はじめに
わたしはいま困っています。なのに少し嬉しい。歌詞になんらかの気持ちがあるあなたがこの本を手に取ってくれたからです。
はてわたしが何を教えられるのか、あらためて問いを立ててしまうと、やや体に良くないような気すらします。半世紀近く前にムーンライダーズというバンドのベーシストとして音楽の道を歩み始めました。バンドのために詞曲をつくり、そのうち詞だけ書いてという依頼もあらわれ、ソロ・アルバムも出すからと詞曲を手がけ、なし崩し的に歌詞づくりに携わってきたのです。誰からか何かを教わったこともなく、歌詞の作り方をいちばん知りたいのはわたしであります。
だから、正直にもうしあげましょう。この本はステップをこなせばひとつのよい詞ができていくような仕組みにはなっていません。それなりに詞を作ってきた人間が、いかに書けていないかを、手を焼きながら、愛おしいのに詞に翻弄されている姿を目撃してください。それでもわたしなりに詞を書きたいあなたの手助けとなるヒントを思いつくままに伝えました。たとえ詞を書かないひとでも、何かを生み出すときの心や行動の有り様を考え直すきっかけにもなれたら、と欲張りなことを期待してしまいます。
この本でわたしは全面的に詞と向き合おうと思います。考えていくのは詞を形作ることばについてです。話しことばでもなく、手紙文でもなく、企画書でもなく、かなり曖昧ですが「詩」でもなく、あくまで独立した「詞」を作り上げることばです。
その手のひらに乗った詞のことばたちはどのように誕生してきたのか。それらは自分の吐く息のように飛び出したことばなのか。それとも嘔吐のように苦し紛れであふれ出たことばなのか。または本当に絶望の淵に立って身を投げ出すかわりに漏れ出たことば、はたまた喜びすぎて狂喜乱舞して発せられた身に覚えのないことばなのか。考えに考え抜かれたどこにも隙のない、泰然とした、自分自身を丸々表現したことばなのか。
自分のことばを考える
書き連ねていけばいくほどさまざまな形相をしたことばが思い浮かんでしまいます。ただし、そのさまざまな形相にひとつだけ存在してはいけないものがあります。自分で咀嚼しないまま発した他者のことば、模倣のことばです。詞を書きたい、その詞を歌いたい、または歌ってほしいと思うくらいなのだから、あなたは音楽が好きで、いろんな音楽を聞くことでしょう。
そしてなんだかわからないけれど好きになってしまう歌の中のことばが必ずあるはずです。しかし、詞を作るにあたってそのことばをそのまま出してはいけないのです。いくら感動したからといって、そのことばは書いた人のものであって、あなたのものではないのです。感動という心の大きな揺らぎに惑わされてはいけません。
ことばには力があります。そのことばで形成された詞はより一層の力を持ちます。その底知れない力を前にわたしは幾度となく頭を垂れて、観念したことがあるのです。
一篇の「詩」をここにあげましょう。詩人、八木重吉の詩です。
うつくしいもの
わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「 ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ
八木重吉『秋の瞳』(1925)より
平明な文体の中に潜む、手のつけられないおごそかな領域を見せつけられると、わたしは勝手にひるんでしまいます。このひるみが今でも残響となってわたしの肉体のどこかで鳴っている。うつくしいものが「敵」であっても「及びがたい」ものであっても、存在を知ることだけで十分であるという詩人の気持ちに触れられたことだけで、小学生だったわたしの背筋は伸び、こんな短い詩を何度も何度も読みました。そして今もなお読めば同じ残響にさいなまれています。ことばの力は時間を超えるのです。
わたしはこの「うつくしいもの」から得られる残響こそ大事にしても、ことばを模倣したりはしません。ここにあげた「うつくしいもの」は詩であって、詩人は詞として書いてはいません。歌うということを想定していないのです。しかしこの詩から受けた爪跡はわたしの詞作に大きく影響しています。
自分が歌う歌、他人が歌う歌、ときにはそれらに何らかの主題が課せられた場合でも、真っ白な紙に使い慣れた鉛筆を用意することから始めましょう。鉛筆はわたしにとって八木重吉の「うつくしいもの」の残響の象徴です。真っ白な紙を前に、鉛筆は詞を書くための確かな準備をしてくれます。
そしてまずは背筋を伸ばし、目を閉じて大きく息をして肉体を静かにさせる。「うつくしいもの」を初めて読んだときの気持ちに自分を持ってゆく。
鉛筆は人それぞれが持っていることでしょう。この本を読んでみなさんがその鉛筆の存在だけでも見つけられるとわたしはうれしいです。
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