ためし読み

『細部から読みとく西洋美術  めくるめく名作鑑賞100』

『オフィーリア』ジョン・エヴァレット・ミレイ、 1851–52年、 油彩/カンヴァス、 76×112cm 、テート・ブリテン、ロンドン、イギリス

①オフィーリア
『ハムレット』第4幕第7場から、恋人のハムレットに父親を殺されたことで正気を失ってしまったオフィーリアを描いたものだ。モデルは、のちにロセッティの妻となるリジー・シダルである。炎のように赤い髪と青白い肌の彼女は、ひとり静かに歌を口ずさみ、このまま下流へと流されて溺れ死ぬことになる。頰の近くにあるピンクのバラは、兄のレアティーズが彼女を「5月のバラ」と呼んでいたことを暗に示している。スミレの花の首飾りは純潔を表す。

②背景
1851年7月、ミレイはサリー州イーウェルのホグスミル川のほとりで、この絵の背景を描き始めた。3本脚の小さなイーゼルを使い、1日11時間、週6日、5か月以上にわたって、自然に忠実に描き続けた。11月になる頃には風雪がひどくなったため、ミレイは家畜用の囲い4枚を藁で覆って自作した小屋の中から描いたという。

③ドレス
ミレイは絵の背景を完成させたのち、オフィーリア像を描いた。ドレスを描く複雑な作業は、 ロンドンのアトリエで行なわれた。リジーは4か月間にわたって、この重いドレスを着て、水を張った浴槽に横たわり続けた。水は下からオイルランプで温めていたが、あるとき、ミレイがランプの火が消えたことに気づかなかったため、リジーがひどい風邪をひいた。彼女の父親が、治療費の支払いを求める手紙をミレイに送っている。

④花々
『ハムレット』の中のオフィーリアは、川辺で花を摘みながら入水する。ここでミレイは、花のもつ象徴性から、特定の花々を選んで描いた。1年のうちで咲く時期の異なる花がたくさん含まれているが、いずれも植物学的な細部までもが丹念に描き込まれている。ヒナギクは見捨てられた愛、苦痛、無邪気さを連想させる。パンジーはかなわぬ愛を象徴し、赤いケシは死と眠りを、またワスレナグサは追悼を意味する。

⑤コマドリ
絵の左端には、赤い胸が特徴的なコマドリが柳の枝にとまっている。柳の樹は見捨てられた愛の象徴であり、枝の周りに生えているイラクサは痛みを表す。このコマドリは、画面に赤い彩りを添えるとともに、おそらくは正気を失ったオフィーリアが口ずさんでいる「愛らしいコマドリは私の歓びのすべて」という歌詞にちなんだものだろう。

⑥長い紫
この紫色のルースストライフの花は、シェイクスピアが書いた「長い紫」という言葉を連想させるが、本来この言葉は紫蘭を意味していた。ルースストライフの左側にあるセイヨウナツユキソウの花は、オフィーリアの死の無意味さを表す。当時の画家たちは、史上初めて、チューブ入りの既製の絵具を買えるようになっていた。ミレイのパレットには、コバルトブルー、ウルトラマリン、プルシアンブルー、エメラルドグリーンが含まれている。

⑦手法
ミレイが用いたラファエル前派の技法のひとつに、カンヴァスに白い絵具で地塗りをし、その白い下地がまだ湿っているうちに、鮮やかな色彩を小さな筆で施すというものがあった。フレスコ画の技法と同じで、その日の作業に合わせて白い下地を新たに塗る手法である。その上に薄く溶いた透明な絵具を塗り重ねるグレーズ技法を用いることで、画面に降り注ぐ光の効果を強めたのだ。

いかがだったでしょうか。≪オフィーリア≫について、いままでよりぐっと詳しくなれたかと思います。本書ではその他の作品についても大きな図版で、詳細にじっくりと見ることができます。「時間を気にすることなく、専門のガイドがつきっきりで説明してくれる」のがこの本のコンセプトですので、ゆっくりと作品に触れてみてはいかがでしょうか。

作品をクローズアップすることで初めて見えてくる、細かな表現や作者が込めた意図、時代背景や制作手法などを知ることができる唯一無二の本です。ぜひお手にとってご覧ください。

※掲載しているすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。