訳者解説
本書は以下の全訳である。Nicolas Bourriaud, Radicant. Pour une esthétique de la globalisation, Paris,Denoël, 2009. 著者のニコラ・ブリオーは1965年生まれのキュレーター、作家、美術批評家である。はじめ美術批評家としてキャリアを開始し、その後キュレーターとしても数々の重要な展示に携わるようになる。パレ・ド・トーキョーの共同ディレクター(1999〜2006年)、テート・ブリテンのキュレーター(2007〜2010年)、エコール・デ・ボザールのディレクター(2011〜2015年)などの要職を経て、現在はモンペリエ・コンタンポラン(美術学校やアートセンターなど複数の施設から構成される機関)のディレクターを務めている。本書以外の主な理論的著作に以下がある。
『関係性の美学』〔Esthétique relationnelle, Dijon, Les Presses du réel, 1998〕
『生の形式――近代芸術と自己の創出』〔Formes de vie. L’art moderne et l’invention de soi, Paris, Denoël,1999〕
『ポストプロダクション――シナリオとしての文化:芸術はいかに現代世界を再プログラムするか』〔Postproduction. La culture comme scénario : comment l’art reprogramme le monde contemporain, Dijon, Les Presses du réel, 2002〕
『エクスフォーム――芸術、イデオロギー、廃棄』〔L’Exforme. Art, idéologie et rejet, Paris, PUF, 2017〕
『包摂――資本新世の美学』〔Inclusions. Esthétique du capitalocène, Paris, PUF, 2021〕
ブリオーの理論的著作は、発表年に近い時期に彼が企画した重要な展示と密接な関連をもつものが少なくないが、本書もその例外ではない。テート・ブリテン時代に彼がキュレーションした「オルターモダン」展(2009年)と同年に出版された本書は、同展を理論的に裏づけるような内容となっており、実際、展覧会のタイトルでもある「オルターモダン」は、本書においても中心的概念となっている。ブリオーによればオルターモダンとは、モダンとポストモダンのいずれとも異なる、21世紀の新たな近代性のあり方を指す。モダニズムの普遍主義を批判して20世紀後半にあらわれたポストモダニズムは、カルチュラル・スタディーズやポストコロニアル理論の成果を取り入れるかたちで多文化主義を打ちだした。つまり、それまでのように西洋の論理でもって非西洋圏の文化を一方的に評価したり裁定したりするのではなく、それぞれの文化独自の文脈をより尊重し、そこにはたらく(西洋とは異質の)論理に注意を払う立場である。ブリオーによれば、ポストモダンの多文化主義はモダニズムの普遍主義の相対化を掲げて登場したものの、結局のところそのオルタナティヴとなることには失敗したという。というのもそれは、文化をその帰属に結びつけるかたちで「文化的アイデンティティ」を本質化してしまったからである。そこで「アーティストの仕事は不可避的に、作者の「境遇」「身分」「出身」といったものによって説明される」(43頁)ようになり、アーティスト自身もまた「ローカルな、民族的な、あるいは文化的な根に決定的に割り当てられたもの」(43〜44頁)とみなされるようになる。ブリオーは、こうした「根に割り当てられる」存在様態を、(根を意味する言葉を語源にもつ)「ラディカル」という形容詞によって特徴づける。言うまでもなく、モダニズムもまた、「根への回帰」に執着するという点でラディカルさを本質とする。すなわち、「新しさ」を美学的基準とするモダニズムは、つねに出発点に立ち戻って一からすべてをやりなおそうとする、「純化」の情熱とでもいったものに突き動かされている、というわけである。かくして、いずれも根に執着する(=ラディカルである)という点でメダルの表裏とみなされるモダンとポストモダンに、真のオルタナティヴとして対置されるのがオルターモダンである。モダンとポストモダンを特徴づけるのが「ラディカル」な態度であるとすれば、オルターモダンを特徴づけるのは「ラディカント」なそれである。「地面に根を張ること」を語源的な意味とする「ラディカル」に対して、「ラディカント」とは、アイビーのようなつる植物が茎から根(不定根)を生じるさまをあらわす。それは、唯一の根に基づいて生長する樹木とは異なり、生長の過程で触れる表面に応じて新たに根を生じ、それをあたかもハーケンのように使いながら表面を自在に広がってゆく植物を連想させる。
