ためし読み

『ラディカント グローバリゼーションの美学に向けて』

序論

1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊する。

その6ヶ月前、正確には5月18日に「大地の魔術師たち」展がはじまるだろう。この展覧会は、全大陸の造形作家たちを一堂に集めたものであったため、「現代美術初の万国博覧会」と銘打たれていた。そこでは、アメリカのコンセプチュアル・アーティストがハイチのヴードゥー教の司祭と隣り合い、キンシャサの看板職人が西洋美術の巨匠のかたわらに展示していた[◆1]。この「大地の魔術師たち」という大いなる混合から、グローバル化され「大きな物語」を失った世界に芸術が正式に参入した時期を、ともかく特定することができる。そのとき以降、わたしたちの世界はこうしたものでありつづけているのだ。当時は「周縁的」と呼ばれていた国出身の人々の、現代的な・・・・領域への突然の闖入は、20年後にグローバリゼーションと名づけられることになる全面的な資本主義段階の到来に呼応している。一方で、もし本展が、アーティスト、司祭、職人という人物像の区別を曖昧にしうるようなものであったとしたら、それが引き起こした辛辣な論争は、共産主義世界に代表される象徴的なオルタナティヴの崩壊と無関係でなかったことは言うまでもない。米ソ二極化の終わりとともに〈歴史〉の終わりが到来したのである。少なくともアメリカの哲学者フランシス・フクヤマは、鉄のカーテンが開いた少しあとに出版され大きな反響を呼んだあるテクストのなかでそう主張した。新世界秩序の主体たちよ、ふたたび眠れ……。ともかく、〈歴史〉はもはや芸術的記号の秩序づけやヒエラルキー化を可能にする至上の価値ではないということが明らかになってきていた。そのときまで20世紀の美術史は、それぞれが新たな芸術的ヴィジョンをもたらすような形式の相次ぐ創出として、個人や集団による冒険の連なりとして表現されてきた。しかしそうした時代は終わりを迎え、その10年ほど前からあらわれたポストモダン思想が、ついに圧倒的な勝利をおさめることに成功したのである。

わたしたちは「ポスト〈歴史〉」へと入ったのだ。それは、いまや至上のものとなった資本主義経済のための征服の時代であり、前衛アヴァンギャルドが撒き散らしたいわゆる「恐怖」を取り除かれた文化の樹立である。モダニズム? 人間中心主義的で普遍主義的な古くさい考えであり、西洋の植民地機械だ。世界全体が「現代的」になろうとしていた。アジアの急速な経済発展が示していたように、「遅れた」国々が国際通貨基金の勧告にきちんとしたがい、資本主義の母体マトリックスに彼らの「古くさい複雑な文化」を接続するのを待てば十分であったのだ。都市文化の発展はこの動向をあと押ししていた。メキシコ・シティから上海にいたるまで、メガロポリスの世界的な急増は、世界中で通用する形態語彙が生まれるのを助け、いまや現代の芸術を〈メタポリス・・・・・〉の芸術と呼ぶことができるほどである。とはいえ、そのパラドックスは、〈メタポリス・・・・・〉の芸術が砂漠や原生林といったものをみずからの想像世界の支柱にしがちな点にあるのだが……。〈歴史〉の終わりは、グローバル化され標準化された街というひしめき合うかたちをとるだろうか。実際のところわたしたちは、20世紀をしるしづけてきたユートピアやラディカルさ、そして前衛アヴァンギャルドといったものから、それほど遠くにいるのだろうか。スラヴォイ・ジジェクが皮肉めかして言うように、もし「共産主義の終わりがユートピアの終わりを意味し、いまやわたしたちは現実とか経済といった世界に入ったのだと皆が言っていた」としたら、どうやらそれは反対のようで、1990年代というのは、「ユートピアが真に爆発的に増加した時期であった。それは、あらゆる問題を解決するとみなされていた自由資本主義的なユートピアである。9・11以降知られるところとなったのは、そうしたユートピアにはいまだに、そしてまさにそうしたユートピアにこそ、さまざまな分断が存在するのだということである」[◆2]

