録音されたものから、ある時代を知るとはどういうことだろう?
ポスト・レコーディング時代の前衛・実験音楽論
ジョン・ケージならびに60年代の実験音楽・前衛音楽の試みと「音楽の解体」によって生まれた、不確定性の音楽、長時間のミニマリズム、テキスト・スコア、ハプニング、ライヴ・エレクトロニクス・ミュージック、ノン・イディオマティックなフリー・ジャズやフリー・インプロヴィゼーションといった、「録音」に不向きでLPやCDを聴くことで追体験できるものではない音楽の録音物に録音されているものとは一体何か?
その録音物を聴くということは、どういうことなのか?
現代における録音物の氾濫とオンライン・アーカイヴによって変容していったリスナーの「聴取」と「体験」に、「録音の不可能性」というアプローチからせまる、音楽家デイヴィッド・グラブスによる21世紀の前衛音楽・聴取論の待望の日本語訳!
かつてジョン・ケージは、「不確定的な演奏は繰り返すことはできない。そんな作品の録音には、風景を絵葉書にする以上の価値はない」として、レコードはその環境や風景を体験することを損なわせるものとして「録音物」を否定し、レコードを一枚も持っていないと公言してはばからなかった。しかし皮肉なことに、音楽家ジョン・ケージの録音作品は膨大な数にのぼり、ケージの名声は録音物のアーカイヴによって高まっていったことはまぎれもない事実である。
本書はこの矛盾から出発し、ケージ、デレク・ベイリー、AMM、ヘンリー・フリントら実験音楽の巨匠たちの作品群や、歴史的復刻となった『Anthology of American Folk Music』などの録音物を考察し、記録と記憶のあいだに耳をすます。「録音することの不可能性」に迫るエキサイティングな脱・現代音楽論。
〈本書で扱われる主な人物など〉
ジョン・ケージ、デレク・ベイリー、ヘンリー・フリント、ハリー・スミス、リュック・フェラーリ、ピエール・シェフェール、デヴィッド・チュードア、マックス・ニューハウス、クリスチャン・ウォルフ、ラ・モンテ・ヤング、トニー・コンラッド、AMM、キース・ロウ、コーネリアス・カーデュー、アルヴィン・ルシエ、ロバート・アシュリー、グレン・グールド、ポーリン・オリヴェロス、ジャック・デリダ、スーザン・ソンタグ、ヴァルター・ベンヤミン……
メディア掲載
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「美術手帖」2016年4月号にて、書評を掲載いただきました。
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「サウンド&レコーディング・マガジン」2016年4月号にて、書評を掲載いただきました。 「録音された1960年代の前衛音楽を考える書〈評者:横川理彦さん〉」
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「ジャズ批評」2016年3月号にて、ご紹介いただきました。
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「intoxicate」2016年2月号にて、本書に対するデイヴィッド・グラブスのインタヴューを掲載いただきました。
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「ele-king」にて松村正人さんに書評をいただきました。
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「CINRA.NET」にてご紹介いただきました。
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「amass.jp」にてご紹介いただきました。
目次
はじめに
序章
「実験的」という意味/アーカイヴとしてのリリースの波/ケージの録音嫌悪とその矛盾
第1章 ラジオから流れるヘンリー・フリント
知られるこのとなかった幻の前衛音楽家/ヘンリー・フリントの歩み/再評価された初期ミニマリズム/再び盛り上がるアメリカ民俗音楽/多様な聴取体験という快楽/ヘンリー・フリント、大いに語る/無効化した音楽ヒエラルキー
第2章 ジョン・ケージをめぐる風景
