ためし読み

『フィールド・レコーディング入門 響きのなかで世界と出会う』

第4章 聞こえない音を録る

本章では人間には物理的、周波数的に聴くことの難しい音(振動)を録る方法やそうした音に焦点を当てた作品について紹介したい。本章で取り上げる「聞こえない音」とは、固体の振動、水中の音、超高周波(超音波)などである。こうしたそもそも人間には聞こえない音を録音することにどんな意味や面白さがあるのだろう。人間には聞こえない音を録音しても、結局人間には聞こえないのであれば意味がないのではないか? そんな疑問を持つかもしれない。

我々は人間の耳に聞こえる範囲の「音」の世界にではなく、身体やモノを通して感受される(あるいは感受できない)「振動」、「波動」の世界に生きている。そして、人間には聞こえない多様な振動を特殊なマイクを通して観察、録音し、それを聴くプロセスを通して、普段見慣れた「世界」がまったく異なる様相を呈することに気がつくはずだ。そうした体験から我々が存在する世界や環境に対する認識、そして我々自身の身体と環境との関わり方も変わっていくかもしれない。それは言い換えれば、人間中心的な「世界」の眺めから、他の生物や非生物(モノ)の視点を通して「世界」を観察するような脱人間中心的な視点へと我々を誘うのである。

ではなぜ人間以外の視点を考えることが重要なのか。例えば、温室効果ガスの増大による地球規模での気候変動とそれに伴う自然災害、原発事故と核廃棄物の処理問題など、近年人間の過度な経済活動に伴う弊害が顕著となり、人文・社会科学分野でも脱人間中心主義的な思想がひとつの潮流となり、これまでの人間中心的な「自然」やモノとの関係性を脱却するための方策を世界全体で考えていくことが現代社会における喫緊の課題となっている。すなわち、我々一人ひとりの自然やモノに対する認識や関わり方自体が問われているのだ。その際に、人間には聞こえない「振動」を通して「世界」を観察する経験は、我々のもつ固定的な自然観、モノ観、人間観に揺さぶりをかける。それは我々の生き方そのものを変えるような契機となりうるのだ。本章では、このような「振動」の世界に録音という行為を通して接近するさまざまな手法について具体的な作品を挙げながら紹介していきたい。

固体の振動を録る

音とは物質中を振動(波)が伝わっていく現象である。この振動を伝える物質を媒質と言い、媒質には気体、液体、固体などさまざまなものがある。また媒質の種類によって振動が伝わる速度は異なる。例えば、我々が普段聞いている音(空気振動)は秒速約340メートルで進むが、水中の音は秒速約1,500メートル、鉄を伝わる音は秒速約5,000メートルで進む。つまり、空気中の音より、水中は5倍近く、鉄を伝わる音は15倍近く速く進むのである。したがって、例えば、遠くから電車が近づいてくるときに線路がカタカタと音を立てる振動は、電車の走行音が空気中を伝わって耳に届くよりもずっと速く伝わるのである。ちなみに媒質は、基本的に硬いものの方が音の伝わる速度が速く、鉛が秒速約2,000メートル、コンクリートが秒速約4,000〜5,000メートル、ダイヤモンドは秒速10,000メートルを超える。

ここで紹介する録音の対象は、固体伝搬音(固体音)と呼ばれる固体の振動によって生じる空気振動のことではなく、固体中を伝わる振動そのものである。この固体中を伝わる振動は物体に直接耳をつけたりしない限り人間には通常聞こえない音である。空気振動は、媒質の振動する方向が波動の進行方向と同じであり、これを縦波と呼ぶ。一方、固体中を伝わる振動はこの縦波に加えて、媒質の振動方向と垂直に波動が伝わる横波を伝える。また固体中を伝わる波動の速度は、先述した物質の種類だけでなく、物質の形状や状態(温度・密度・圧力)によっても変化する。したがって、固体の振動からは我々が両耳を通して知覚する空気振動としての音の距離感、位相、広がりとはまったく異なる形で音場が形成される。つまり、固体の振動を録音する行為は、すでに述べた人間の聴覚とマイクロフォンが捉える音の乖離を前提とするフィールド・レコーディングの可能性をさらに別の次元へと拡張するような試みなのである。

固体の振動は空気振動を捉えるエアマイク(一般的なマイク)では録音できないためコンタクトマイク(contact microphone)と呼ばれる特殊なマイクを使って録音する。これは圧力の変化を電圧の変化に変換する圧電素子(ピエゾ素子)などを使用したマイクロフォンのことである。例えば、医者が患者の体内の音を聴くときに使う聴診器、アコースティック・ギターをアンプに繫ぐために使うピエゾ・ピックアップもコンタクトマイクの一種である。コンタクトマイクは、固体に伝わる微細な振動の変化を電気信号に変換するものであり、空気中の振動は基本的に拾わない。またコンタクトマイクは物体にしっかり密着させて使う必要がある。その適切な方法は密着させる物体によっても異なるが、例えば、両面テープや粘着ラバーで密着させたり、金属製のクリップ、クランプなどで物体に固定するなどの方法がある(写真4 -1)。上述したように、固体中は振動の伝わる速度が非常に速く、またその伝わり方が空気中の振動(音)と異なるため、同じ物体でもコンタクトマイクを設置する箇所を少し変えるだけで記録される音は大きく変化する可能性がある。

写真4-1:農場のワイヤーにクランプで固定したマイク

またコンタクトマイクと類似したものに、ジオフォン(geophone)と呼ばれるものがある。これは地中の振動を電圧に変換するマイクロフォン(センサー)で、主に地震の探査などの科学的な目的で使われる。ジオフォンはとくに低周波に対する感度が高い。したがって、さまざまな固体(モノ、地面など)の微細な振動を録音することが可能である。最近では、フィールド・レコーディング用途に製品化されたものも販売されている。

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フィールド・レコーディング入門

響きのなかで世界と出会う

柳沢英輔=著
発売日 : 2022年4月26日
2,400円+税
四六判・並製 | 304頁 | 978-4-8459-2124-9
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