美術の世界でこれまで顧みられることのなかった画商という存在。美術品を売ることに対して自身の想像力と創意工夫と、そして説得力の限りを捧げた一群の魅力的な男たち(そして女たち)が登場します。
美術史に新たな角度から光を投げかける画期的な作品『ならず者たちのギャラリー 誰が「名画」をつくりだしたのか?』。
今回の「ためし読み」では、中山ゆかりさんの「訳者あとがき」を公開いたします。
訳者あとがき
本書は、Philip Hook,“Rogues’Gallery : A History of Art and its Dealers”の全訳である。著者のフィリップ・フックは、世界二大オークション会社のひとつ、サザビーズの取締役を務める競売人(オークショニア)だ。美術市場で培った長い経験を武器に、これまでも『印象派はこうして世界を征服した』や『サザビーズで朝食を』など、「アートとお金」に焦点をあてた著作を発表してきたが、今回は「アートをお金に換える人」、すなわち画商の歴史をテーマとしている。
書名の「ならず者」呼ばわりは穏やかではないが、これはむろん、画商イコール「ならず者」であるということではない。本書の趣旨は、アートの展開に画商たちがはたした役割を探ることだ。はたして古今の画商たちは、アーティストとその作品、コレクターの趣味、美術品の価値づけ、美術市場の展開、美術史の流れといったものにどれほどの影響を与えてきたのだろうか。ここで著者が特に注目しているのは、画商たちのもつ個性である。美術界で重要な役割をはたした画商たちはしばしば強烈な個性の持ち主であり、独自の才能や魅力とともに、狡猾さや怜悧さ、言葉の巧みさや駆け引き能力、あるいはともすれば自己中心的ともなりうる強い意志や欲望をもっている。本書は、そうした画商たちのいわば光と影、清濁あわせもった販売術やそれを支える哲学を探ることで、その影響を複眼的に見ていこうとするものだと言えるだろう。そして画商たちの取引は、様々な人々との関わりのなかで行なわれる。アーティスト、鑑定家、評論家、美術史家、コレクター、パトロン、美術館の学芸員(キュレーター)、そして同業の競売人(オークショニア)といった関係者もまた各々の個性と両面性をもっており、本書ではそうした人たちと画商の攻防も綴られている。その意味では、「ならず者たちのギャラリー」は、それぞれの思惑をもって美術品売買に関わる人々が集うひとつの場として見ることもできるだろう。
全体の構成は、ほぼ時系列に歴史をたどるかたちをとっているが、この本は堅い歴史書ではない。絵画や彫像の取引はすでに古代ローマでも見られたが、美術品としての価値判断がつかないときには、絵画は「重さ」で評価されることもあったという驚きの証言から始まる美術品取引の歴史は、ルネサンスの時代から近世、近代へと進んでいく過程でも興味深いエピソードが満載だ。絵よりも口のほうがうまい画家たちや、美術品の斡旋に甘い汁を見いだした外交官や枢機卿、鑑定家やコレクターたちのなかから、しだいに独立した画商が生まれてくるパートIは、ちょいワルな人々の群像劇を見ているようで楽しいし、またオランダ、イタリア、英国、フランス、ドイツ、アメリカと、時代とともに取引の中心地が変遷していくさまは、美術と美術市場の興隆が国力や社会・経済状況とも無縁でないことを鮮やかに教えてくれる。そうした時代的・地域的なパースペクティヴをもつ本書は、美術好きの方のみならず、社会や経済に関心が深い方にも興味をもっていただけるのではないかと思う。
本書のもうひとつの魅力は、とりわけパートII以降で近代の画商たちの個性を生き生きと、また詳しく紹介していることだ。「荒れた海ほど、最も多くの魚を捕まえられる」と語り、投機対象となる絵画を渉猟した英国のブキャナン。ヴィクトリア朝時代の大衆好みの主題に合わせ、英国の現代画家たちをブランド化したガンバート。「高値は品質の高さのしるし、安値は品質に欠けるしるし」と言い切って、オールドマスターの名作をアメリカ市場に高値で売りまくったデュヴィーン。彼がいなければ「美術史はあるいは異なって見えたかもしれない」とまで言われた印象派の擁護者デュラン= リュエル。芸術家に寄り添う一方で顧客を邪険に扱ったにもかかわらず、営業成績はピカイチだったヴォラール。二度の大戦の悲劇に襲われながらも、キュビスムを英雄的に支援した理想主義者カーンワイラー。キュビスムからの転換期のピカソの画商となって大成功を収めたローザンベール。テロリストから画商に転身したフェネオン。モディリアーニの水先案内人となったギヨーム。ドイツにフランスの前衛芸術をもたらしたカッシーラー。母国ドイツの前衛芸術を応援したマルクス主義者ヴァルデン。自らもシュルレアリストだったメザンス。戦後アメリカ美術界の帝王となったカステリなどなど、本書には重要度は各々異なるが、約80人以上の画商たちが登場する。美や質や稀少性といった様々な概念によって価値が伸縮自在に変動する美術品を扱う画商たちのことを、著者は「ファンタジーの調達人」と呼んでいるが、ここにはその彼らが扱った様々に異なるファンタジーと、またそれぞれに異なる調達方法が描かれていて、最後まで飽きることはない。
先の書籍でも特徴的だった著者のユーモアにあふれる語り口は、今回も健在だ。同じ美術界を扱っているため、前著と話題が一部共通する部分もあるが、画商の個性を切り口とした本書は、また別の視点を提供してくれている。人間味豊かな画商たちの言動を、あるときは面白がりながら、またあるときは批評的に、あるいは逆に敬愛を込めて語る筆者の口調のおかげで、本書は学術書とはまた異なる印象深い読み物になっていると言えるだろう。
(以下略)
(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
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