現代を代表する巨匠のひとりとなったクエンティン・タランティーノ。これまでの軌跡を網羅的に紹介した『クエンティン・タランティーノ 映画に魂を売った男』が6月26日に刊行されます。
幼年期から青年期の映画への熱狂から、『パルプ・フィクション』での批評的・興行的成功を経由し、孤高の最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に至るまで……。映画にすべてを売り渡した天才の魂をめぐる最新評伝。
今回のためし読みでは、本書の「まえがき」全文を公開いたします。
まえがき
「映画の鼓動は人の鼓動と同じでなければだめ……」[1]
──クエンティン・タランティーノ
クエンティン・タランティーノの2本目の映画をイギリスのマスコミがようやく観ることができたのは、1995年の夏の終わりだった。私たちはそのときようやく、自分たちが相手にしている者のすごさを理解した。もちろんさまざまな噂は誰もが耳にしてはいた。前年の春にカンヌで大勝利をおさめた元レンタルビデオショップ店員にまつわるあの喧伝を聞き逃すことなど不可能だったのだから。
実際の話、この時アメリカとヨーロッパの両大陸で巻き起ころうとしていたタランティーノ現象は、私たちイギリスのマスコミにも周知の事実だった。私はその2年前にロンドン映画祭で『レザボア・ドッグス』の惨憺たる試写会に出席していたが、Mr.ブロンドがカミソリを振るったところで、嫌悪感に口を曲げながらかなりの人数の観客が立ち上がり劇場を後にしている。一方で、残った私たちの方は、ゾッとしながらも心を奪われ、座席で身動きひとつとろうとさえしなかった。『レザボア・ドッグス』は凄みのある作品である、という事実は誰もが認めるところだろう。しかしロンドンで『パルプ・フィクション』が上映されたあの夜の試写会は別格で、私にとっても、あんな体験をしたのはあの一度きりだ。それは礼儀正しい映画の上映会などではなく、アドレナリン沸き立つロックコンサートか、容赦なく急上昇しては急降下するジェットコースターか、または、ハードなドラッグを一発かましたようなものだった。それはアマンダ・プラマーが狂ったように拳銃を振り回し、ディック・デイル&デルトーンズが奏でる「ミザルー」(最後までしっかりとそして軽薄に残り続けるあの楽曲)のサーフ・ギターの音色が波うった瞬間からタランティーノオタクとなった者たちの、アルファギーク友愛会入会儀式といったところだ。コンセントに差し込まれて感電したかのように、自然発生的な喝采があの会場を渦巻いた。
上:『レザボア・ドッグス』の撮影時にハーヴェイ・カイテルと会話するクエンティン・タランティーノ。この映画はタランティーノの監督処女作だったが、これほどの蒼々たる顔ぶれを相手にしても平然と仕事をしていた。彼のDNAにはフィルムメイカーとしての自身の才能にたいする強い信念がしっかりと書き込まれているに違いない。
ヴィンセント(ジョン・トラヴォルタ、その手は観客の涙をさそうほどビビって震えている)が、ミア・ウォレス(ユマ・サーマン、彼女の青白い顔は血とヘロインで汚れている)めがけて、サイの皮膚さえ貫けそうな皮下注射針を突き立てようと構えた時、そこには純粋な悲鳴が沸き起こったが、その畏怖とスリルは、特殊効果によって生み出されたものではない。それは恐ろしさとユーモアが入り混じった何かによって生み出されていた。私たちは腹をよじって笑ったのだ。
その夜、私たちは劇場を後にしながら、まるで覚醒したような気分になっていた。
1作目から、そしてあの2作目でも、また今でもずっと、タランティーノはまったく彼独自のやり方を曲げることなく作品を創作するアーティストだ。たとえ頭に銃を突き付けられたとしても、創作のルーティンを変えることなどできないのだろう。
タランティーノはタランティーノにしかなり得ない。おしゃべりな性格という値札のついたあのクエンティン・タランティーノにしかなり得ないのだ。
彼の逸話は伝説になった。カウンターに座り、カルト映画の名作やヨーロッパの映画作家の肩を持って論じていたカリフォルニア州マンハッタン・ビーチにある一風変わったレンタルビデオ店から、一夜にして、マーティン・スコセッシ以来のダイナミックな映画の代弁者となった。もちろん実際のところは、それよりもずっと複雑で、ずっと興味深い成り行きなのだが、要点としてはまあ間違ってはいない。この伝説は希望を抱くアウトサイダーたちに一縷の望みをもたらせている。
そこがタランティーノ伝説のカギで……彼には楽観主義がついて回っている。彼は映画オタクたちの救世主となった。