というのも、「ポスト〈歴史〉」というのは中身のない概念だからである。それはあたかも、モダニズム以後の管理ソフトの役割を果たしている「ポストモダニティ」という概念の意味が状況依存的なものでしかないのと同様である。「ポスト」という接頭辞は、その曖昧さが味わい深くはあるものの、ポスト構造主義批評から明らかに懐古趣味的な選択オプションにいたるまで、結局のところ、この以後アプレという語のさまざまなヴァージョンを連合させることにしか役立たなかった[◆3]。典型的にポストモダン的な概念である例の「文化の交雑ハイブリッド化」に関して言えば、それは「多文化主義」のイデオロギーのもとにあらゆる真の特異性を溶解させてしまう機械、西洋の技術圏テクノスフィアという幹に「典型的」かつ「真正オーセンティックな」諸要素を挿し木したうえで、その起源を消し去ってしまう機械であることが明らかとなった。「人類の遺産」というガラスドームによって保護されたいわゆる文化的多様性・・・・・・なるものは、さまざまな想像や形態の全般的な標準化の鏡像であるように思われる。現代美術が非西洋のさまざまな視覚的伝統に由来する異質な造形語彙を取り入れるほど、グローバル化された単一文化の弁別的特徴がはっきりあらわれることになる。公的な言説に言う「諸文化の対話」とは、文化保護区の連なりとしての世界というヴィジョンに、もっと言えば、現存の生態系エコシステムの保護以外にはいかなる企図ももたない人間主義とアラン・バディウが定義するところの動物的人間主義・・・・・・・に属してはいないだろうか。バディウは次のように書いている。「わたしたちは「地球村」に住まねばならず、自然のなすがままに任せねばならず、いかなる場合も自然権を認めねばならない。というのも、物事には尊重すべき本性ネイチャーがあるからである。[……]たとえば市場経済とは自然的なものであり、ちょうどハリネズミとカタツムリの均衡をまもるのが望ましいのと同じように、残念ながら避けえない一握りの富者と残念ながら数えきれないほど無数の貧者との均衡を見つけなければならない」[◆4]。かくして、同情というシロップのなかで干からびた文化的差異は、おそらく文化の観光客が楽しむようなテーマパークを充実させるために、地球村のなかで保護されるだろう。

モダニズムの普遍主義を懐かしむべきなのだろうか。否、これ以上は。ここで、普遍主義と不可分である(無意識的なものであれそれ以外であれ)植民地主義や、その性向をふたたび俎上に載せても意味はない。それはさまざまな差異を懐古趣味と同一視したり、いたるところでみずからの規範や歴史的物語や概念を、「自然な」ものとして、ということは皆に自然と共有されうるものとして押しつけたりしがちなものである。トーマス・マクェヴィリーの説明によれば、モダニズム・モデルにおける〈歴史〉とは、「時間というページ上を、自然や、自然周辺の未発達の世界といった広大な無歴史的余白とともに前進する単一の線」[◆5]にほかならない。非西洋的な文化? 非歴史的、したがって無価値である。バウレ族の呪物フェティッシュ? 作者もいない、よくわからない部族の産物であって、〈進歩〉という窯にくべるための小さな薪だ。1980年代以降、数多くの批評がこうした言説を打ち砕くべく努力してきた。疎外された少数派の解放というテーマは、モダニズムの説得力のあるレトリックに取って代わるようになった。ただし、あらゆる言表を大いなる疑惑の対象とすることによって。近代的な普遍は、支配的な「白人男性」の声を隠すための仮面にすぎないものとなったのである。ジャック・デリダが具現化した脱構築理論によって、その実践者たちは、政治的、哲学的、美学的モダニズムの設立にかかわるテクストの表面下にある、同性愛嫌悪的、人種差別主義的、男根中心主義的、性差別主義的な「言われていないこと」の痕跡を暴露できるようになる。二重否定、鏡映しの聾である。ポストモダンの舞台は、その研究対象であるところの境界上にあって、この境界をかくのごとくありのままに保護することによって、植民者と被植民者、主人と奴隷のあいだの句切りカエスーラを際限なく再演する。モダンの普遍主義かポストモダンの相対主義か、わたしたちには選びようがないだろうと言われる。かくしてポストコロニアルな脱構築は、ある言語を別の言語に置きかえることには寄与したものの、後者は前者に字幕をつけるだけで満足してしまい、過去と現在との、普遍的なものと差異からなる世界との可能な対話の礎となるような翻訳のプロセスに着手することはついぞなかった。というのも、ポストモダン思想とは脱植民地化の方法論としてあらわれるものであって、脱構築(これは、デリダが理解していたようなそれというよりも、カルチュラル・スタディーズの枠組みのなかで実践されるそれだが)はそのただなかにあって、力ない不協和音のために主人の言語を弱め、脱正当化するのに用いられるからである。解放、抵抗、疎外といった啓蒙主義由来の概念――反植民地闘争やポストコロニアル・スタディーズは、これらの概念を正当化すると同時に啓蒙主義を批判するのだが――はいずれも、権力や政治と現代の作品との関係について別様に考えなおすために片づけなければならない概念的な足かせとなってしまった。

