ためし読み

『〈ツイッター〉にとって美とはなにか SNS以後に「書く」ということ』後編

第1章  ケータイを失くす/菅谷規矩雄の『詩的リズム』【後編】

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なぜ「リズム」はSNSの問題になるのか?

『詩的リズム』において菅谷は、「等時拍」という原理自体が存在しなかったかもしれないはるか古代におけるコトバの在り方からはじめ、テンポの変化による構造化が「抒情詩」を可能としはじめた記紀万葉の詩型をチェックし、そしてそこから遠く、近代ニッポンにおける唱歌・軍歌における「行軍的リズム」や、そのような軍歌的律動に対するアンチとしての、中原中也における「三拍子」の存在までを辿ってゆく。彼は〈発生の本質が現存をつらぬく〉と述べる。コトバが発生し、それが「詩」というフォームを生み出し、そしてぼくたちはいまでも、万葉の昔からあいもかわらず、書いたり話したりしながら生活を続けている。「個体発生は系統発生を繰り返す」という言葉もあるが、日本語における「五七・七五」調の定型律を単なる「伝統」としてではなく、現在でもぼくたちの聞く・話すことを統御している「リズム」的原則の問題として考え得たところが、『詩的リズム』のおもしろさであった。

そして、この論をもっぱら「唄う歌」に応用することから、ぼくも先日上梓した『歌というフィクション』(2023)を書きはじめてみたというわけだが、さて、いま書かれているこの本において取り上げたいのは、SNS上の「日本語における言語活動」についてである。

たとえば、ツイッターのページを開いて、「いまどうしてる?」というボックスに表示されている「トレンド」の一つをクリックして、そこにあらわれる投稿をクリックしながらしばらく辿っていると、以下のような書き込みに出会うことが出来た。

■【悲報】テレビ朝日さん、大晦日にトチ狂うwwwwww

表示されている文字は、オリジナルは横書きである。引用は直接当該画像をキャプチャーして貼るのがベストだろうが、まあ、こんな感じの書き込みがありまして……ここで打たれている「w」は、ネット上では「草が生える」と呼ばれる、インターネット/SNSにおける独特の表現である。このwwwwの連打は菅谷的な論点から見るならば、どのような原理に則ったものと考えることが出来るだろうか。

インターネットに現れる詩的リズム

もう少しいろいろと、ツイッターのタイムラインなどを辿って、インターネット上に書き込まれている言述をしばらく眺めてみる。ぼくが自身のPCで、シーズン中ほぼ唯一定期的に目を通しているサイトは『ベイスターズ速報@なんJ (*^○^*)ベイスターズまとめブログ』(http://nanjde.blog.jp)である。いわゆる、ニッポンのプロ野球情報を共有しながらみんながあーだこーだデジタル掲示板に書き込んだものを抜粋したいわゆる「まとめサイト」だ。現在は2023年のストーブ・リーグの真っ最中なので、トピックには「横浜スタジアムに新たなグループ席が登場!」とか「DeNAドラ5橋本選手、偏差値70超の公立校で…」とかいった内容が並んでいる。

前述した「wwwwww」的な書き込みもさまざまに見うけられる。ちょっと覗けば実例に事欠かないのでいちいち挙げないけど、「wwwwww」の使用率は記事のタイトルに多くて……というよりもこうしたネット独自の表現はそもそも、二〇〇〇年前後からサービスがスタートされた、匿名での書き込み&集団での閲覧を基本スタイルとする「掲示板」や「コメント欄」において発生し、その後、スマホ&SNSの普及にともない一般層にも広がっていったものが多数であるだろう。

「wwwwww」は普通の使い方(?)だと、「その記述者が笑っている」ことを示す書き込みである。おそらく、最初は「(笑い)」だったものが「(笑)」になり、その後「わらい」をローマ字入力する際の最初の打鍵である「w」だけになって、さらに一発打つだけでは満足できなくなって、爆笑の表現としてwwwwwwwwwwwwという連打——これを「大草原」と呼ぶ——になったのだろうと思われる。

なにかキトクな情報や画像を見た人が吹き出しながら「ちょお前待てwwwwwwwww」みたいに書き込む、というわけであるが、単に笑っていることを示すだけなら「(笑い)」でいいところそれがwwwwwwとなり、またその表現がすっかり定着してしまっているのは、まさに〈発生の本質が現存をつらぬく〉事態であるだろうとぼくは思う。ここにはおそらく、何かを表現したい主体が自身の書いたコトバに対して感じた不充足感が存在し、それをなんとかフォローするために追加した「定型」がwwwwwwなのだ。

菅谷によれば、日本語による詩作品を支えている最大の形式は「テンポの変化」である。七五調に代表される定型音律は減速と加速を引き寄せるその構造によって、誰かにコトバの意味を伝えるために必要な「等時拍」的なリズムの存在をその表現の裏地に縫い込ませる機能が備わっている。そして、おそらく、ツイッターにおける「wwwwww」は、七五調による「テンポの変化」を代用するような表現=形式なのである。