ラディカントは、地面への根ざしによってその発達が規定されるラディカルとは逆に、みずからが前進するのに伴って根を伸ばす。[……]それらは主根のかたわらに側根を伸ばす。ラディカントはそれを受け入れる地面に応じて発育し、その渦巻きにしたがい、地質の構成要素や表面に適応する。それはみずからが動きまわる空間の用語に翻訳されるのだ。動的であると同時に対話的なその意味作用によってラディカントという形容詞は、環境との結びつきの必要性と根こぎの力とのあいだで、グローバリゼーションと特異性のあいだで、アイデンティティと〈他者〉を見習うこととのあいだでさいなまれる現代の主体を形容するものとなる。それは主体をさまざまな交渉の客体として定義するのだ。(70〜71頁)
この引用に見られるように、ブリオーは、植物の存在様態を現代の主体のそれと重ね合わせるかたちで、アナロジー的に語っている。より具体的に言うならば、彼は「移民、亡命者、観光客、都市の放浪者」といった「現代文化の主要な人物像」にこのような意味でのラディカントなあり方を見ている。ここで植物のメタファーや樹木との対比関係からすぐに想起されるのはジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが提唱したリゾーム概念であるが、ブリオーによれば、ラディカントはあくまでも主体を前提とする、という点において、主客の問題を超越した多様体たるリゾームとは異なるという。ただしこの場合の主体は、自閉的かつ安定的なアイデンティティに要約されるものではなく、移動という動的なかたちでのみ、また、この移動の痕跡を通じてのみ存在する、可塑的かつエフェメラルな実体である。ラディカントは、なによりも移動の痕跡を強調し、また主体とそれが横断する表面との対話的であったり相互主体的であったりする交渉/翻訳を強調する。その際主体は、ある状況や場に一時的な仕方で身を置き、この仮住まいの結果をアイデンティティとする。それは一種の仮設的なアイデンティティである。既存の構造に一時的にとどまるなかで主体は、これまでの移動の痕跡を現地の言葉に翻訳することと、自我を環境に翻訳することという二つの意味での翻訳行為を行う。ラディカントな主体は、この仮設的なアイデンティティ間の果てしない交渉/翻訳の過程としてあらわれるわけである。
本書はイメージ喚起的な用語やメタファーに満ちているが、なかでも目につくのは旅にまつわるそれである。ブリオーは、ラディカントなアーティストを、さまざまな記号のなかに道筋をつくりだす「記号航海士」として描きだす。それは多種多様な出自をもつ記号が漂う海の上を、自分なりの道筋を見いだしながら航行する旅人である。ラディカントなアーティストは、さまざまなモノや形態が固有の文化から半ば切り離され、半ばつなぎとめられた状態でグローバルな空間に散らばるなかを、打ち立てるべき連関を探しもとめて放浪する。この連関は必然的に異種混交的なものとなるだろう。こうした文化的な交雑化について考えるための「思考モデル」をブリオーは、カリブ海地域に由来する「クレオール化」の概念にもとめる。言語学では、「共有する言語を持たない複数の集団が交易等の目的で継続的に接触をくり返す際に、相互のコミュニケーションの必要性からあみ出される一種の簡略化された言語」[◆1]をピジン語というが、この当座しのぎのコミュニケーション手段であったピジン語が母語として定着したものを「クレオール語」と呼ぶ。この文脈においてクレオール化とは、一種の言語的な交雑化のことを指すが、本書でも参照されているエドゥアール・グリッサンは、この概念を文化一般にまで拡張適用して、「いつの時代にも、随所に、クレオール化の場(文化的混合)が保持されてきた」[◆2]と述べる。
クレオール化は複数の文化、あるいは、少なくとも複数の異なった文化の要素を世界のある場所で接触させ、合力の結果として、単なるそれらの要素の総和ないしは総合からはまったく予測できなかったような、新しい与件を産出することである。[◆3]
ブリオーが「グローバルなクレオール化」を語る際のクレオール化も、この拡張された意味でのクレオール化、つまり文化的な異種混交を意味する。ブリオーによれば、今日の芸術の問題は、グローバリゼーションが前提とする文化の標準化に抗しつつ、いかにそこに住まうか、という問いに集約されるが、彼がこの問いに答えるための手がかりとするのがクレオール化の概念にほかならない。というのも、クレオール化こそは、「必然的な標準化に抗して文化的言説を無限に分岐させ、少数派の坩堝のなかでそれをかきまぜ、いまや起源から切り離された遺物の姿で、ときに見違えるようなかたちでこの文化的言説を復元する」(104〜105頁)ものだからである。
