はじめに
人間生きていれば、悲しみは避けて通れないけど、その対処方法には実にいろいろある。激しく怒る、絶望する、叫ぶ、悲嘆に暮れる、すねる、泣くのもそうだろう。ただ、わたしたちが悩ませられているこのみじめで不完全な状態に向き合う最善の方法は、ある感情に落ち着くことかもしれない。それは、あわただしい現代社会ではいまだめったに語られることのない、「メランコリー」という感情だ。直面しているさまざまな問題の大きさを考えれば、いつも幸せであろうとするのではなく、もの悲しさに賢く上手に慣れていく方法を身につけることも同じように重要なはずだ。苦悩のしかたにも善し悪しがあると言ってよければ、メランコリーは、人生のさまざまな試練に直面する最適手段として、広く世に知られてもおかしくない。
まずは、メランコリーとは違うものをはっきりさせておこう。メランコリーは失望とは違う。メランコリーな人には、失意の人が潜在的に抱えている楽観主義が一切ない。だから、がっかりしたことに対して怒りでとげとげしいことばを吐かずにすむ。ごく若いうちから、人生の大半は苦しみだと理解し、人生観もそのように組み立てている。もちろん、だからといって、人生の苦悩や、不当さや、辛さを喜んでいるわけではない。それでも、本当はこんなはずじゃなかったと思うほど図々しくもなれない。
メランコリーは怒りとも違う。最初はどこかで交差していたかもしれないが、怒りはとうの昔に消え失せ、はるかに円熟し、もっと思慮深く、あらゆるものの不完全さに対してもっと寛大になっている。メランコリーな人は、辛いことや動揺させられることを、しかたがない、といった感じで「そりゃたしかに」と受けとめる。そりゃたしかにパートナーは別れたがっている(ようやく互いに慣れてきた矢先に)。そりゃたしかにもうすぐ廃業だ。そりゃたしかに友人は当てにならない。そりゃたしかに、かかりつけの医者からは専門医を紹介しましょうと言われている。こうしたまさにぞっとするようなことが人生には待ち受けている。
それでも、メランコリーな人は被害妄想にはならないようにしている。困ったことはたしかに起こる。でも、それは自分ばかりに起こるわけでも、自分がなにか特別悪いことをしてきたせいでもない。ごく普通に不完全な人間がある程度生きていれば降りかかってくること、それだけの話だ。幸運が長続きする人などいない。メランコリーな人は、やっかいな問題をずっと前から考慮に入れているのだ。
もっと言えば、メランコリーな人は皮肉屋とも違うから、身を守る手段として悲観主義を用いているわけではない。自分が傷つかないよう、なにもかもけなしてやろう、なんて思っていない。依然として、ちょっとしたことに喜びを見出し、小さなことのひとつふたつは──たまには──うまくいくかもしれない、と期待することができる。この世に確実なことなどないのを知っているだけだ。
メランコリーの根底には、あらゆるものが不完全であるという認識も、理想と現実の絶えまないギャップもあるだけに、メランコリーな人は、ふと浮かび上がる美や善に対する感受性がとりわけ鋭い。花に、絵本の心あたたまる描写に、見知らぬ人からの思いがけない親切に、古ぼけた壁に差しかかる夕日に、深く心を動かされることがある。
メランコリーな人がとりわけ苦しむのは、朗らかさが求められる環境だ。職場文化は辛く、消費社会は不快かもしれない。国や都市によっては、メランコリーな感情にほかより寛大そうなところもある。ハノイやブレーメンならメランコリーはごく自然でも、ロサンゼルスでメランコリーでありつづけるのはほぼ不可能だ。
この本のねらいは、メランコリーを復権させ、もっと重要かつ明確な役割を与え、もっと語りやすいものにすることにある。コミュニティの文明度は、メランコリーという感情に重要な役割を認める度合い──つまり、メランコリーな情事、メランコリーな子ども、メランコリーな休日、メランコリーな企業文化、といった概念を受け入れる用意がどのくらいあるかで説明できるかもしれない。ある時代──イタリアの十五世紀、日本の江戸時代、ドイツの十九世紀後半など──は、ほかの時代よりもメランコリーにどっぷりと傾いていて、それが高尚な感情だとみなされていた。おかげで、メランコリーな気分に陥っても、迫害されていると感じたり違和感を覚えたりすることが少なくてすんだ。目指すべきは、メランコリーな感情により通じている人を増やし、現代社会を受け入れることなのだ。
このあと、メランコリーをさまざまな角度から描いていく。読者のみなさんには、自分の経験に照らしてじっくりと考えてみてほしい。メランコリーなわたしたちだれもが潜在的に得意な作業だ。メランコリーが復権すれば、相手を知るもっとも誠実な方法は、思いやりと仲間意識をこめて単刀直入にこう尋ねることだとわかるだろう。「で、あなたはどういうときにメランコリーになりますか?」
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