イントロダクション
「お前は生きるに値しないのさ」――ウィリアム・マニー(『許されざる者』より)
トム・ハンクスはクリント・イーストウッドの物まねが上手い。ふたりが組んだ『ハドソン川の奇跡』は、パッと見には飛行機事故を主題にした映画だが、その実、ヒロイズムとはなにかを複雑な角度から掘り下げている。それはいかにもイーストウッドが選びそうな、まさに彼らしい素材だということを、わたしたちはすでに理解しはじめている。ハンクスは、アメリカ映画を象徴するこの人物と一緒に仕事ができてものすごく光栄なのは当然だが、だからといってイーストウッドが従来的な映画監督だと言いたいわけではない、と言う。たとえばイーストウッドは馬を扱うように出演者と接するのだ、と言ってハンクスは微笑み、おもむろにその意味を説明する。イーストウッドは1950年代後半から60年代前半にかけて放映された西部劇ドラマシリーズ『ローハイド』に出演していたとき、監督が「アクション!」と叫ぶと馬たちが必ず反射的に駆け出してしまうことに気づいた。俳優もまったく同様の衝動を抱いてしまうもので、そういうはやる気持ちをなんとか鎮めなければならない。そこでイーストウッドは、長編映画の監督をするようになったときからずっと、撮影現場に落ち着いた雰囲気を保てるよう配慮している。だから「アクション」と言うときも、けっして叫んだりはせず、抑えた冷静な声を出す。ハンクスはそう説明しながらイーストウッドの渋いバリトンの囁き声を完璧に真似てみせる。「オーライ、ゴーアヘッド(じゃあ、はじめようか)1」。また、伝統的な監督みたいに「カット!」と叫ぶこともない、とハンクスは付け加える。スッと演者の後ろに歩み寄り、肩越しに顔を近づけて、(またあの物まね声で)「今のでじゅうぶんだ」2と囁くのだ。
その声、その存在感、その場を完全に掌握するオーラ、長年この業界で培ってきた知恵、複雑なことをシンプルであるかのように思わせてくれるところ(演者をむやみに怖がらせる必要はないから)、それらの要素がイーストウッドを他に類を見ない監督たらしめている。しかもこんなにも長く。彼は2022年に92歳の誕生日を迎えた。ハリウッドの常識とは裏腹に、この70年以上の間ずっと、ほとんど止まることなく、この業界で働きつづけている。
ハンクスが先の話で伝えたかったのは、(ハンクスほどの大人物でさえこのご老体に畏敬の念を持っているということだけでなく)イーストウッドが常に自分のやり方を通しつづけているという事実だ。柔和に、しかし、決然と。自分が何者なのかを心得ている。最も「ハリウッド」らしからぬハリウッドの象徴なのだ。戯言のような業界のゴシップからは距離をとり、また、テスト上映会にも一切参加しない。「リシーダの雑貨店員の意見がそんなに重要なら、そいつを雇ってこの映画を作らせればいい」3と凄んだことさえある。愚行を愚行と知りながら我慢して受け入れたりはしない。確かに、数回の結婚もあった、スキャンダラスな慰謝料が騒がれたゴシップもあった、裕福な生活を謳歌してもいる。しかし同時に、そこから距離をとって、ロサンジェルスの大騒ぎから遠く離れたカーメルで主に暮らしていることも確かなのだ。
イーストウッドはハリウッドの良心であり、他の監督たちは彼を標準に事物を判断する。彼を見て、この業界がハートと魂と背骨をまだ失っていないことを再確認する。カルトの英雄でありながらも、それ以上に幅広い多様性があり、一般大衆のファンベースを有するという意味では、彼の神話もまたティム・バートンやクエンティン・タランティーノやマーティン・スコセッシと同じ帯域幅の中にあると言えるだろう。そしてまた、典型的なハリウッドの微香漂う偉大な俳優のひとりでもある。名無しの男、ダーティハリー、『許されざる者』のウィリアム・マニー、『グラン・トリノ』のウォルト・コワルスキー……、彼は疑いの余地なく地球上で最も有名な人物のひとりだ。
彼の演じる謎めいたカウボーイも、気難しい刑事も、刑事に限らず気難しい男たちも、わたしたちはずっと愛してきた。根暗で、疲れ果てていながらも、内省的なアメリカン・マッチョイズムの象徴たるキャラクターたちだ。世間で「クリント」と言えば、あまたのファンを有する大ヒット映画の数々を思い起こすだろう。しかし彼は、祖国や人生についてだけでなく、彼が興味を持ったありとあらゆる主題をたずさえて強い興味をそそる知的な映画を妥協なく作る映画作家でもある。「文化人」という言葉を人はよく乱発するが、「イーストウッド」、もしくは単に「クリント」はすでに人々の共有概念として形容詞のように使われている。タイムトラベル・アドベンチャー映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(1990)では、西部開拓時代にやってきたマーティ・マクフライが偽名としてクリント・イーストウッドを名乗る(ちなみに、この映画の作り手たちはあのギャグの使用許可を本人に求め、この大スターは困惑しながらも許可を出したという)。あの映画には西部劇の看板俳優という彼の地位がギャグとして使われているだけでなく、マーティが着るマント、そう、あの鉄板を仕込んだポンチョもまたそうで、もはやすべてがクリント風だ。
