ためし読み

『ホラー映画の科学 悪夢を焚きつけるもの』(はじめに)

「ホラー映画は好き?」

 『スクリーム』(96/ウェス・クレイヴン監督)の象徴的なオープニング・シーンで、電話の向こうの声が問いかけてくる。この問いに、あなたならどう答えるだろうか? 私は「イエス」だ。この本を手にしているということは、あなたの答えもきっと「イエス」だろう。でも、できればあなたにはケイシー(ドリュー・バリモア)のような状況に陥る前に、つまり知らぬ間に殺人鬼に侵入されてしまう前に、ドアに鍵をかけるだけの分別を持ち合わせていてほしい。

 あのシーンを最初に見たとき、あなたはどう感じただろうか。ホラー映画に関する簡単なクイズにも答えられないケイシーがもどかしかった? 自分なら正しく答えられたのにと思った? あの映画のポスターの中で一番有名な役者が、まだタイトルカードも出ないうちにあっさり死んでしまったことに衝撃を受けた?

 怖かった?

 そういう気持ちをひとつでも抱いたなら、あなたはひとりではないから安心してほしい。そう感じるように、最初から仕組まれていただけなのだから。

 
Scream | Official Trailer (HD) – Neve Campbell, Courteney Cox, Drew Barrymore | Miramax

 あなたが最後に映画館で見たホラー映画を思い出してほしい。その映画は怖かった? 面白いことに、ホラー映画を見たと誰かに言うと、真っ先に返ってくるのは「面白かった?」ではなく「怖かった?」という問いだ。

 人々が娯楽のために恐怖を求めることを、ホラー映画の長い歴史は物語っている(それをさらに裏付けるのが、幽霊ものやホラー系のビデオゲームの成功だ)。ホラーは苦手だと言う人の大部分は、特定のスタイルやジャンルのホラーが苦手なだけのことが多い。私の経験上、ちょっと話をしてみればその人のタイプがわかる。ホラーが嫌いというのはモンスター映画が嫌いという意味で、じつは「ファイナル・デスティネーション」シリーズが大好きだったりする。あるいはスプラッター、ゴア、ボディホラーは嫌いでも、ホーンテッドハウスや憑依ものには目がない人もいる。ホラーというジャンルは人間が感じる恐怖と同じくらい幅が広く、形態もさまざまだ。ホラーファンも同様に、オールラウンドなホラーマニアから特定の恐怖の味をこよなく愛する人までさまざまだ。そんな私たちホラーファン全員に共通するのが、怖いもの好きであることだ。

 

ホラーを定義する難しさ

 映画産業の創成期からホラー映画は存在し、いまでは劇場における確固たる足掛かりを築いている。わずかな予算での撮影を余儀なくされることも多々あったことから、ホラーはクリエイティブな映画作りの手法を生み出し、実写やデジタルの特殊効果やカメラ技術、音響、編集、物語的なストーリーテリングはあらゆるジャンルに影響を与えてきた。このように豊かな歴史を持つにもかかわらず、ホラーというジャンルは低級なものとして排除されがちだ。そして、ホラー映画が正規の映画界に闖入・・して賞を取ろうものなら、突如ホラーというジャンルから引き離される。『ジョーズ』(75/スティーヴン・スピルバーグ監督)『羊たちの沈黙』(91/ジョナサン・デミ監督)に起きたのがそれだ。史上最高のホラー映画と言われることの多い『エクソシスト』(73/ウィリアム・フリードキン監督)ですら、監督によればけっしてホラーとして製作されたものではないという。ちょっと磨きをかければ、ホラー映画予備軍も高尚なドラマに生まれ変わるということだろうか? ホラーに対して(たいていは非ホラー系の)映画制作者や批評家が抱く固定観念が、私には到底理解できない。ホラーとはこういうものだという決まりなどあってないようなもの、独自のルールを打ち破っていくのがホラーというジャンルなのだから。

