ためし読み

『クリティカル・ワード ポピュラー音楽 〈聴く〉を広げる・更新する』

はじめに

Spotify が自動生成した私仕様のプレイリストをスマートフォンと同期したBluetooth イヤホンで聴く。SNSで話題になっていたヒットMVを自宅のパソコンで検索し、YouTube のレコメンデーションをたどる。ラジオは朝からパワープレイを繰り返し、テレビは人気グループを番組に呼んで新曲をPRし、アナログ・レコードやカセットテープはエイティーズの楽曲とともにリバイバルしている。ライヴハウスやクラブで生演奏やDJを聴きながらお酒を飲んだり、夏フェスに参戦してライヴを背景にキャンプ飯を楽しんだり、コロナ禍を経た現在ではそれらの配信を自宅で楽しむこともできる。そうやって能動的に聴こうとしなくても、YouTube に挟まる広告動画で、定食屋のテレビから流れるCMで、ショッピングモールの店舗BGMで、繁華街をゆっくり流すアドトラックで、交差点で歌うストリート・ミュージシャンの横で、日常生活のあらゆるところで私たちは「ポピュラー音楽」を耳にする。

本書のタイトルともなっているこうした「ポピュラー音楽」は、特定のジャンルを指したり、確固とした様式が定義されたりしているわけではなく、それ自体が緩やかな広がりをもった多様な音楽性の集合体となっている。つまり、ポピュラー音楽と名指される文化実践は、必然的に多様な出自をもってしまい体系化されづらい。本書は、そんな幅広い様式をもったポピュラー音楽を考えるために、学際的にさまざまな角度から説明しようとする論考の集合体として編まれた、ポピュラー音楽とその研究に関わるキーワード集である。

音楽批評や音楽ジャーナリズムも含めれば、ポピュラー音楽を取りあげたキーワード集やディスクガイドは毎年のように世に出ている。だが、本書は学術的な知見をキーワード選定のための足掛かりとし、いわゆる「音楽好き」の言説に既存の研究の視点を接合しようと試みている。ポピュラー音楽研究と呼ばれる学術領域には一定の歴史と成果の蓄積があるが、じつは日本語で読める包括的なテキストが2010年代以降はなかなか見当たらない。まずはその点を踏まえ、21世紀のポピュラー音楽研究の動向を概観できるようなテキストをつくろうと考えた。その際、体系化したテキストをつくるには障壁となってしまうポピュラー音楽研究ならではの学際性・多様性をむしろポジティヴに引き受けながら、とはいえ論点を網羅的に並べようとするのではなく、われわれ編者の議論を踏まえた軸を明確に設定し、読者それぞれによる今後の「ディグ」に役立つようなキーワードの幅を提示することで本書はできあがっている。

フィルムアート社の沼倉康介さんからの声がけで本書のプロジェクトが動き始めたのは、2021年の初夏のことであった。すでに新型コロナウイルス感染症の流行により生活や研究の環境が激変して以降のことであり、月に数回の打ち合わせはすべてオンラインで行った。だが、コロナ禍のなかでライヴ配信やストリーミング・プラットフォームの定着が新しいポピュラー音楽の文化を生み出してきたように、編集作業のオンライン化にもポジティヴな側面を見出すことは十分に可能である。たとえば、東京在住の私に加え、京都在住の永冨真梨さん、福岡在住の忠聡太さんに編者として参加してもらえたことは、ポピュラー音楽を聴いたり考えたりするにあたって無視することのできない地域性や立場性の複数・複雑さ、さらにはネットワークによって多層化したデジタルな現実に、編者たちの目を向けさせることにつながった。

打ち合わせのなかでは、永冨さん、忠さんからのそれぞれの専門領域に関するレクチャーも含め、お互いに知見を共有しあった。また編集会議はつねにポップな雑談にまみれていたが、読んだ本や聴いた音楽のレコメンド、演奏や楽器/機材に関する情報共有、それぞれの音楽・音響的な趣味の話を通して学んだ視点の複数性は、本書の構造に大きく反映している。

一方で、編者の三人で共有している知識や立場もあれば、共有していない関心や方向性もあることが、編集作業を進めるなかで明らかになった。このことは三人の共著である本書第1部「ポピュラー」の項目に強く表れている。それぞれが学んできたポピュラー音楽研究の学際性を反映してか、ポピュラー音楽をまなざす観点は三人のなかでも多様で、まとめる作業には苦労した。しかし、「ポピュラー」や「ポピュラー音楽」といった現実で使用される概念の広がりを実直に記述するためには、学際的・領域横断的な複数の立場を引き受けることが不可欠なのだ。こうした編集作業自体が、編者の私たちにとっては、ポピュラー音楽をめぐる複雑な状況とそれを対象としてきた幅の広い研究領域についてあらためて学ぶ機会となり、さらにはポピュラー音楽研究の新たな地平を展望し、提示する体験となった。その意味で、「ポピュラー」の項目と本書全体の構造には共通して、編者三人の思考の痕跡が表出している。

