映画監督ウェス・アンダーソンをめぐり、最新作『フレンチ・ディスパッチ』を含むその全てを総括する評伝『ウェス・アンダーソン 旅する優雅な空想家』。
長編監督作はもちろん、『ホテル・シュヴァリエ』『カステロ・カヴァルカンティ』といった短編全作をカバーし、さらには監督が影響を受けた人物や映画作品、プライベートな交友関係についても紹介。あますことなくウェス・アンダーソンの「人生」を詰め込んだ1冊です。
本書について、映画批評家・宮代大嗣さんによる書評を公開します。
子供時代を生き直す
イアン・ネイサンによる本書では、ウェス・アンダーソンのフィルモグラフィーがどのように成り立っているか、難しい言葉を使わずに、巧みな構造で分析されている。最新作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(2021)までの全作品を網羅する解題には、ほとんどの序章に子供時代のウェス・アンダーソンの記憶が用意されている。本書を読みながら強く感じるのは、ウェス・アンダーソンのフィルモグラフィーの源泉が、子供時代に手の届かなかった夢の痕跡の探求としてあるということだ。ウェス・アンダーソンの映画制作とは、豪華絢爛な美術装置の細部に至るまで、いわば失われた子供時代を生き直すための「冒険」の結晶としてある。
最新作『フレンチ・ディスパッチ』に関する最も濃密なインタビュー記事は、おそらく『ニューヨーカー』誌に掲載されたスーザン・モリソンによる記事だろう。リミッターを振り切って展開されるウェス・アンダーソンの博覧強記ぶり。そこで披露されたような、ランダムに放たれるウェス・アンダーソンの止まらない好奇心を、著者は整然とした文脈で整理していく。「とても整然とした映画の中で描かれる、とても雑然とした人々」。これ以上にウェス・アンダーソンの映画を適確に表わす言葉が他にあるだろうか。
『ニューヨーカー』誌へ捧げられた『フレンチ・ディスパッチ』のニュースが最初に流れてきたとき、真っ先に連想したのは、ウェス・アンダーソンが敬愛する映画批評家ポーリン・ケイルのことだった。大の映画本マニアでもあるウェス・アンダーソンは、『ニューヨーカー』誌に寄稿されていたポーリン・ケイルの書く映画批評に心酔していた。本書には、生前のポーリン・ケイルとの、ほのかにビターに終わった交流が、ウェス・アンダーソンの言葉と共に記されている。『フレンチ・ディスパッチ』にポーリン・ケイルは描かれていない。しかし、この作品自体がポーリン・ケイルに見てもらうための映画、彼女に捧げられた映画だったのではないか? 「子供時代の記憶を生き直すウェス・アンダーソン」を主軸にする著者の筆の運び方は、そんなことを思わせてくれる。
ボーイスカウトを完遂することに失敗した少年時代のウェス・アンダーソンの初恋が、『ムーンライズ・キングダム』(2012)の発想の元になったこと。あるいは、『天才マックスの世界』(1998)におけるラシュモア学園のイメージに母校のイメージが重なっていたことを発見するエピソード。問題児だったウェス・アンダーソンを演出の道に導いた小学校の女性教師。多くの映画作家の例に漏れず、ウェス・アンダーソンの映画もまた、子供時代との「類推の法則」にイメージの起源を辿っていることが丁寧に分析されている。
しかし、ウェス・アンダーソンの世界が子供時代の遊戯と夢想の実現の範疇に収まらないのは、そのイメージが、むしろ失敗してしまった遊戯を源泉としているところだろう。ボーイスカウトにも初恋にも失敗したウェス・アンダーソン。どうしても手が届かなかった夢。そしてそれは、大人になったウェス・アンダーソンが映画作家として成功していく過程においても、容赦なく起こった挫折であることを本書は明かしている。
挫折と挑戦、列車の旅
特に日本においてはまったくクローズアップされてこなかったことだが、順風満帆のように見えるウェス・アンダーソンの歩みは、これまでに何度かの挫折を経ている。長編デビュー作『アンソニーのハッピー・モーテル』(1996)のテスト試写で、ソニー史上最低の評価を受けてしまったことは、失敗の序章にすぎない。
