顔文字、絵文字、アスキーアート、スラング、ミーム……目まぐるしい早さで生まれ、とどまることなく変化していくインターネット言語。フィルムアート社から2021年9月25日に発売される『インターネットは言葉をどう変えたか デジタル時代の〈言語〉地図』は、気鋭の〈インターネット言語学者〉であるグレッチェン・マカロックが、刺激的な研究結果をユーモラスに語った、デジタル時代の新たな言語学への情熱あふれたガイドブックになっています。今回はその中から、第1章「カジュアルな書き言葉」冒頭部分を公開します。ぜひご一読ください!
日々、インターネット言語を生み出している人たちに捧ぐ
あなたたちが広大な土地だとしたら、本書はその地図にすぎない(献辞より)
第1章 カジュアルな書き言葉
生身の人間からではなく、映像や録音音声のみから話し方を学んだら、いったいどんな結果になるだろう?
映画から会話を学べば、別れの挨拶もなく電話を切ることなんてしょっちゅうだし、相手の話をさえぎる人なんていない、と思い込んでしまうかもしれない。ニュース番組からしゃべり方を学べば、「うーん」と言葉に詰まったり、何かを思い出そうとして手を動かしたりすることなんてないし、午後10時を回るまでは人を罵ることなんて絶対にない、と思い込んでしまうかもしれない。オーディオブックから物語を学べば、この数百年間、言語はまったく変化していない、と思い込んでしまうかもしれない。講演会でしか話をしたことがなければ、話をする前にはいつも心臓がバクバクし、何時間もの準備が欠かせない、と思い込んでしまうだろう。
もちろん、そんなふうにして言葉を学ぶ人なんていない。ニュース報道に目を通したり、人前でスピーチを行なったりできるようになるずっと前に、家庭内で、会話を繰り返し、カジュアルな形で言葉を覚えていったはずだ。人前でのスピーチはいつだって緊張するけれど、当然、友達に天気の愚痴をこぼすことくらいなら、誰だってできる。確かに、動かしている体の部位はどちらも同じなのだが、実際に行なう作業となると天と地ほどちがう。
それでも、わたしたちはみんなそうして読み書きの方法を学んだのだ。
書き言葉と聞いて、わたしたちがまず思い浮かべるのは、本や新聞、雑誌や学術論文、そして、わたしたちが学校時代に必死でお手本にしようとしてたいてい失敗したエッセイだろう。わたしたちは学校で、正式な言語の読み方を習った。まるで、過去1、2世紀、言語がまったく変化していないといわんばかりに。そうした文章や本は、それをつくった生身の人間とは見事に切り離され、ふたりの人間が完璧なバランスを保ちながら思考のキャッチボールをすることの魔力を軽視してしまっている。書くほうも同じだ。わたしたちは赤いインクにビクビクしながら書き方を学び、自分が何を言いたいかを考えることよりも、とにかく形式を重視するよう教わった。まるで、優雅で生き生きとした文章ではなく、ルールに忠実に従った文章こそが、よい文章だとでもいわんばかりに。だから、わたしたちが人前でのスピーチと同じくらい、真っ白な紙に恐怖を抱くようになるのも、当然といえば当然なのだ。
……というのは、少し前までの話。インターネットやモバイル機器が普及したおかげで、ふつうの人々がものを書く機会は爆発的に広まった。書くという行為は、わたしたちの日常生活に欠かせない会話の一部になったのだ。西暦800年、カール大帝は、ローマ皇帝に戴冠されたとき、自分の名前を署名することさえできなかったという※1。もちろん、書記官がいたので、憲章を代筆させることはできたけれど、読み書きのできない人が帝国を支配するですって? 考えられない。現代なら、誕生日パーティーを催すことさえ難しそうだ。これは、ある種の書き言葉が、別の種類の書き言葉に取って代わったということとはちがう。たとえば、「誕生日おめでとう」メールのおかげで、外交協定が不要になった、なんてことはない。近年大きく変化したのは、話し言葉がとっくの昔からそうだったように、書き言葉も「カジュアル」なタイプと正式なタイプ、その2種類に分かれたという点だ。
今や、わたしたちは四六時中ものを書いている。メール、チャット、SNSの投稿。そのほとんどがカジュアルで、スピードが速く、会話調で、編集が加えられていない。100人以上が読む文章を書いた経験のある人を「作家」と呼ぶなら、ソーシャルメディアを使う人なんてみんな「作家」ということになってしまう。新しい仕事や子どもについて、SNSで報告するだけでいいのだから。といっても、編集の入った正式な書き言葉が、オンライン上で姿を消してしまったわけではない。出版物と同じような文体で書かれたビジネスサイトやニュースサイトなんて山ほどある。ただ、今ではそうした書き言葉が、かつては話し言葉にしか姿を現わさなかった、未編集でありのままの文章の広大な海へと埋没してしまっているのだ。