2020年8月26日に発売となる『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』。常にヘレン・ケラーと比較され育った視覚障害をもつ著者が、ヘレン・ケラーとの架空の対話を試みるために手紙を綴っています。多くの方にとって学習まんがや伝記の世界でしか知ることのなかった彼女の、新しい側面を知ることができる本書。今回は「第1章 試練についての自覚」の冒頭部分を公開します。
第1章 試練についての自覚
2月3日
親愛なるヘレン・ケラーさま
自己紹介をさせてください。私は作家で、非常勤で英語教師もしています。アメリカ人で、結婚していて、中年で、中流階級に属します。あなたのように盲人ですが、聴覚障害はありません。ですが、私について知っておいていただく必要のある最も重要なことは、そして私がこの手紙を書いている理由は、私があなたを憎んで成長してきたということです。ひどく無遠慮なことを、とりわけ初対面も同様であるのにお話しするのは申し訳ないのですが、死者に手紙を書く利点のひとつは、儀礼的に堅苦しくふるまう必要がないということです。それにあなたには、最初から真実を知っていただかなくてはなりません。私があなたを嫌っていたのは、あなたが私の模範とすべき人として常に引き合いに出されてきたからです。不幸をものともせず、その不幸に朗らかに立ち向かうことにおいて、あなたはそれこそありえないほどに高い基準を設けてしまったのです。「なぜ、もっとちゃんとヘレン・ケラーのようにできないの?」と、人々は常に私に言いました。あるいは、あなたの名前が出されるときにはいつも、そう言われているように感じられたものです。「自分は幸運だと思いなさいな」と皆が言いました。「ええ、確かにあなたは目が見えませんよ。でも可哀想な小さなヘレン・ケラーは、目も見えなければ、耳も聞こえなかったのですよ。なのに、彼女は決して不平などは言ったりしませんでした」
こんなふうに言われてきたのは、私だけではありません。障害をもった多くの人々は、あなたが私たちの利益に対して多くの害をもたらしたと思っています。あなたの生涯の物語が刻みつけてきた考え方は、障害とは個人的な悲劇であり、したがって文化全体としての慣習や責任の負担を通じてよりもむしろ、個人の不屈の精神と勇気を通じて克服されるべきものだ、というものです。そしてその考えが、社会全体の集団的な行動を通じて変えることができたであろう多くの個人的な問題に影響を及ぼしているのです。ただ、理由を完全に説明することはできないのですが、最近になって、あなたに対する私の感じ方は円熟してきました。ほかの人々があなたの生涯の物語を利用したからといって、それをあなたの責任に帰すべきではないと思うようになったのです。そのおかげで、私は初めてあなた自身の手による自叙伝的な著作を読むようになりました。もっと驚くべきことに、その結果として、アラバマ州のタスカンビアの町まで車で小旅行に出ることになりました。あなたが子ども時代を過ごした家「アイヴィー・グリーン(蔦みどりの家)」を訪ねるためです。そこで私が何を見いだしたかを、あなたもきっとお知りになりたいと思います。
車での旅行にはほとんどいつも夫のニックが同行しますから、今回も一緒に出かけました。私たちは、邸内をめぐるハウスツアーに参加しました。地元の英雄を記念する博物館では、そうしたツアーはよくあるプログラムなのです。ガイドは60歳近くの女性で、おそらくはボランティアなのでしょう、明らかに用意されている原稿を暗誦しているようでした。その町について、地域について、南北戦争前の建築について、そしてさして目新しくもないたくさんの事柄について、すべてスラスラと語ってくれました。
それから、一階のひと部屋で、彼女は床のカーペットを指し示しました。誰が織ったかは忘れてしまいましたが、あなたのために特別に織られたものです。こういったことをすべて説明し終えたあとに、彼女は「可愛らしいじゃありませんか?」と言いました。私たちは、同意する言葉をつぶやきました。すると彼女はこう言うのです。「ヘレン・ケラーが一度も見ることができなかったのは、本当に残念なことですわ」。この台詞を言ったときの彼女の声には、しわがれた重々しい響きがありました。その言葉は、瞬時に私たちをとらえて、自己満足から引きずり出し、あなたが目も耳も不自由だったことを改めて思い出させました。そのために発せられた言葉であることは、すぐにわかりました。私たちは、感謝の気持ちと我が身の幸運を感じ、一人ひとりが感謝の祈りを唱えることが期待されているのでしょう。「日々目覚めるたびに、ヘレン・ケラーのように生まれなかったことを神様に感謝します」とね。
