2020年8月26日に発売された『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』。常にヘレン・ケラーと比較され育った視覚障害をもつ著者が、ヘレン・ケラーとの架空の対話を試みるために手紙を綴っています。多くの方にとって学習まんがや伝記の世界でしか知ることのなかった彼女の、新しい側面を知ることができる本書。今回は東京・杉並区荻窪の本屋「Title」の店主で、本にまつわる数多くの連載を持つ辻山良雄さんによる、本書評を紹介します。
「ヘレン・ケラー」ってこんなに面白い人だったんだ。
そうした新鮮さが、この本を読んでいるあいだ、ずっと心から離れなかった。目が見えず、耳が聞こえないといった、想像を絶する苦難を乗り越えた、感動的で模範的な人物としてのヘレン。そのような完成されたストーリーは、その人に対する関心を奪ってしまうのか、わたしのヘレン・ケラー理解は、小学生のときに読んだ学習漫画の域を超えるものではなかったが、本書により「大人になって、ほんとうによかった」と思わされた。それほど、他者について知ることは、興味深く、わくわくする。
著者のジョージナ・クリーグは作家で、大学の非常勤講師。盲人(全盲ではなく、いくらか視力は残っている)であるが、ヘレンのように聴覚の障害はない。幼いころからその名前を引き合いに出され、自らの行為を正されるなど(どうしてヘレン・ケラーのようにできないの、とか)、同じ障害を持つものとして、彼女はヘレンに対して複雑な感情を抱いている。しかしその複雑さの背景には、障害者に理解をしているように見えて、その実それを括弧に入れ、決まった観方に押し込めてしまう社会への苛立ちもあるようだ。
彼女はただヘレンの伝記を書くのではなく、親しく遠慮のない手紙を送るという形式を取ることで、〈聖人〉に仕立て上げられてしまったヘレン・ケラーの物語から、失われてしまったものをすくいとった。
いたかもしれない恋人との恋愛や、性の問題。サリヴァン先生との緊張に満ちた長きにわたる関係など、ジョージナの筆はヘレンの(なぜか)タブー視されてきたことに対しても容赦はない。しかし文章に描かれたヘレンは、とても快活で、かわいく見える。
それは健常者が障害者に抱きがちな、「かわいそう」がうまくすりかえられた「かわいさ」ではない。内からの好奇心が抑えられず、自らに忠実な、自由な魂に見つけることのできる、人間としての「かわいらしさ」。ヘレン・ケラーを尊敬し、時に崇拝までする人はこれまでにも多くいただろうが、ジョージナは遠慮なくヘレンに近づき、その肩に手をまわしながら、誰よりも彼女を一人の人間として尊重し、その〈個〉を回復したのだと思う。
「あなたの手を夢に見ましたよ、ヘレン。手は、あなたにとってかけがえのないものでした。それは、あなたが世界へ通じる道でした」(本書 397ページより引用)
本書では、盲ろう者がどのように世界を認識しているか、その感覚が豊かな、うつくしい文章で綴られる。わたしはそれを読み、いかに自分が本来持っている感覚を充分に使わず、日々やり過ごしているかを思い知らされた。世界は一つではないとはよく言われることだが、そう言い切って満足するのではなく、その中を生きてみないとわからないことがある。
このような友人関係も存在するのだろう——本書の最後までたどり着いたいま、ふたりの時を超えた結びつきに、大きく心を動かされたが、書くことで実際には出会うことのなかった人でも、ほんとうの意味で出会うことができる。そう強く思わせる本だった。
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