本書は1989年にジャン゠ユベール・マルタンの企画で実現した「大地の魔術師たち」展に言及するところから幕を開けるが、グローバリゼーションの時代におけるクレオール化への問題意識――本展にその兆しが見られたところのもの――は、90年以降の芸術論を通じて次第に存在感を増してゆく[◆4]。たとえば、ブリオーと同世代でやはり国際的に名を馳せたキュレーターのオクウィ・エンヴェゾーは、第2回ヨハネスブルグ・ビエンナーレ(1997年)やドクメンタ11(2002年)をこうした問題設定のもとキュレーションして話題となった。展覧会カタログに寄せた論考でエンヴェゾーは、現在のグローバリゼーションが、15世紀半ばからの西欧諸国や初期の多国籍企業(オランダ東インド会社やイギリス東インド会社)の領土拡張政策にはじまる歴史的過程に起源をもつことを指摘している[◆5]。植民地主義は西欧の発展のために非西欧地域を犠牲にすることになった一方で、これ以降加速してゆくグローバルな人とモノの移動は、まったく新しい民族、コミュニティ、文化を生みだしもした。この時代のグローバリゼーションは、社会、文化的表現、人種的アイデンティティといったものの複雑な混合をもたらすことになったのである[◆6]。エンヴェゾーは、この初期近代のグローバリゼーションの結果生じた文化的混交を、やはりクレオール化という言葉で説明している。「クレオール社会は、奴隷制度と植民地主義の制度にまでさかのぼるものであり、また近代的主体性と歴史的プロセスが出会う交差点である」[◆7]。この意味においてクレオール社会は、「世界文化の形成過程」となってきた。「文化的現実の変容過程」としてのクレオール化は、カリブ海地域を発祥としつつも、やがて世界へと広がってゆく。それはまた、現代のグローバリゼーションの弊害たる文化の均質化に対する抵抗の契機をも秘めている、とエンヴェゾーは考えるのである。「グローバリゼーションの美学に向けて」という副題をもつ本書もまた、エンヴェゾーの思索と実践に象徴される90年以降のグローバリゼーション/クレオール化論の流れのなかに位置づけることが可能だろう。つまり本書は、グローバリゼーションの美学構築というプロジェクト――前世紀末に浮上してきた西洋美学の新たな課題――に対する、ひとつの応答として読むこともできるのである。
本書はブリオーの初邦訳書となる。フランスのキュレーターと彼が提唱した「関係性の美学」のコンセプトは、2000年以降日本でも広く知られるところとなったが、その一方で、日本語でアクセスできる本人の著作はほとんど存在しない状態が長らく続いた。また2010年代になると、ブリオー当人に先立ち、むしろ「関係性の美学」を批判的に俎上に載せる議論が広く翻訳・紹介されるようになったこともあり、彼の名はどちらかというと、アクチュアルな芸術論にとっての批判的参照項として言及されることのほうが多くなったように思われる。ただ、本人の書いたものが実際に読まれることがないまま、批判的紹介のみを通じてその主張が云々される状況というのは、やはりあまり健全とは言えまい。こうした状況を改善するためにも、主著である『関係性の美学』の邦訳が待ち望まれるのは言うまでもないが、まずは本書の邦訳出版がその一助となり、関連する議論の活性化につながれば嬉しく思う。
註
◆1 今福龍太『クレオール主義』筑摩書房、2003年、211頁。
◆2 エドゥアール・グリッサン『全-世界論』恒川邦夫訳、みすず書房、2000年、21頁。
◆3 同書、32頁。
◆4 この点については、以下の拙論でより詳しく論じている。武田宙也「グローバリゼーション時代の芸術作品」『総人・人環フォーラム』第40号、京都大学大学院人間・環境学研究科、2022年2月。
◆5 Okwui Enwezor, “Travel Notes: Living, Working, and Travelling in a Restless World,” in Trade routes : history and geography :2nd Johannesburg Biennale 1997, Greater Johannesburg Metropolitan Council, 1997, p. 8.
◆6 Ibid., p. 9.
◆7 Okwui Enwezor, »Die black box«, in Documenta 11_Platform 5: Ausstellung : Katalogue, Hatje Cantz, 2002, p. 51.
※掲載しているすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。