ためし読み

『大根の底ぢから!』

筍(たけのこ)をどっさりと

よろずの野菜がハウス栽培になり、そのせいで季節感がとんとなくなってしまったのは、便利な反面淋しくもある。
キュウリや茄子なども、俳句の季語としては夏であったし、枝豆などは秋のものとされていた。が、かかる季節感を知る人も、今や寥々(りょうりょう)たる数に過ぎぬことであろう。そういうなかで、蕗(ふき)の薹(とう)やタラの芽は春、筍は初夏というあたりは、いまも歴々として季節感を留めている珍しい素材である。
筍は、現在はあの孟宗竹(もうそうちく)のどっしりと太いのを指すものと決まっているが、じつは孟宗竹は渡来植物で、江戸時代、薩摩に中国から齎(もたら)されたのが全国に広がったのである。それ以前は、筍と言っても、あの筆のような細さのネマがリタケの子(姫筍)や、すらりと細いマダケの子を指すのが当たり前であった。それらは天然の産物で、孟宗竹よりはちょっと遅れて、五月六月くらいの初夏が出盛りとなる。
どの筍も、私はこの快い晩春初夏の季節感とともに深く愛するところ、毎年この季節にはどうでも食わずにはおかぬ。
そう思っていたところへ、旧知のMさんから、お庭で生えた孟宗竹の筍を、どさっと三本頂戴した。
筍は、掘ってから時間が経つほどアクが強くなっていって味が落ちるので、一刻を争ってまずはこれを茹でる。
ご定法(じょうほう)にしたがって、糠を投じた水で茹でること一時間、火を消したらそのまま放置してすっかり冷めるまで待つ。
この一連の下ごしらえの過程で、筍はアクが抜けて独特のよい香りが立つ。
さてそれを、どう料理するか。まずは薄味に仕立てた出汁(だし)でじっくりと煮含め、火を止めてから和布(わかめ)を投じて冷ます、そうするとこの冷めていく過程で、おいしい出汁の風味が筍に染み込んでなんともいえない好風味を演出するのだ。
それに、筍ご飯。
私は、研いだ米に、薄い扇形に切った筍(もちろん茹でて下ごしらえしたもの)を加え、清酒を少々と、醤油を米一合に対して大さじ一杯加えて、そのまま炊く。これで炊き上がってくるときの、なんとも言えないおいしそうな匂い。これはこの季節の新筍でなくては決して味わわれないところである。
とまあ、その他も、甘辛く熬り付けたり、フライにしたりと、いろいろな食べ方があるだろうけれど、私は今回、ちょっと新機軸を試みることにした。
「筍のマリネ」である。
マリネは、亡き母がよくワカサぎだとか豆鯵(まめあじ)だとかで作ってくれたもので、その味が私の舌によく刷り込まれている。それを魚でなくて、いま目前に茹で上がった筍で試みてみてはどうだろう、そう思いついた。
そこでまず、茹でた筍……今回は比較的小ぶりでスマートな体格の筍であったので、これを縦に二つに割り、そこからまた縦に薄く切って、つまり櫛形(くしがた)の切り身に作る。
これに小麦粉をしっかりと、しかし薄くまぶして、百八十度くらいのサラダ油に投じる。そうして、全体がカラカラッとしてくるまでよく裏表返しながら揚げるのである。
いっぽうタマネギを薄くスライスして、ざっと熱湯をかけ、臭みと辛味を抜いてからバットに取り、そこへ沸騰したマリネ汁をざっとかける。マリネ汁は清酒と味醂を煮切り、減塩醤油と若干の砂糖、そして酢を加え、トウがラシを少々投じて沸騰させるのである。
こうしてマリネ汁とタマネギスライスを絡めたところに、今や揚げたての筍をジュワジュワッと言わせながら、フライパンから直(ちょく)に投じて、手早く汁を絡めていくのである。すっかりマリネ汁に絡めたところで、全体を、汁と渾然一体となったタマネギスライスで覆い、しばらく粗熱(あらねつ)の去るまで待ってから、ラップで覆って室温まで冷やしてやるのである。
これまた冷える過程で、さしも硬質な筍と雖(いえど)も、マリネ汁の甘辛い、そしてタマネギ風味の加わった味が、じんわりと染み込み、なおかつ小麦粉の衣がその全体を覆って味をしっかりと決めてくれる。
こういうふうにして、旬の筍を茹でてマリネにしたのは初めての工夫であったけれど、いやいや、これがまことに驚くほどの美味で、たちまちバット一杯ぺろりと平らげてしまった。それでいてカロリーなどはごく低く、食物繊維はまことに豊富とあって、こんなに良いものはめったとないのである。


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大根の底ぢから!

林望=著
発売日 : 2018年3月27日
1,800円+税
四六判・上製 | 224頁 | 978-4-8459-1712-9
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