2020年12月に刊行されたノンフィクション・グラフィックノベル『私たちにできたこと 難民になったベトナムの少女とその家族の物語』は、幼少期にベトナム難民としてアメリカにわたった著者ティー・ブイとその一家の物語です。母となり、アメリカで新しく家族を築いていくこと、そして子供を育てるという不安の中で、ティー・ブイは心が離れてしまった両親と向き合う決意を固めます。
本書が美しいビジュアルで描くのは「親を愛すること」という普遍的なテーマです。
「誰かの娘で、その上、誰かの母親」である、作家藤野可織さんは本書をどのように読んだのでしょうか。藤野さんよる書評を公開いたします。
ゼリーの海の夢
私は自分がゼリーの海からなにかのはずみにぷつんと切り離された、ちいさなちいさなゼリーの粒だと想像するのが好きだ。私はかつては大きなゼリーの海の一部だったけど、なにせゼリーだから、あそこではぜんぶが私で、ぜんぶが私じゃなかった。ぷつんと切り離されて、はじめて私は私になったのだ。私は私を起点とするあたらしいゼリーの海を築かない。私は誰の振動も受け取らず、誰に振動を伝えることもなくひとりでぷるるると震える。私は永遠に私ひとつでできている。
もちろん私はゼリーの粒ではない。私は誰かの娘で、その上、誰かの母親である。でもまだ誰かの娘でしかなかったときは、それはもうしかたのないことだった。それは私の選んだことではなかった。私が孤独でちいさなゼリーの粒でないことは、私のせいではない。ところが子どもを産んでしまうと、たちまちなにもかもが自分のせいになってしまった。私はみずから、切り離されたゼリーの粒であることを放棄したのだ。切り離されたゼリーの粒だったことなんて一度もなかったけど、もう言い訳はできない。私は自分で自分の幼い幻想をだいなしにしてしまった。
同じような感傷を、本書のなかに見つけたと思った。はじめての出産の翌日、病室のベッドで、コットで眠る赤ん坊のほうを向いて寝転がるティー・ブイ。しょぼくれた表情が、だんだん力強いものになっていく。「母は帰った。でも私はひとりじゃなかった。すると、恐ろしい考えが頭に浮かんだ/家族は今、自分で作りあげたものになった/…私がそこに生れてきてしまったものではなくなったのだ」
ページをめくると、このモノローグはこう続く。「責任は重大/母への共感の波が打ち寄せてきて、私を圧倒した」
共感の波。その言葉で、私は自分の勘違いに気がついた。ここには感傷なんかない。のんきに感傷に浸っている暇なんてないのだ。作者は先へ進むために、両親のことを、彼らがどうして今あるような人間になったのかを理解する必要があった。
そこから、ティー・ブイは時間をさかのぼる。ほんのはじめのうちは自分ひとりで。それから父親の手を取って。母親の手を取って。
ティー・ブイは両親や姉弟たちとともにボートピープルとしてアメリカへやってきたベトナム系アメリカ人だ。彼女の両親はまったく異なる環境で育った。父は北ベトナムの農村で生まれ、安住を知らず追い立てられ、隠れ、逃げ延びることによって生きてきた。母は南ベトナムの裕福な家庭で生まれ育ち、エリートの子女としてフランスの学校に通いフランス語で教育を受けた。このまったく異なる人間であるふたりがいつどのように出会い、恋に落ちたのか。そして、どのようにして六人もの子をもうけ、どのようにして難民となることを決意せざるをえなかったのか。ティー・ブイは、ベトナムの被支配と分断の歴史を洗い直し、ふたりの手を引いてふたりの人生をともに歩み直す過程で、父が幼いころから刷り込まれた恐怖により癒えないかたくなな魂を持ったまま生きていること、母がそんな父との結婚によって多くのものを失い続けてきた女性であることを思い知る。海が何度か描かれる。子どもを遊びまわらせてやる明るく親密な海、生き延びるために渡らなければならない暗く得体の知れない海。うねり波打つ海を描きながら、作者はその海に身を委ねる。両親との相容れない部分もそのまま大きな波になって作者を飲み込み、彼女が彼女の母親とぴたりと重なる奇跡のような一瞬が訪れる。
この物語の終わりにあるのもやはり海だ。10歳になった息子が泳ぐ海。渾然一体となって切り離すことのできない社会の歴史と家族史と個人史のいちばんさきっぽにいる息子を、ページの外へ外へと泳いでいく息子のうしろすがたを、作者は「彼は自由なのだ」というモノローグとともに描く。彼には「戦争も喪失もない/私やトラヴィス(夫)の影ですら」と。
しかし、彼は切り離されてはいない。海のただなかにいて、しっかりと個人のかたちを保ちながら泳ぎ抜いていく。その姿に、私の幼くさみしいゼリーの海の夢がぱちんと醒めた。
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