上:ユマ・サーマン演じるミア・ウォレスと「5ドルもするミルクシェイク」。『パルプ・フィクション』の大勝利によって、タランティーノが単なる一発屋ではなく、芸術と商業を結びつける革命児であることが明らかになった(しかも彼は今なおそれを継続中だ)。
代弁者たる彼は、ものすごい数の映画で出来上がった人間だ。これまで作られた全ての映画を彼は観たのだろうか? そこまでではないにせよ、それに近いところまでいっているのではないだろうか。彼の血管には映画フィルムが流れている。カミソリで切ったら、きっと映画が流れ出てくるのだろう。彼の(今のところの)一番のお気に入り映画は『続・夕陽のガンマン』だが、どんな作品も拒むことをしない彼は、ドライブインシアターで上映されるどぎつい煽情的な映画にも、単館上映の珠玉の芸術作品と同じくらい多くの良さを見い出すことができる。
ありがたいことに、彼はずっとそのカルトぶりを保ち続け、成熟させて続けていて、決して妥協はしない。彼のベスト作品とは常に彼の最新作であり、私がこの章を書いている現時点では、最新作にあたる8作目の『ヘイトフル・エイト』(2015)がベストだ。彼は矛盾で出来上がっており、その矛盾はハリウッドには決して解くことができないものだ。彼は矛盾で出来上がっており、その矛盾はハリウッドには決して解くことができない矛盾だ。芸術と商売、馬鹿話と人間性、暴力と笑い、それぞれが結ばれたマリアージュ。どのストーリーも、巧みな術策が凝らされていながらも、リアルに感じられるものばかりだ。映画というイリュージョンに人生のリズムを吹き込み、そこから何が生まれるのかを見極める才能が彼にはある。
彼はいつも大好きなジャンルを歪曲させながらそこに自らのストーリーを入れ込んでいる。そんな彼がいつも規範としているジャンルは、犯罪映画、ホラー映画、ウエスタン映画、戦争映画(それらに属するサブジャンルも含む)だ。とは言いながらも、本質的には、人間の愚行や差別意識について描いた映画であったり、コミュニケーションや言語や暴力や人種や暗黒街の倫理や正義の怒りを描いた映画であったり、形態を作り直しながら時代と共に舞い踊ることを描いた映画であったり、アメリカという名の大難問を描いた映画であったりもする。
大勢のフィルムメイカーが自らの創作プロセスについて語ることに苦しむものだが、それとは違い、インタビューされるタランティーノの答えは超明瞭だ。どの問いに対する答えも、すでに頭の中で書き上げた自伝の一節を引用しているかのように明快なのだ。タランティーノであることについて、タランティーノ以上に適した存在はいない。そこには滝のようにあふれる自我があり、また、それに見合うだけの精力がある。
ただし、気をつけなければならないのは、彼自身もまた自らの神話を作ろうとしているという事実であり、実はそこが面白いところでもある。本書は彼のこれまでのキャリアを祝福する本であると同時に、まだ比較的少ないと言える彼の作品同士の繫がりや繫がりのなさについての答えを、また、彼のインスピレーションとなっているあらゆるものについての答えを一気に噴き出してくれる消火栓がどこにあるのかを解読しようという試みでもある。
彼が有言実行の徒であることについては議論の余地はない。作品を作る度に新たな何かを加え、論争を求めながら(そしてまた、暴力、人種差別、倫理観の汚染[彼の映画は見かけによらずとても倫理的だ]についての非難を面倒くさそうに払いのけながら)、彼はこの25年の間、映画界屈指の意味深く忘れがたい作品を作り続けてきた。
『パルプ・フィクション』でトラヴォルタが演じるひどくせんさく好きな殺し屋ヴィンセントの言葉を借りるなら、それは「プリティ・ファッキン・グッド・ミルクシェイク」[2]なのである。
[出典]
1:Gavin Smith, Film Comment, August 1994.〔ギャヴィン・スミス、「フィルム・コメント」誌、1994年8月〕
2:Quentin Tarantino, Pulp Fiction Original Screenplay, Faber & Faber, 1994. 〔未邦訳:クエンティン・タランティーノ、『パルプ・フィクション オリジナル・スクリーンプレイ』〕
(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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