映画よさようなら

佐々木敦=著
発売日
2022年12月24日
本体価格
2,600+税
判型
四六判・並製
頁数
304頁
ISBN
978-4-8459-2143-0
Cコード
C0074
デザイン
戸塚泰雄(nu)

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映画が映画にさようならを告げている――

ペドロ・コスタ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、セルゲイ・ロズニツァ、濱口竜介、深田晃司……現代映画のトップランナーたちと並走してきた著者がつづるポストメディア時代の映画批評。

3つの問題系――「歴史」「受容」「倫理」――が浮き上がらせる「映画」の現在地。

教養主義の後退、動画配信サービスの台頭、当事者性の問題……現実の変化を受け、映画はかつてあったものとはまるきり異なる何ものかへと変貌しつつある。本書は、思考家として、ペドロ・コスタ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、セルゲイ・ロズニツァ、濱口竜介、深田晃司といった現代映画のトップランナーたちと並走してきた著者が、2020年以降に執筆したテキストを集めたポストメディア時代の映画批評集だ。

「映画はもうほんとうはとっくに「映画」ではなくなっており、ただ私たちは「かつて映画であったもの」の記憶(?)をそこに見出(そうと)しているだけなのだ」と語る著者が、「歴史」「受容」「倫理」という3つの問題系から「映画なるもの」と向き合い、「目の前の「映画」に対峙し、そして先へと進」むための思考を深めていく。

第1部の「歴史/映画史」では、ペドロ・コスタやアピチャッポン・ウィーラセタクンという国際映画祭の常連作家たちの新作に眼だけでなく耳も持って対峙しているほか、タル・ベーラやヴィム・ヴェンダース、マルグリット・デュラスといった巨匠たちの歩みを振り返る。第2部の「受容/メディア」では、「アーカイブ映像」を編集することで「物語」を生み出すセルゲイ・ロズニツァや、特異な「ホームムービー」を生み出した原將人に向けたテクストだけでなく、小説家・円城塔が脚本を担当した『ゴジラ S.P』論も収録。第3部の「倫理/ポリティカル・コレクトネス」では、ともに新作でろう者を描いた濱口竜介と深田晃司を取り上げるほか、小森はるかや今泉力哉といった若き日本の映画作家たちに注目していく。

ほかに、本書のためにつづった映画を取り巻く状況を整理したプロローグ、濱口竜介が『ハッピーアワー』以前に制作した『親密さ』に対する書き下ろし論考を収録。さらに、その死を受けて大幅に加筆したジャン゠リュック・ゴダール論も収められており、「映画」の現在地を示す映画批評集となっている。

映画よさようなら。一切のノスタルジー抜きに、この言葉を受け取らねばならない。今や映画が映画に別れを告げており、同じ名前で呼ばれていても実のところはまるきり異なる何ものかへと変貌しつつある、いや、すでにそうなっているのだと、そのことにわれわれも気づいているのに、だが口に出して認めてはいなかっただけなのだと、望ましいかはともかくも現実を直視して、目の前の「映画」に対峙し、そして先へと進まなくてはならない。(プロローグより)

メディア掲載

目次

プロローグ:さようなら、映画よ

第1部:歴史/映画史

部屋を流れる奇妙な音――ペドロ・コスタ論
科学と神秘――アピチャッポン・ウィーラセタクンの『MEMORIA メモリア』
リアリズムの内破――伝説前夜のタル・ベーラ
ヴィム・ヴェンダースの修行時代――ある映画監督のまわり道
ロマネスクの起動――劇映画作家としての伊藤高志
映画は存在しない――マルグリット・デュラスの映画論

第2部:受容/メディア

「観察」の条件――フレデリック・ワイズマンと香港ドキュメンタリー映画工作者を例に
「事実」の復元、「時間」の修復――セルゲイ・ロズニツァの「群衆」シリーズ
フェイク・ドキュメンタリーの擬態(フェイク)――セルゲイ・ロズニツァの「劇映画」
「事実」の「物語」化について――『バビ・ヤール』とセルゲイ・ロズニツァというフィルター
「手紙の時代」の映画――トーマス・ハイゼと百年の厚み
映画としての人生、人生としての映画――原將人と「ホームムービー」
鏡の中の闇、闇の中の鏡――奥原浩志小論
「本の未来」のための新たな寓話――吉田大八『騙し絵の牙』
時間の「背」を捉えるために――吉増剛造×空間現代×七里圭
ふりだしに戻る/ TIME AND AGAIN――『ゴジラ S.P』の円城塔論

第3部:倫理/ポリティカル・コレクトネス

親密さ、とは何か? あるいは距離について――濱口竜介の青春期
言語の習得と運転の習熟――『ドライブ・マイ・カー』論
神と人との間――『偶然と想像』論
スパイの妻と、その夫――黒沢清vs濱口竜介・野原位
第三の「非/当事者」性にむかって――『二重のまち/交代地のうたを編む』論
ありそうでなさそうな/なさそうでありそうな話――今泉力哉の「リアリティのライン」
ふたつの『星の子』、映画と小説――見える映画と見えない小説
ヒューマニズムについて――実験劇映画作家としての深田晃司

エピローグ:JLGRIP

プロフィール

[著]
佐々木敦(ささき・あつし)
1964年生まれ。思考家。音楽レーベルHEADZ主宰。文学ムック『ことばと』(書肆侃侃房)編集長。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。さまざまな分野で批評活動をおこなっている。映画に関する書籍に『ゴダール・レッスン』(フィルムアート社)、『ゴダール原論』(新潮社)、『この映画を視ているのは誰か?』(作品社)、『反=恋愛映画論』(児玉美月との共著/Pヴァイン)などがある。ほか著書に『ニッポンの思想』(講談社)、『批評時空間』(新潮社)、『アートートロジー』(フィルムアート社)、『半睡』(書肆侃侃房)、『増補・決定版 ニッポンの音楽』(扶桑社)などがある