「風景」というメタファー/録音の不可能性/ケージに対する同時代の反応/音の風景とサウンドスケープ/音の風景とサウンドスケープ/シェフェールの「アクースマティック聴取」という理想/フェラーリの《プレスク・リアン》とケージの《4分33秒》/オリヴェロスの集中的聴取
第3章 録音芸術家としてのジョン・ケージ
録音物による60年代ケージの名声/ケージの矛盾の本質とは何か/グールドとケージ/不確定性/《カートリッジ・ミュージック》/メディアテクノロジーと偶然性/写真論と実験音楽/ケージの録音芸術
第4章 骨董品の取引──フリー・インプロヴィゼーションとレコード文化
デレク・ベイリーの「インヴィジブル・ジュークボックス」/フリー・インプロヴィゼーションと録音/ノン・イディオマティック音楽という夢/即興音楽の隆盛/「役に立たなくても、どうして困ることがあるでしょうか?」/AMMの記録と録音物/『AMMMusic』/『ライヴ・エレクトロニック・ミュージック・インプロヴァイズド』/コーネリアス・カーデューと集団即興演奏
第5章 テキサスからレコードをなくせ──オンライン・リソースと永久ではないアーカイヴ
録音された音楽と非物理的メディア/アーカイヴと即興のはかなさ/アーカイヴはどこから始まるのか?/現代音楽のデータベース化:DRAM/エクスペリメンタル・インターメディアのアーカイヴ/「インターネット上にないならば、存在しないのと同じ」:UbuWeb/アーカイヴへのアクセスは永久的ではない
注記
訳者あとがき 若尾裕
参考文献
主要ディスコグラフィ
索引
プロフィール
[著]
デイヴィッド・グラブス (David Grubbs)
1967年生まれ。ニューヨーク在住。
ジョージタウン大学を卒業後、2005年にシカゴ大学博士課程を修了。現在ニューヨーク市立大学の准教授としてブルックリン校音楽院、及び大学院でパフォーマンス及び相互メディア芸術、及び文章創作のコースで教えている。専門領域はサウンドアート、実験音楽、ポピュラー音楽、録音、詩ほか。雑誌『The Wire』『Frieze』等で記事・論文を発表。本書が初めての著作となる。
ギタリスト/シンガーソングライターとして、80年代からパンク〜ポスト・ハードコア・バンドの「スクワール・バイト」「バストロ」を経て、ジム・オルークとのバンド「ガスター・デル・ソル」で活動。98年以降はソロを主軸に活動。自身のレーベル「Blue Chopstick」を主宰。
[訳]
若尾裕 (わかお・ゆう)
1948年生まれ。即興演奏、作曲、臨床音楽学を中心に、ポスト現代音楽における新しい音楽のありかたの探求がテーマ。神戸大学名誉客員教授及び広島大学名誉教授。著書に、『奏でることの力』(春秋社、2000年)、『音楽療法を考える』(音楽之友社、2006年)、『親のための新しい音楽の教科書』(サボテン書房、2014年)ほか。訳書にM・クレイトン他編『音楽のカルチュラル・スタディーズ』(アルテスパブリッシング、2011年)、P・ヘガティ『ノイズ/ミュージック』(みすず書房、2014年)、S・ナハマノヴィッチ『フリープレイ』(フィルムアート社、2014年)ほか。CDに『千変万歌』(ジョエル・レアンドルとの共演、メゾスティクス、2002年)ほか。
柳沢英輔 (やなぎさわ・えいすけ)
1981年生まれ。同志社大学文化情報学部助教。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。ベトナム中部地域のゴングを中心とする音の文化について研究を行う。またフィールドで記録した音や映像をもとに作品を制作・発表している。論文に「ゴングの価値を創る調律師 ―ベトナム中部高原の事例から」(『民族藝術』26:223-232、2010年)ほか。映像作品に『Gong Culture in the Central Highlands of Vietnam』(2008年)、『Po thi』(Vincenzo Della Rattaと共作、2014年)、『Ferry Passing』(2014年)ほか。フィールド録音作品に『Scenery of Water』(Gruenrekorder、2009年)、『Ultrasonic Scapes』(Gruenrekorder、2011年)、『Jōgashima』(笹島裕樹と共作、Very Quiet Records、2015年)ほか。