俳優業と監督業を完全に切り離して考えることはほとんど不可能だ。そのふたつはまるで他花受粉のように密接に関係しあっている。それだけに、彼のキャリア後半の総合性を目の当たりにした人々は、彼のことを偉大なアメリカの芸術家だと考える。彼自身がそれを嫌がろうとも、世間の見解を覆すことはできない。彼はまた、自身の映画の映画音楽も作曲している。映画史研究家デヴィッド・トンプソンによれば、クリント・イーストウッドは「国の内外で、なんの条件も、皮肉をこめられることもなく、純粋に崇められ、尊敬されている、数少ないアメリカ人のひとり」4だ。彼の良き友でもあるスティーヴン・スピルバーグですら、イーストウッドほど商業的プレッシャーの拘束なしに自由に映画を作らせてもらえてはいない。それでもなお、いや、きっとだからこそ、彼はヒットに次ぐヒットを生み出せているのだろう。
本書では、彼が俳優として参加した幅広い作品や、彼に影響をあたえた人々についても関連事項として言及しているが、本書で主に掘り下げるのはイーストウッドの監督としてのアイデンティティだ。とはいえ、その核心はひとりの芸術家を探求することにある。そういう意味で彼以上に素晴らしい題材はおそらく存在しないだろう。イーストウッドがたどってきた人生の旅路に同行するように地図を描くことができれば、戦後のハリウッドやアメリカ国家全体の雰囲気の推移をまざまざと目撃することができるはずだ。イーストウッドは映画がアメリカをどう定義したのかを、もしくは、アメリカが映画をどう定義したのかを、身をもって見せてくれている。
インタビューされているときの彼は、皮肉たっぷりで、地に足がついていて、注目を集めることに今なお当惑していて、温かい眼差しに満ちていて、作品を心理学的に分析されることを快く思わないながらも、自分ではもうすべて理解できており(「心理学的なたわごとを並べたてるとすれば、『許されざる者』はある意味わたしのキャリアを物語っている作品ということはできるだろうね」5)、その目は断固として過去でなく未来を見すえている。引退は単純にありえないことらしい。わたしとその話をしたときも、彼は少しだけ黙って、ここが(今いるカリフォルニアでなく)隠居先のロンドンだと想像してみながら、それでも「きっとパブでこの仕事をしてしまうんだろうね」6と答えた。冗談かと思ったが、彼は大真面目だった。イーストウッドは単なる有名人ではない。彼は生きるモニュメントなのだ。岩を切り出して作られ、長年ずっと風雨にさらされつづけたモニュメントなのだ。ライターのトム・ジュノーはイーストウッドについて「彼ほど先を急がない男はいない」と書いている。「馬たちが怯えないよう、ときが来るまでゆっくりと時間をかける。それにもかかわらず、ギャロップの速度で映画を作ってみせる。目下40本もの映画を」。
出典
1. Shoard, Catherine, Tom Hanks: Clint Eastwood ‘Treats Actors Like Horses’, Guardian, November 25 2016 〔キャサリン・ショアード「トム・ハンクス:クリント・イーストウッドは俳優を馬のように扱う」、ガーディアン紙、 2016年11月25日〕
2. Ibid
3. Junod, Tom, The Eastwood Conundrum, Esquire, 20 September 2012 〔トム・ジュノー「イーストウッドの難問」、エスクワイア紙、 2012年9月20日〕
4. Thomson, David, A New Biographical Dictionary of Film, Little, Brown, 2002
5. Nathan, Ian, Clint Eastwood on Clint Eastwood, Empire, July 2008 〔イアン・ネイサン「クリント・イーストウッドについてのクリント・イーストウッド」、エンパイア誌、2008年6月〕
6. Ibid
7. Junod, Tom, The Eastwood Conundrum, Esquire, 20 September 2012
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