このwには母音がない。きわめて直接的な打鍵によっておこなわれる書字のカタマリであり、ぼくたちはキーを押しっぱなしにすることで画面上に無限に草を生やし続けることが出来る。aiueoという母音をカットすることによってこのwは、「輪」や「和」や「を」や「we」といった「意味」へと辿り着かずに、つまり、その背後に「音」や「文字」や「文章」を備えていないまま、それを打った人のアクションに密着したスピード感でもってモニターの上に定着される。

ツイッターおよびネットの書き込みにおいてwwwwwwを連打している書き手は、おそらく無意識的に、この連打によって生まれる「加速化」=「テンポの変化」をここで自身の表現に導入していると考えることは出来ないだろうか。ただ「おい待て」と書くだけでは伝えられない自身の興奮を、意味をカットした文字の連打というアクションで表現すると同時に、「テンポの設定」→「wwwwwwによるその加速」→「唐突な終止」という「リズム的形式」を与えることで、その表現に構造を備えさせること——つまりwwwwwwによって書き手は読み手に対して、自身が表現したいと思っている意味を支える「詩的リズム」の提示をおこなっているのである。

リズムが支える言語の共通性

定型を踏まえない言葉からは抜け落ちざるを得ない「リズム」の存在を示し、その共有へと読み手を誘うこと。wwwwwwとはそのような欲望を備えた表現であって、ここには具体的な「聞き手」が目の前に存在しないまま、ただ一人モニターに向かって「つぶやき」という言語活動をおこなっている人が感じる不安と興奮が綯交ないまぜられているように思う。

ぼくはここで菅谷が分析の対象とした詩作品とツイッター上への書き込みを同等な表現として扱っているが、菅谷の提示した「等時拍」「無音の拍によるグルーピング」「音節数の組み合わせによるテンポの変化」という日本語における表現の原則は、もっぱら「散文」によって書かれるツイッター上の短文においても十分に適用されるものだろうと思う。言葉を書き、または喋ることによって何かを伝えようという欲望から生まれるすべての「言語活動」は、やはり、〈発生の本質が現存をつらぬ〉いて立ちあらわれる。現在のSNS上の表現は、もしかすると、のちに七五的な定型を産むに至るまでの長い長い過程の中にある——はるか古代の、万葉の詩篇として書き留められないまま失われた、さまざまな詩的実践の現在系なのかもしれないのである。

菅谷は、自身が生理的に拒んでいた定型=〈七五調〉=「リズムの提示」について、中原中也における「口語性」と「七五音律」との関係について分析しながら、以下のようにも述べていた。

七五調は、近世の日本において、いわばゆいいつの〈共通語〉あるいは〈標準語〉のごときものであった。武士階級はともかく、しかしそれでも当の武士社会をものみつくすごとくにして、七五調は全社会・全階層に言語の共通性として遍在していた。[…]
たぶん、七五調の口語的な素性の、つかのまの新しさに応じた度合いだけ、中原は七五調の風土的呪縛から自由でありえた。すくなくとも大衆性というかぎりでは、中原のことばのこの種の自由さは存外長命でありうるかもしれない——藤村の七五調を愛唱する高校生など、今どきひとりもありそうもないが、「汚れつちまつた悲しみに……」は、かんたんには若い人びとの心からも消えそうにない。(『近代詩十章』、144頁)

ある言葉の意味を支える共通性としてのリズムの存在——その剥き出しのあらわれがwwwwwwwであるだろう。そしてそれはおそらく、昭和にあっても詩を書くために必要とされた、菅谷が自身の詩作から徹底して遠ざけようとした、近世的七五調と同じような〈風土的呪縛〉のひとつなのかもしれない。

ところで、菅谷が展開している論の基盤には、「リズム」の存在を〈言語活動を成り立たせるもっとも源本的な場面〉と設定した、時枝誠記ときえだもときによる「言語過程説」が存在している。

時枝はその著書『国語学原論』(1941)において、言語活動を支える条件として〈主体〉〈場面〉〈素材〉の三つを提示した。菅谷の「詩的リズム」論もこの時枝の三条件を引き継いだものであり、特に時枝の「場面」に関する解説は、SNS上で現在ガンガン燃え盛っているもろもろのトラブルにそのまま適応出来るようなものであるように思う。

菅谷の論から引き継いで、次は時枝誠記の「言語過程説」を取り上げてみることにしたい。

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〈ツイッター〉にとって美とはなにか

SNS以後に「書く」ということ

大谷能生=著
発売日 : 2023年11月25日
2,200円+税
四六判・並製 | 344頁 | 978-4-8459-2310-6
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