いまや、現在におけるモダンなもの・・・・・・を再構成するときが、すなわち、そのただなかでわたしたちが生きているところの特定の文脈に応じてモダンなもの・・・・・・を再形成しうるときがきているように思われる。というのも、近代の累代・・〔éon〕や時代を横切る知的な息吹が存在するからであり、状況が押しつける形式を受け入れ、また各時代が突きつける逆境という限定的な輪郭に応じてみずからをフォーマット化するような、そうした思考様式が存在するからである。この逆境となる敵対者は今日、数多くの名前をもっている。そのうちには、先に挙げた動物的人間主義・・・・・・・、旧秩序へのさまざまなノスタルジー、そしてなによりも、経済的なグローバリゼーションに見せかけた地球の均質化といったものが数え入れられるだろう。この息吹、近代の流れは、オリジナルな、同定可能なかたちにいまだ凝固させられてはいないが、しかしながらわたしたちはすでに、今日それが向けられるべきものを容易に感知することができる……。かくして、世紀のはじまりにおいて、あと戻りの感覚を瞬時も抱くことなく、また、前世紀のモダニズムの全体主義的な誘惑や植民地主義的な主張に対する有益な批判をもはや無視することもなく、近代性という概念にふたたび責任をもつことは可能だと断言できる。前衛アヴァンギャルド、普遍主義、進歩、ラディカルさ。これらはいずれもこの昨日のモダニズムと結びついた観念であって、近代性を要求するためにあらためて同意する必要はまったくないだろう。ここで言う近代性の要求とは、実際には、ポストモダンの線――もはやもっともつまらない慣習が支配する地方を画定するのみである美学的ヤルタ由来の境界――を越えて前に進むことである。

