賢くてものわかりの良いキャラクターではまったく面白味がないが、しくじり、理性を失い、思わず本音を漏らしてしまうキャラクターなら、ストーリーを面白くしてくれるのではないだろうか! そういう脇が甘いキャラクターに私たちは自分を重ねる。私たちは皆、過剰に反応して失敗した経験を持っているからである。
こうした難題がキャラクターの身の上に降りかかれば、キャラクターにとってどうしても必要だった、物事の見方の変化が起こる可能性もある。
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