ええ、これぐらいのことは起こるだろうと、予期しておくべきでしたよ。「なぜ、もっとちゃんとヘレン・ケラーのようにできないの?」というメッセージを伝えるために、あなたの子ども時代の家以上に相応しい場所があるでしょうか?こんなことぐらい、ぐっと我慢すべきだったのでしょうが、このメッセージに対する私の憤慨はひどく古くからのもので、そしてとても根深かったので、もう無条件に反射的に反応してしまうのです。というわけで、このときの私の怒りの矛先は、可哀想な幼いあなたが一度も見ることのなかったカーペットを指し示した女性に向けられました。そこでこう言ったのです。「でも、彼女はそれに触れることはできたでしょう」
「はい?」と、ガイドは言います。「彼女が何ですって?」
「彼女には、触れることができたでしょう。触覚があったのですから。良質のカーペットをもつ喜びのひとつは触り心地でしょう。触って感じることはできるし、裸足で上を歩くこともできたでしょう。彼女には想像力もありました。誰かに説明してもらうこともできたし、それがどんな感じか想像することだってできたでしょう」
私のしゃべり方は、いかにも偏屈者のそれでした。かっとなって我を忘れつつある人の声は、ある種の震えを帯びるものですが、そのときの私の声がそうでした。ガイドが私を不信の目で見つめているのが感じられました。これが私のするつもりだったことなのでしょうか? 客を喜ばせる彼女の芝居がかった話しぶりを、私は台無しにしていたのです。ツアーに参加しているグループの残りの人々――テネシー州から来たバプティスト派の一群が、目をそらしているのも感じられました。
ともあれ、私は自らを抑え、そして私たちはツアーを続けました。ガイドが私に用心している様子がうかがえました。居間でポンプオルガンを示しながら、一瞬ためらったのです。その美しい音色をあなたが一度も耳にできなかったことについて何かを言おうとしていたようですが、この日のグループに偏屈者がいる以上、その台詞を口に出すのはやめることにしたのが感じられました。
戸口から一つひとつの部屋のなかを見渡すたびに、ガイドは、どの家具が実際にあなたの家族のものだったか、どれが当時のもので、どれがただの複製であるかを伝えることに手間をかけました。私もこうしたハウスツアーを何度も経験してきましたから、本物かどうかが常に問題になることはわかっています。でも、部屋のなかを歩き回って、何かに触れることを許してくれればいいのにと思いました。ここは、私がこれまで訪問したなかで盲人に最も親切な博物館というわけではありませんでした。点字を生み出したフランスの盲学校教師ルイ・ブライユの家では、何にでも手で触れることを許してくれましたが、ここは違います。でも、おそらくは、あなたの家を訪れる盲人はブライユの家より少ないのでしょう。
それを証明するかのように、私たちのガイドは、中央の廊下の壁に並ぶ写真の説明に多くの時間を費やしました。私にはいくらか視力が残っていますが、写真はよく見えません。ニックがどんな写真かを明し、キャプションを読んで聞かせてくれました。七歳頃のあなたの写真がありました。あなたの先生のアン・サリヴァンが、あなたの人生のなかに入ってきた頃のものです。「可愛らしい子じゃありませんか?」と言ったガイドは、それから首を振りました。正確に言うと、彼女が本当に首を振ったかどうかは私にはわかりません。でも彼女の口調は、何の役にも立たない無駄なことに対して人々が首を振って見せるときのそれでした。あなたの容貌が平凡だったなら、もっと悲劇的ではなかったかのような口ぶりです。
この感想を声に出して言いたいという衝動を私は吞み込みました。こうした態度にはあまりに慣れっこになってしまっていて、もうこれ以上は心にとどめておくこともできないほどです。「なんて可愛らしい女の子でしょう」と人々は言うのです。「目が見えないなんて、なんと残念なことでしょう」と。明らかに、私たち盲人にとっては、美しさは意味のないことなのでしょう。私たちには鏡に映る自分の姿が見えないし、自分が部屋に入った瞬間に、男の人たちがぱっとこちらを振り向く様子も見えないのですから。この写真のなかのあなたは、襞飾りがいっぱいついたドレスを着て、巻き毛を念入りにセットしています。可愛らしく見えるのでしょうか? ニックは、下唇にある種のこわばりがうかがえると教えてくれました。ドレスと髪型の可愛らしさとはそぐわないに違いない表情を浮かべているように聞こえました。ポーズをとっているようだけれど、そのポーズにいくらか自信がないようにも見えたそうです。その歳の頃、あなたにとって写真はどんな意味をもちえたのでしょう? もっとあとになると、あなたはコツをつかみましたね。そばに掛けられた別の何枚もの写真では、あなたはいつも満面の笑みを浮かべ、瞳をカメラのレンズに真っ直ぐに向けています。