この歩みは、多くのアーティストや作家たちがすでに実現していたものである――彼らが暗中模索している新奇な空間にはいまだ名前がつけられてはいないが。しかし、彼ら/彼女らは、みずからの実践の中心に、そこから出発して近代性が再構成されうるような本質的な原理を宿している。その原理を列挙するなら、次のようになるだろう。現在、実験、相対的なもの、流れ。現在というのは、近代性(それは歴史的な定義からして「その時代に属する」ものである)とは、アクチュアルなものへの、つまり兆しやはじまりとしての今日・・への情熱だからである。近代性は、それに防腐処理を施したがる保守的なイデオロギーや、往時のあれこれの復興を理想とする反動的な運動に抗する。しかしまた、これがわたしたちの・・・・・・近代性をそれに先立つものから区別する点であるが、それは未来に向けた指示、あらゆる種類の目的論、そしてそれらに伴うラディカルさといったものにも抗するのである。実験というのは、モダンであることとは、好機を、カイロスを思いきってつかまえることだからである。それは危険をおかすこと・・・・・・・・である。伝統、既存の公式やカテゴリーといったものに満足するのではなく、新たな道を切り開き、テストパイロットになることである。この危険な場所にとどまるためにはまた、さまざまな事物の堅牢さを問いなおし、一般化された相対主義を実践する必要がある。すなわち、仮借ない批判的比較研究を行い、もっともねばり強い確実性を追いもとめることであり、わたしたちを枠にはめる制度的・イデオロギー的な構造を、状況依存的、歴史的なものとして、またしたがって、いくらでも再編可能なものとしてとらえることである。「事実というものは存在しない、存在するのは解釈だけである」とニーチェは書いた。それゆえモダンなものは、記念碑的な秩序に対して出来事・・・を、大理石という永遠性の代理人エージェントに対して束の間のものを支持するのであって、要するに物象化の遍在に対する流動性・・・の称揚であるのだ[◆6]

今世紀の初頭に「モダンを再考すること」(ということはつまり、ポストモダンによって定義された歴史区分を乗り越えること)が重要であるとしたら、経済的、政治的、文化的側面から把握されたグローバリゼーションから出発してその再考に取り組む必要がある。さらには、次のような明白な事実から出発して。すなわち、もし20世紀のモダニズムがもっぱら西洋的な文化現象であり、第二段階において世界中のアーティストによって語尾変化させられたものだとしたら、今日しなければならないのは、そのグローバルな等価物について考察することである、という事実である。それは、今度はアフリカや南アメリカやアジアから直接情報を得ていて、また、そのパラメーターがヌナブト準州やラゴスやブルガリアで現在用いられている思考様式ややり方の統合となっているような、そうした革新的な思考様式および芸術的実践を創出しなければならない、ということである。もはやアフリカの伝統は、未来のチューリヒにおける新たなダダイストに影響を与える必要はなく、日本の版画も、明日のマネにインスピレーションを与える必要はない。今日では、いかなる国のアーティストであっても、最初の真に世界的な文化となるようなものを企てることを務めとしているのである。しかしながら、この歴史的使命にはあるパラドックスが付随する。すなわち、それは「グローバリゼーション」と呼ばれる政治的従順化に抗して行われなければならないのであって、それに付きしたがうかたちで行われてはならない、ということである……。この新興の文化が、進行中の標準化と歩調を合わせることなく、さまざまな差異や特異性から生じうるためには、それが特殊な想像力を発展させ、資本主義的グローバリゼーションを司るのとはまったく別の論理に訴える必要があるだろう。

19世紀のヨーロッパでは、近代性は工業化という現象をめぐって明確なものとなった。21世紀の初頭においては、経済のグローバリゼーションが同様の粗暴さでもってわたしたちの見方や仕方を一変させている。それはわたしたちの「野蛮」である。ニーチェは、古くからの境界を粉々に砕き、「農民」の空間を再編するような力の帯域を「野蛮」と呼んだ[◆7]。国連の『2002年版国際移住報告書』によれば、移民の数は1970年代から二倍になったという。約1億7500万の人々が生まれ故郷を離れて暮らしている。この数字はおそらく実際よりも少なく、またそれはいまも増えつづけている。移住および金融の流れの激化、国外居住の一般化、輸送網の緊密化、大規模観光の爆発的増加といったものが新しい超国家的文化を描きだすが、この文化は、アイデンティティ、民族、国民に関して極端な自閉を引き起こすものである。というのも、世界に約6,000の言語が存在するとして、このうちのたった4パーセントが世界の96パーセントの人々によって使われているからである。おまけに、この6,000の固有語のうち半数は消滅しつつあるのだ……。

