2022年8月26日発売『アフロフューチャリズム ブラック・カルチャーと未来の想像力』では、テクノロジー、未来、宇宙と黒人文化が結びついたムーヴメント「アフロフューチャリズム」を日本ではじめて網羅的に解説した、今後参照されるべき古典です。1992年に批評家、マーク・デリーによって名づけられたこの概念は、現在もなお映画・小説・音楽などのポピュラー・カルチャーのなかに見出すことができます。
今回は本書1章「進化するスペース・カデット」から、「アフロフューチャリズムとは何か」の全文を公開します。本記事をきっかけにはじめて「アフロフューチャリズム」という単語を知ったという方でも、ぜひお手にとってみてください。
アフロフューチャリズムとは何か
アフロフューチャリズムとは、想像力、テクノロジー、未来、解放の交差点だ。アート・キュレーターでアフロフューチャリストのイングリッド・ラフルアは、「私は一般的に、アフロフューチャリズムを黒人文化のレンズを通じて起こりうる未来を創造する方法、と定義しています」と語る。ラフラーは、ニューヨークのブルックリンで開催された「TEDx フォート・グリーン・サロン」〔TEDxとは、TEDのようなライヴトークやパフォーマンスを地域住民と共有するイヴェント。地域ごとに単独で企画される〕に登壇すると、「アフロフューチャリズムは、実験を促し、アイデンティティを再考し、解放運動を始める方法だと思っています」と語った。※
アフロフューチャリストは、文学、ヴィジュアル・アート、音楽、草の根運動などを通じて、現在と未来の文化とブラックネスの概念を再定義している。芸術的な規範と批判理論の枠組みを兼ねるアフロフューチャリズムは、SF、歴史小説、思弁小説、ファンタジー、アフリカ中心主義、マジックリアリズムといった要素を、非西洋的な思想と結びつける。場合によっては、過去を全面的に想像し直し、文化的批評に満ちた未来を思案することもある。
ウィリアム・ハヤシが自費出版した『ディスカヴァリー――ダークサイド・トリロジー第一巻(Discovery:Volume1oftheDarksideTrilogy)』(2009)を例に挙げてみよう。この小説では、人種による格差に辟易し、ニール・アームストロングが着陸するよりもずっと前に、月に社会を作ったと噂されていたアメリカの黒人分離主義者が発見される物語を描くことで、初期の宇宙開発競争における国粋主義的なテーマを覆し、分離主義の理論、人種、政治を解説している。
ジョン・ジェニングスとステイシー・ロビンソンによる「ブラック・カービー(BlackKirby)」展(2012)も、アフロフューチャリズムの一例だ。これは、マーベルやコミックスで名を馳せた伝説的人物、ジャック・カービーを讃えた巡回展示会である。「もしジャック・カービーが黒人だったら?」というコンセプトに基づき、カービーが描いたアイコニックなコミックブックの表紙を、ブラック・カルチャーのテーマを用いて描き直した作品が展示された。この展示会は、ユダヤ人であるカービーの遺産とブラック・カルチャーの類似点を示し、異質性と疎外感を掘り下げ、ポップ・カルチャーのヒーローに新たな一面を加えた。
アフロフューチャリズムは、神秘主義と社会論評を織り交ぜることもできる。豊富な受賞歴を誇る小説家、ンネディ・オコラフォーの『死を恐れる者(WhoFearsDeath)』(2010)は、核戦争で世界が破滅した後のアフリカで、シャーマンの薫陶を受ける女性、オニェソンウの奮闘を描いている。彼女の願いは、新たに芽生えた能力を使って、自分の民族を大量虐殺から救うことだ。
元ディディ‐ダーティ・マネーのドーン・リチャードは、デジタル・アルバム『Goldenheart』(2013)のミュージック・ヴィデオで、未来的なアフリカン・ファッションを披露した。
ジェイムズ・クエイクは、インディ映画/ヴィデオ・ゲーム『プロジェクト・フライ(ProjectFly)』(2015)を制作し、シカゴのサウスサイドに住む黒人の忍者たちを描いた。このように、ブラック・カルチャーをとファンタジーのなかに置くことで生まれる創造性は、人びとの心を躍らせる。
このカルチャーの盛り上がりは他に類を見ない。これまでの時代とは異なり、今日のアーティストはデジタル・メディア、SNS、デジタル・ヴィデオ、グラフィック・アート、ゲーム技術などのパワーを駆使し、自分のストーリーを語り、自分のストーリーを共有し、安価にオーディエンスとつながることができる—SFの神々からの贈り物とも言えるこれらのテクノロジーは、21世紀の初頭には考えられなかったことである。高速インターネットの登場により、誰がストーリーを語るに値するかを吟味していた門番は消え去り、有色人種は初めて自分のストーリーを発信する大きな力を持てるようになった。駆け出しの映像作家が500ドルのでのウェブ・シリーズを撮影し、動画をユーチューブに投稿して、インスタグラムやツイッターで宣伝できるようになると、「黒人が自らのイメージをコントロールすること」についての白熱した議論は、大きく変化する。
テクノロジーはクリエイターに力を与えるが、SFとファンタジーに興味を持つこと自体が、黒人のアイデンティティにまつわる従来の考えを覆し、想像力を最上位に掲げる行為である。黒人のアイデンティティを語る際に、不愉快なステレオタイプや、人種に対するディストピア的な考え(黒人が絶滅危惧種であるという話や、「なぜ黒人女性にはパートナーがいないのか?」といった報道を覚えているだろうか?)、底知れない無力感、厳しい現実に対する不安などと折り合いをつける必要はない。宿命論は、黒人であることと同義ではないのだ。
ストーリーの展開やアーティストの傾向が、宿命論や南部の掟、都会の現実に染まっていない場合には、その作品の黒人性が疑問視されることもあった。『寓話(Parable)』シリーズ(1994、1999)の著者として知られるオクテイヴィア・E・バトラーは、後続のSFヒロインや作家が活躍する下地を作ったSF界の先駆者だが、カンファレンスに出れば、必ず誰かにこう尋ねられたという。「SFと黒人に何の関係があるというのですか?」
※Ingrid LaFleur, “Visual Aesthetics of Afrofuturism,” TEDx Fort Greene Salon,YouTube, Sep-tember 25, 2011.
(この続きは本編でお楽しみ下さい)
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