 
The Exorcist | 4K Ultra HD Official Trailer | Warner Bros. Entertainment

 もっとも、ホラーの分類なら私たちホラーファンのほうがはるかに長けているというわけでもない。

 お互い現実的になろう。何をホラーと見なすか、ホラーファンはその要件に厳しいことで有名だ。1960年がホラーにとってすばらしい年だったのは多くが認めるところで、『血ぬられた墓標』(マリオ・バーヴァ監督)『血を吸うカメラ』(マイケル・パウエル監督)などの名作が登場した。そしてもちろん、ヒッチコックの『サイコ』もそうだ。この映画がホラーというジャンルに与えた影響は否定できない。ところが、『サイコ』はホラーのカテゴリーに加えるに値しないと考える人もなかにはいるのだ。ノーマン・ベイツはその猟奇的な行動とは裏腹に、批評家によるモンスターの定義には当てはまらない……彼はいかなる点でも超自然的な存在ではないから、というのがその理由だ(たとえばノエル・キャロルは、モンスターとは現代科学が定める「自然の秩序に反する存在」でなければならないとしている。この定義に従うなら、映画の文脈を排除してしまえば、ノーマン・ベイツにはモンスターにふさわしい特徴が備わっていないけれど、スーパーマンにはそれがあることになる)。最近では、一部で〝高尚なホラー〞と呼ばれる作品が増えてきて、多額の予算を投じ、批評家にも広く支持されるそのような作品を見ていると、ジャンルの境界線がわからなくなってくる。たとえば『ゲット・アウト』17/ジョーダン・ピール監督)『ヘレディタリー/継承』(18/アリ・アスター監督)『イット・フォローズ』(14/デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督)、そして『ウィッチ』(15/ロバート・エガース監督)などがそうで、恐怖をもたらすと同時に高尚な感性にも訴えかけてくる。これらは低予算の恐怖よりもホラーとして価値があるのだろうか。必ずしもそうではなく、それもホラー映画がとりうるひとつの形なのだと私は思いたい。

 スラッシャーはあなたが定義するホラーに当てはまるだろうか。ホラーはどうだろう。サイコスリラーは? ほんの少しでもホラーの要素があればホラー映画と言えるのか、それとも「トロープ」と呼ばれる独自の〝お約束〞をすべて満たさなければいけないのか。

 そうか、わかった。ホラーはどんどん広がっていくジャンルで、ときに圧倒されそうなほどの数のサブジャンルがあるということだ。どこで線を引くかは個人的な問題だ。それはわかっている・・・・・・。けれども私は門番にはなりたくない。あなたならこの本に出てくる例をホラーと見なさないかもしれないが、それはほかの人にとってはホラーかもしれない。私は自分自身がすばらしいと思う恐怖の瞬間と、その例となりそうな作品を選んだつもりだ。

 とはいえ、ホラーには誰もが認める不可欠な要素がいくつかあると思う。ホラーはたいてい人を怖がらせるためのもの、最低限でも鑑賞者を不穏な気分にさせるものと定義される。そういう情動反応を引き起こすことを〝約束〞している点で、ほかのジャンルの映画に比べて特別だ。ホラー映画はあなたに恐怖を与えることを約束し、各映画の成功は、その約束を果たすかどうかにかかっている。たしかに、悲しい気持ちにさせたり感動を与えたりするのが狙いのドラマ映画や、笑いのツボをくすぐりたいコメディ映画もあるが、たとえ泣けなくても、ジョークがあなたのユーモアセンスに響かなくても、映画そのものは楽しめる。けれども、「怖くはなかったけど、すごく良い映画だったね!」なんて言いながら劇場から出てくる人などめったにいないだろう。ホラー映画が怖くないなら、なんの意味があるというのだろうか?