はじめてインドに旅行した1980年代以降、わたしは、たいへん自給自足アウタルキー的な文化の内部において西洋的なスタンダードが目を見張るほど拡大するのを目撃してきた。いまやアメリカのスターが全国紙の人物欄を埋め尽くし、ショッピングモールは林立し……、そして新世代のアーティストたちは国際的な現代美術のコードを器用に用いるようになっている。この画一化の動きは、地球の表象の改良に伴って地球をめぐる想像世界が小さくなってきたことと対をなしている。かくして、衛星画像によって世界地図の最後の空白が埋められた。もはや未知の大地は存在しないのである。わたしたちは、地球上のどんな地点でもコンピュータからズームできるようにするグーグルアースの時代に生きている。インターネットやネットワーク化されたマスメディアから養分を得て、グローバル化した文化の層が碁盤目状の地球の表面を猛烈なスピードで広がってゆく一方で、地方や国の独自性は、絶滅の危機にあるタンザニアのサイのように「保護」を余儀なくされている。

1955年、『悲しき熱帯』のなかでクロード・レヴィ゠ストロースはすでに、地球上の想像力や生活様式を疲弊させるこの悲惨な「一毛作モノカルチャー」のことを気にかけていた。このフランスの民族学者は、アンティル諸島への旅行の折にいくつものラム酒蒸留所を訪れている。18世紀以来蒸留方法の変わっていないマルティニークでは、「口あたりがよく香りもある」飲料を味わうことができた一方で、「白いエナメル塗りの貯蔵槽とクロームめっきのコックの景観」たるプエルトリコの近代的な設備は、繊細さを欠く強いアルコールしか生みださなかった。民族学者によれば、このコントラストは、「文明の魅力は、文明がその上げ潮に乗せて運んで来る澱に本来付着しているものなのだが、それでいてわれわれは、その潮を浄化せずにはいられないという、文明のパラドックス[◆8]をよく説明しているという。レヴィ゠ストロースのラム酒は、いまや技術的進歩や画一化の同義語となっている総称としての「近代性」の完璧な実例となっている。常用語で「近代化する」というと、文化的・社会的現実を西洋のフォーマットに還元するという意味をもつし、モダニズムは今日、植民地主義やヨーロッパ中心主義との共犯の一形態と要約される。前世紀の近代性のばかげた敷き写しから遠く離れて、現代に特有の、また現代に固有の問題系と共鳴する、そのような近代性に賭けてみよう。あえて言うならば、それはオルターモダニティである。本書はその問題系と諸形象を素描しようと試みるだろう。

30年ほど前から世界の文化的風景は、一方でモノや情報の過剰生産の圧力によって、他方で文化や言語の急激な画一化によって形成されてきている。さまざまな文化的なものや作品からなる混沌とした総体――そのただなかをわたしたちは動きまわっている――には、現在生みだされているものもあれば過去に生みだされたものもある。というのも、空想美術館はいまやあらゆる文明や大陸へと広がっているからであり、これは以前にはけっしてなかったことである。「ボードレールにとって、彫刻はドナテッロとともにはじまる」とマルローは思い起こしていた。2000年代の愛好家にとっては、そこにタイノ族の芸術もポール・マッカーシーの機械仕掛けのぬいぐるみも、あるいはドナルド・ジャッドのテキサスのアトリエもアンコール・ワットも含まれる。インターネットは、この情報増殖の特権的な媒体メディウムであり、専門化され、相互に依存しあったさまざまなニッチへと知が細分化されてゆくことを物質的に象徴するものである。