こうしてつくられた本書を、読者は杓子定規に頭から読み進める必要はない。目次から気になるキーワードをひろって雑多に読むもよし、本文中に示された他項へのリンクをたどって行き来しながら読むこともできる。そういう意味でも、本書はけっして大学生や大学院生、または研究者など、ポピュラー音楽の「研究」に関心のある人びとに読み手を限定するつもりはない。ポピュラー音楽のテキストをつくろうとするプロジェクトではあるが、これは教科書ではなくキーワード集であり、気になる部分を拾い読みするだけでも意味がある。そして日常的な音楽談義のスパイスとして利用することも可能なようにキーワードを選定してある。タイトルが「ポピュラー音楽研究」ではなく「ポピュラー音楽」なのは、編者たちのそうした意向を反映している。

とはいえ、第1部の概念的で大きな項目の解説から入り、次第に個別具体的なポピュラー音楽の姿が描かれていく第2部・第3部に向かうのもよいだろう。通読することで全体の構造が有機的に連関しあうようにも配慮して各項目を配置してあるからだ。

第1部「基礎編」は、ポピュラー音楽研究のみならず社会や文化に焦点を当てた今日の研究が前提とする大文字の諸概念について解説する。ポピュラー音楽をただ楽しむという点からすると無関係に見えるこれらの政治的なキーワードは、実際のところポピュラー音楽のつくられ方や聴かれ方を規定し構築してきた条件であると同時に、ポピュラー音楽に関わる人びとの立場性の複雑さに目を向けるための鍵でもあることがわかるだろう。

第2部「事例編」は、ポピュラー音楽に関連するこれまでの研究の蓄積のなかで議論されてきたトピックや事例を並べてある。作品/商品としてのポピュラー音楽や、それを人びとに媒介してきたさまざまなメディアの働き、そしてポピュラー音楽を演奏し聴取する私たち自身の作用について、これまでどのように議論されてきたのか。これからの分野横断的な研究領域の開拓可能性にも目を向けながら、ポピュラー音楽をめぐる既存の研究の蓄積について学ぶことができる。

第3部「拡張編」は、ここまでも強調してきたポピュラー音楽/研究の領域横断性・学際性をより具体的に提示するべく、従来のポピュラー音楽研究の枠にとどまらない対象を取り上げた論考を並べてある。今日のポピュラー音楽を取り巻く論点は、従来的な研究の射程範囲を超え出て、現実のいたるところに出現していることがわかるだろう。とりわけ第3部は、編集作業が行われた2020年代前半の雰囲気を反映するよう、今日的なトピックを配置するよう心がけた。

このように本書は多くの執筆者に参加していただいて構成されている。先述した通り、ポピュラー音楽研究はこれまで日本でも多くの研究者によって進められ、多くのテキストが書かれてきた歴史がすでにある。その蓄積を踏まえたうえで、なるべく若手の執筆者に参加をお願いし、彼ら・彼女らそれぞれの今後の研究・執筆活動にも目を向けながら長く読むことのできるテキストにしようと試みた。執筆者の皆さまにはこの場を借りてお礼申し上げる。また、フィルムアート社の沼倉康介さんにも大きな感謝を捧げたい。すべての打ち合わせにつきあいながら、ポピュラー音楽(とそれ以外の趣味)にかかわる知見と情熱を補充し続けてくれたことが、本書の完成には不可欠だった。

キーワード集をつくる作業は、音楽イベントを企画する作業に少し似ている。項目、執筆者、部ごとのフローを意識しながら、配置や順番、名称を考える。ただし、オーディエンスがどのタイミングでフロアに立ち寄ろうとするかは企画者にはコントロールすることができない。したがって、どのような読み方であっても楽しみ、学べるよう準備しておく必要がある。私自身、小さな音楽イベントを企画した経験が何度かあるが、そこで会得したバランス感覚が多少は役立ったかもしれない。イベンターとしては、本書には自信のあるラインナップを揃えられたという自負がある。夏フェスのタイムテーブルを楽しむように目次に目を通し、知らなかったバンドを聴くようにはじめてのキーワードに触れ、イベントそれ自体の采配を楽しむように本書全体の構造を読み解いてほしい。

編者を代表して
2023年2月
日高良祐

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クリティカル・ワード ポピュラー音楽

〈聴く〉を広げる・更新する

永冨真梨/忠聡太/日高良祐=編著
有國明弘/ヴィニットポン ルジラット(石川ルジラット)/大嶌徹/大尾侑子/尾鼻崇/大和田俊之/葛西周/加藤賢/上岡磨奈/川本聡胤/金悠進/源河亨/篠田ミル/ジョンソン・エイドリエン・レネー/谷口文和/中條千晴/鳥居祐介/永井純一/平石貴士/福永健一/藤嶋陽子/増田聡/松浦知也/溝尻真也/村田麻里子/山崎晶/輪島裕介=著
発売日 : 2023年3月25日
2,200円+税
四六判・並製 | 264頁 | 978-4-8459-2131-7
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