 じつは、ホラー映画の恐怖には多くの仕掛けがある。ホラーは鑑賞者の心理学的・生理学的システムを利用して、私たちを戦慄させる瞬間を作り上げる。すると今度は鑑賞者である私たちが、ホラー映画と連携して緊張感を生み出し、自ら恐怖を作り上げるのだ。ホラーは私たちに共謀者であることを求める。そしてこの共謀関係によって、つまり私たちがジャンルとしてのホラーに加担することで、ホラー映画を見るために座席に着くと、これから目にするものへのきわめて明確な期待感が高まっていく。

 ジョン・カーペンター監督はこれを、「人々が見たいのはそれだ。彼らは同じ映画を何度も見たいのだ」という表現で捉えた。この場合の〝同じ映画〞とはシリーズのことを言っているのだが、その気持ちはホラーというジャンル全体に通じると思う。アンドリュー・ブリットンはこの現象を、リンダ・ブレア主演のスラッシャー映画『ヘルナイト』(81/トム・デ・シモーネ監督)に触れながら、より詳細に描写している。

観客はみな、その映画のどこで何が起きるかを知っていた。登場人物がどの順番で消されるかもわかっていた。さらに予告編までついていて、実際の映画が始まる数分前にドラマチックなシーンがエキサイティングに映し出された。このように・・・・・完全な予測が・・・・・・可能であっても・・・・・・・退屈や失望が・・・・・・生み出される・・・・・・ことはなかった・・・・・・・それどころか・・・・・・明らかにその・・・・・・予測可能性こそが・・・・・・・・楽しみの主たる・・・・・・・源であり・・・・唯一失望する・・・・・・とすれば・・・・そのお決まりの・・・・・・・繰り返しに・・・・・変化が生じた・・・・・・ときだろう・・・・・。(強調は筆者による)

 これは興味深い。

 最高のホラー映画とは、階段を歩いたり明かりを消したりするのが不安になるような映画だ。指のあいだから覗くようにスクリーンを見て、その晩は眠れなくなるような映画だ。

 ホラー映画が人に与える影響を、私は細かく分析してみたい。恐怖を作り上げる人たちは、どのように科学を活用して鑑賞者を怖がらせるのか。私たちの脳や身体はどう恐怖に向き合うのか。また、論理的に考えれば、スクリーンに映し出されるのは回避すべきシナリオであって、喜んで身を晒すべきものではないのに、私たちはなぜさらなる恐怖を求めて何度も映画館に足を運ぶのだろうか。

 この本の執筆中、私はホラー映画研究家や歴史家、監督、作曲家、映画編集者など、この世界に携わるさまざまな人たちと膝を交えて語り合うという幸運な機会を得て、制作者として、また見る側としての、このジャンルに対する彼らの視点を細かく分析することができた。すると、ほぼすべての会話に通じる共通点が浮かび上がった。それは、ホラー映画作りには共感、同情、同一視の要素が必要だということだ。私たちがホラー映画を見ているときの認識自体は脳が化学信号を発することで生まれる認知現象のひとつなのだが、これは制作者の情緒的ストーリーテリングによって作られたものだ。

 私はホラー映画を成立させるあらゆる要素について、その方法や理由を探りたい。ホラーの何が私たちをぞくぞくさせるのか。もっとも効果的なモンスターや恐怖とはどういうものなのか。音や映像が果重要な役割とは何か。時を経ても古びない映画と、古臭く・・・なってしまう映画があるのはなぜなのか。ひとりのホラーファンとして、私はこの調査を通じて、ホラー映画にたびたび登場するお約束への認識が深まった。また科学者としては、スクリーンに映し出されるたんなる・・・・映像に自分がなぜあれほど怯えるのかが理解できた。

そういうわけで、ここで改めて尋ねる。

ホラー映画は好き?
その理由を、あなたは考えたことがある?

※U-NEXTで見放題配信中の作品については、作品名のリンク先から見ることができます(2024年8月2日現在)。本書と併せてぜひご視聴ください。

※続きは本編でお楽しみください
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ホラー映画の科学

悪夢を焚きつけるもの

ニーナ・ネセス=著
五十嵐加奈子=訳
発売日 : 2024年7月26日
2,500円+税
四六判・並製 | 352頁 | 978-4-8459-2304-5
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ホラーの哲学

フィクションと感情をめぐるパラドックス

ノエル・キャロル=著
高田敦史=訳
発売日 : 2022年9月24日
3,200円+税
四六判・並製 | 500頁 | 978-4-8459-1920-8
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