ポストモダンが交雑化ハイブリッドと呼ぶのは、工場生産のお菓子にさまざまな人工的なフレーバーで香りづけをするように、画一的になった大衆文化という幹に、ほとんどの場合戯画的な「特性」を接ぎ木することである。今日では、それ自体相反する二つの文化的モデルだけが、こうした安易さに抗うように思われる。すなわち、一方ではアイデンティティ的な自閉、ローカルで伝統的な美的価値へのこわばりであり、他方では、さまざまな異質な影響への順化とそれらの交雑というカリブ海地域のモデルに基づきクレオール化・・・・・・と呼ばれるものである。アンティル諸島の作家エドゥアール・グリッサンは次のように説明している。「世界はクレオール化しています。すなわち、今日あっという間に、そして確実に意識的に接触し合うことになった世界の諸文化は、仮借のない衝突や無慈悲な戦争を通して、しかしまた意識と希望の進展を通して、互いに交換し合いながら、みずからを変えているのです」[◆9]

日々少しずつ画一化しつつある世界にあって、わたしたちが多様性をまもることができるのは、その直接的でエグゾティックな魅力や保存という条件反射にとどまらず、多様性をある価値の次元へと引きあげることによって、すなわちそれを思考のカテゴリー・・・・・・・・へと構成することによってのみであろう。さもなければ、なぜ多様性なのか。というのも、なぜそれは、結局のところ世界文化という古めかしい幻想の実現であるところのグローバル化した文化的エスペラントよりも望ましいというのか。1919年に没したフランスの驚嘆すべき作家゠旅人であるヴィクトル・セガレンのテクストが、見事な思考材料となっている。その『〈エグゾティスム〉に関する試論』は、あらゆるモダニズム的な分析とは逆に、さまざまな差異が全面的に平板化されてしまうこと――20世紀の初頭にあって、セガレンはすでにその悲惨な帰趨を感じとっていたのだが――に抗する「多様なるもの」を熱心に擁護している。この本には、エグゾット・・・・・〔exote〕という新たな形象が姿をあらわしている。それは、旅、探検、地球規模の移動といった形象に取り憑かれた今日の芸術にあって、わたしたちの見通しをよくするのを助けてくれる。

すでに述べたように、もっともよくある防御反応は、差異を実体・・として称揚することである。もしわたしがウクライナ人やエジプト人やイタリア人であったら、わたしは、故国を喪失させる力――どこからか吹いてくる悪い風――に抗して、国家の歴史的伝統にしたがわなければならない。そうした伝統のおかげでわたしは、なんらかのアイデンティティ様態に基づいて世界におけるみずからの存在を構造化することができるのだから。特定の文脈に出自をもつわたしは、自分を他者から区別してくれる古くからの形式を継承するよう命じられる。しかし、この他者・・とは誰か。驚くべきことに、結局のところアイデンティティの問題が深刻なかたちで提起されるのは、もっとも「グローバル化した」国々の移民共同体にとってであるのだ。共同体のゲットーにおける衛星放送受信機、受け入れ国に移植できない慣習への閉じこめ、根づかない接ぎ木……。個人を苦しめるのは根である。グローバル化したわたしたちの世界において、根は幻肢のように残りつづけ、切除しようとすると耐えがたい苦痛をもたらす。というのもそれは、もはや現実には存在しない実体を装っているからである。固定した根をもうひとつの根に対置するよりも、神話化された「起源」を統合や画一化をもたらす「土地」に対置するよりも、別の思考カテゴリーに訴えるほうが賢明ではなかろうか。そもそも、急激な変化を遂げつつある世界的な想像力がわたしたちに示唆しているのは、そうしたカテゴリーではなかろうか。多かれ少なかれ自発的に故郷を離れて生きる地球上の1億7,500万の人々、毎年約1,000万ずつ増えるそうした人々、職業上の放浪生活ノマディズムの一般化、財やサービスの前例のない流通、超国家的な政治的実体の設立。こうした未曾有の状況は、文化的アイデンティティとはなにかを考える新たな方法のきっかけとなりえないだろうか。