この写真の隣には、アン・サリヴァンの写真がありました。あなたがいつも「先生」と呼んでいた彼女を同じ頃に写したものです。ガイドが「愛らしい方じゃありませんか?」と言いましたが、それは例の「なんと残念なことでしょう」の口調と同じです。先生の場合の「残念」は、目や耳や何かほかの障害があったという意味ではありません。彼女の場合に残念なのは、誰かいい男の人を見つけて、普通の生活を送るのに充分なほど愛らしかった時代に、あなたの付き添い役や協力者の役を務めるために自らの人生を犠牲にしてしまったから、というわけです。またもや私としては、それは違うと議論することもできました。でも、しませんでしたけどね。「彼女は愛らしいの?」と、ニックに訊ねました。情熱的な容貌で、燃えるように激しく見えると同時に弱々しくも見える、というのがニックの答えです。それがどんな容貌かは見当もつきませんが、その説明は、私が彼女の個性について知っていることと合致しています。ですから彼の言葉をそのまま信じました。
この時点までは、ハウスツアーは特に目新しさもないコースをたどっていました。ええ、確かにカーペットについては例の亀裂がありました。でも、ほとんどの参加者はおそらく気づいていなかっただろうと思います。ですが、ひとたび食堂に着くと、事態は奇妙になりました。ガイドはそこを、あなたの「名高い闘いのすべてが繰り広げられた、かの有名な食堂」と呼びました。あなたを「いつもの小さな暴れん坊」と呼び、先生があなたにフォークを使って食事をとらせ、最後にきちんとナプキンをたたませるために繰り広げた闘いについて物語るのです。その話を聞いていて、突如として私は、このガイドはお芝居の『奇跡の人』をまさに福音書のように崇めているのだと悟りました。家の外に出ると、「かの有名なポンプ室」がありました。あのお芝居のクライマックスシーンで、主役となる小道具です。その名高いポンプの周りが柵で囲われて、ある種の東屋のようになっていました。ですが何にも増して異様だったのは、さらに奥にある数棟の離れ屋の後ろに、常設の舞台セットと観覧席があったことです。夏になると、ここの人たちはそこで『奇跡の人』の夜間上演を行なうのです。
私がまずはっきりさせたいのは、ここのところなのですよ、ヘレン。あなたをヘレンと呼んでもいいですよね? この一切合切に関して私が問題に感じているのはね、ヘレン、その芝居に誤りがあるということではありません。脚本家のウィリアム・ギブソンは、先生がアイヴィー・グリーンに来た最初の数週間に書いた手紙と日記から、劇中のシーンを描き出しました。事実、あの芝居の通り、1887年ウォーター3月末のある日、先生はあなたの片方の手にポンプの水を注ぎながら、もう片方の手に「水」という言葉をつづり、そしてあなたは突如として、奇跡的にも言語というものを発見したのです。あなたは手にしていたマグカップを落とし、「ウォー゠ウォー」と言いました。あなたの耳と目に障害を残した例の病気にかかる前に、あなたが覚えていた赤ちゃん言葉です。その後のあなたは、指文字のアルファベットで対話をする方法や、読み書きや話す方法を学び続け、どこから見ても称讃に値するかたちで不幸をおおむね克服し、それによって有名になりました。
私が当惑したのは、この出来事があなたの家族の間で大切に記憶されてきたことではありません。でも、それがこの家で再演されているということに、心がかき乱されたのです。いったいぜんたい世界中のどこに、個人的な生活の出来事がこんなふうに、まるで何かの儀式のように再現されるところがあるのでしょうか? 思い浮かぶのはエルサレムのことです。十字架の道です。あなたのことを聖人のように列福したい、神格化さえして嬉しがらせたいという衝動が人々の間にあるのかもしれませんが、それはとんでもなく大きな犠牲をもたらすのですよ、ヘレン、とりわけあなたのあとに続く何世代もの障害者たちにとっては。
ですが、裏庭の舞台の周りを歩く私の心を乱した一番の理由は、その『奇跡の人』は先生の物語であって、あなたの物語ではなかったということです。「先生」こそが、奇跡をなしえた人、不幸に打ち勝った人でした。「あなた」は、先生が克服した不幸だったのです。あなたは、奇跡が行なわれた場所でした。そして先生のなしえたその成果を称讃していくと、その芝居は真の事態をいくらか歪めるのです。
(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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