『天才マックスの世界』で、次世代の映画作家として期待されたウェス・アンダーソンは、ディズニー製作の『ライフ・アクアティック』(2004)を仕上げる。しかし、大きな製作費をかけたこの傑作は、興行的に失敗の烙印を押されてしまう。続いて撮られた『ダージリン急行』(2007)。現在の視点から振り返った際、インドで撮られたこの作品は、ウェス・アンダーソン印の技巧が豊かに凝らされながらも、『アンソニーのハッピー・モーテル』に立ち戻ったかのような、原点回帰の様相を帯びていることに気付かされる。その理由は、おそらく『ライフ・アクアティック』が興行的な失敗に終わってしまったことへの傷心にある。『ダージリン急行』が、兄弟の物語への回帰、自分を見つめ直す旅であったことは、決して偶然ではないだろう。
「列車が前に進むと物語も前に進むんです」と、殊勝に語るウェス・アンダーソンの野心は、セットではなく実物の列車を撮ることにこだわった『ダージリン急行』に、きっちりと刻まれている。ナタリー・ポートマンは寝台に横たわる数秒のシーンためにインドに向かった。ビル・マーレイはたった2分の出番のためにインドに向かった。偉大な俳優たちからの支持を得ながらも、しかしこの作品は再び興行面で失敗してしまう。
『犬ヶ島』(2018)が批判に真っ向から立ち向かった作品だったという著者の仮説も興味深い。『ムーンライズ・キングダム』において、矢に打たれて死んでしまう犬をはじめとするウェス・アンダーソンの「犬の扱い」をめぐる批判記事。この誤解への返答として、犬がヒーローになる映画を敢えて作ったという仮説。また、「ウェス・アンダーソンの映画は雑然としている」という批判に対して、敢えて雑然としたゴミの島を映画の舞台に選んだ挑戦の意志。
本書には、大御所俳優ジーン・ハックマンへの歓待方法など、ウェス・アンダーソンの経験してきた苦い部分が隠さずに記されている。そして、挫折や批判への向き合い方こそが、ウェス・アンダーソンという映画作家の個性を、より強固なものにしていったことが、並走する形で記されている。ウェス・アンダーソンの歩みは、物語を推し進める列車のように、ひたすら前へ前へと走っていく。届きそうで手に届かなかった痛みと共に。
旅する空想家、王国の作り方
ティルダ・スウィントンは、ウェス・アンダーソンの映画のことを「旅するサーカス団」と形容している。スタッフ、キャストが同じホテルに泊まり、共にディナーを楽しむという現在のウェス・アンダーソンの撮影スタイルの雛型が、本書では小気味よく描写されている。『ムーンライズ・キングダム』の撮影で、編集のために借りた屋敷に、ビル・マーレイ、ジェイソン・シュワルツマン、エドワード・ノートンが、次々と自然発生的に引っ越してきたのだという。ウェス・アンダーソンの映画においては、一つ屋根の下の共同生活が、偉大な共同創作へと繋がっていく。
代理人を介さず、直接キャストに出演交渉をするというスタイルも初期から貫かれている。親友オーウェン・ウィルソンとの共同生活、共同創作で始まったウェス・アンダーソンのスタイルは常に一貫している。もはやオールスターキャストで撮ることがデフォルトになっているが、ウェス・アンダーソンに言わせれば、自然発生的に「仲間」が加わっていっただけ、ということなのだろう。『フレンチ・ディスパッチ』における架空の街、「アンニュイ゠シュール゠ブラゼ(無気力に乗った退屈)」の命名の起源に、ビル・マーレイの演技のスタイルを見出す著者の仮説は鋭い。『フレンチ・ディスパッチ』の看守シモンが、レア・セドゥという俳優そのものに捧げられた役だったように、ウェス・アンダーソンは映画制作を通して、同じ旅をする「仲間」にオマージュを捧げている。
『ダージリン急行』の三兄弟は、旅のパスポートを次男に預ける。ジャック(ジェイソン・シュワルツマン)曰く、「安心だからね」。それは行く当てのない旅をする仲間への信頼と連帯の証だった。向こう見ずなウェス・アンダーソンの旅には連帯が必要とされる。ウェス・アンダーソンの王国は、『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)のように、目の前に立ち現れては、すぐに消え去ってしまう。まるでどうしても手に届かなかった子供の頃の夢のように。『ムーンライズ・キングダム』の少年サムは、「ディス・イズ・アワー・ランド!」と叫んだ。目の前にある幻影をここに留めるために。届きそうで手に届かない幻影。それは、なんと映画に似ていることだろう。本書は、この比類なき優雅な王国=幻影に入国するための「旅のパスポート」のような一冊だ。
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