植物学的に語ってみよう。現代の世界は、移動の物質的な条件を整備することによって、わたしたちの植え替えを容易にしている。植木鉢、苗床、温室、野原……。モダニズムが徹頭徹尾、根を讃えたのは偶然だろうか。それはラディカル・・・・・〔根を意味する言葉を語源にもつ〕であったのだ。20世紀を通じて、さまざまな芸術的(あるいは政治的)宣言マニフェストは、芸術や社会の本質をふたたび見いだすために、それらの起源への回帰を、それらの純化・・をもとめてきた。そこで問題となってきたのは、不要な枝を切り落とすことであり、差し引くことであり、取り除くことであり、解放をもたらすような新たな言語の基礎として示された単一の原理から出発して、世界をふたたび初期化することである。請けあうが、今世紀の近代性は、アイデンティティの根をふたたび張るというまずい解決法と経済的グローバリゼーションによって定められた想像力の標準化のいずれをも追い払うことによって、あらゆるラディカリズムとまさに反対のかたちで創出されるだろう。というのも、現代のクリエイターたちはすでに、ラディカント・・・・・・芸術の基礎を整えているからである。このラディカント・・・・・・〔radicant〕という付加形容詞は、前進するにつれて根を伸ばし、また増やしてゆく有機体を指すものである。ラディカントであることとは、みずからの根を異質な文脈やフォーマットのなかで演出することであり、そこで始動させることである。わたしたちのアイデンティティを完全に定義する力を根に認めないことである。観念を翻訳することであり、イメージを他のコードに変換することであり、行動を移植することであり、押しつけるよりもむしろ交換することである。もし21世紀の文化が、同時的あるいは連続的に数多くの根を張るためにみずからの起源・・を消去することを企図する作品とともに創出されるとしたら? この消滅過程は、放浪者の条件の一部をなしている。放浪者とは、われらが不安定な時代の中心的な人物像であり、現代の芸術的創造の中心にあらわれ、執拗にとどまるものである。この人物像は、諸形態の領域――形態゠行程という領域――やある倫理様態を伴っている。つまり翻訳である。本書はこの翻訳の諸様相をリスト化し、現代文化におけるその主要な役割を示そうとするだろう。

原註
◆1  同展は、ジャン゠ユベール・マルタンの企画で、1989年にパリのポンピドゥー・センターおよびラ・ヴィレット・グランド・ホールで行われた。
◆2  Slavoj Zizek, « Le Nouveau Philosophe », entretien avec Aude Lancelin, Nouvel Observateur, 11 novembre 2004.
◆3  以下の第一章を参照。Hal Foster, Le Retour du réel, Bruxelles, La Lettre volée, 2005.
◆4  Alain Badiou, Le Siècle, Paris, Le Seuil, 2005, p. 249.〔アラン・バディウ『世紀』長原豊・馬場智一・松本潤一郎訳、藤原書店、2008年、318頁〕
◆5  Thomas McEvilley, Art, Contenu et Mécontentement, Paris, Jacqueline Chambon, 1998, p. 115.
◆6  「生を芸術作品にすること」という定言命法にしたがう近代性の超歴史的な物語については、以下の拙著を参照。Formes de vie, Paris, Denoël, 1999–2002.
◆7  Friedrich Nietzsche, Le Gai Savoir, Paris, UGE, coll. « 10/18 », 1985.〔フリードリッヒ・ニーチェ『悦ばしき知識』信太正三訳、筑摩書房、1993年〕
◆8  Claude Lévi-Strauss, Tristes Tropiques, Paris, Presses Pocket, 1984, p. 459.〔レヴィ゠ストロース『悲しき熱帯Ⅱ』川田順造訳、中央公論新社、2001年、369〜370頁〕
◆9  Édouard Glissant, Introduction à une poétique du divers, Paris, Gallimard, 1996.〔エドゥアール・グリッサン『多様なるものの詩学序説』小野正嗣訳、以文社、2007年、11頁〕

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ラディカント

グローバリゼーションの美学に向けて

ニコラ・ブリオー=著
武田宙也=訳
発売日 : 2022年1月26日
2,600円+税
四六判・上製 | 296頁 | 978-4-8459-1818-8
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