「紀伊國屋じんぶん大賞2024 読者と選ぶ人文書ベスト30」第6位!
徹底的に庭を見よ!
作庭現場のフィールドワークから、庭の造形を考え、庭師の生態を観察し、庭のなりたちを記述していく、新感覚の庭園論がここに誕生!
庭師であり美学者でもあるというユニークなバックグラウンドを持つ注目の研究者・山内朋樹の待望の初単著。
庭を見るとき、わたしたちはなにを見ているのか?
庭をつくるとき、庭師たちはなにをしているのか?
そもそも、庭のかたちはなぜこうなっているのか?
本書は庭師であり美学研究者でもある山内朋樹が、
京都福知山の観音寺を訪ね、その大聖院庭園作庭工事のフィールドワークをもとに、庭のつくられ方を記録した「令和・作庭記」である。
庭について、石組について、植栽について、空間について、流れについて、部分と全体について……
制作のプロセスを徹底的に観察するとともに、その造形(かたち・構造)の論理を分析し、「制作されるもの」と「制作するもの」の間に起きていることを思考する。ミクロの視点で時間軸を引き伸ばしながら、かたちが生まれるその瞬間を丹念に解読していく、他に類を見ない新しい「制作論」。
本書を読んだ後には、これまで見ていた庭や、木々や、石や、そして景色の見え方が変わって見える!
千葉雅也氏(哲学者・作家)推薦!
庭の見方をガラリと変えてくれる画期的な庭園論であり、すごく応用の利く本だと思う。「ひとつ石を置き、もうひとつをどう置くか」というのは、絵画の話でもあるし、音楽でも料理でも、会話術でもビジネス術でもあるからだ。
庭は石や植物や地形といった、さまざまな物体が配置された姿かたちとしてそこにあり、すべてはあからさまに見えている。しかし庭はすでに完成しているのだから、なぜ石がこのように置かれているのか、なぜ木があのように生えているのか、なぜこれらの物体の配置がこうなっているのか、その判断のひとつひとつの機微を理解するのは難しい。
たしかに見えているものから推測するのも面白い。とはいえ目の前の庭を丹念に見つめてもなおこう言うことができる。この石はなぜこの姿で置かれたのか? なぜこの配置になっているのか?
この根拠への遡行を止めるために必要なのはおそらく、物体の配置の理由それ自体を、物体の配置そのもののなかに見ること、あるいは物体の配置の生成プロセスのなかに見ることだ。「浅めることでも理解する」とはそういうことだ。
もちろんかたちの生成は複雑な意図や図像的な解釈や歴史的経緯とも絡みあっている。それらを捨て去るわけではない。しかしその奥へと理由をかき分けていくのではなく、それらをもう一度この浅さの上にもたらすことだ。身も蓋もないこの浅さに、あるいは浅はかさに。
(「はじめに」より)