ピックアップ

『ヒッチコックとストーリーボード』著者 特別寄稿

ヒッチコックとストーリーボード』の著者トニー・リー・モラル氏が、日本の読者に向けて特別に寄稿してくれました。ヒッチコック作品と日本文化の意外な関係性を読み解きます。本書とあわせてどうぞお楽しみください。

日本の読者が『ヒッチコックとストーリーボード』を発見すべき理由

文゠トニー・リー・モラル
翻訳゠上條葉月

 アルフレッド・ヒッチコックは文化的な存在として、またその映画芸術について、日本に深い憧れを抱いていた。彼の日本への愛情は、日本の伝統芸術にまで遡ることができ、特に繊細さや暗示を重視する点において、彼自身の映画製作へのアプローチと重なる。ヒッチコックは「語らずに見せる(show, don’t tell)」ことの名人であり、この哲学は誇張した表現よりもミニマリズムや感性、暗示を重視する、俳句や能、浮世絵といった日本の伝統芸術と見事に合致する。彼はまた黒澤明や小津安二郎などの日本の映画監督を尊敬し、特にその作品のテンポの良さと心理的な深みへのこだわりに共鳴した。サスペンス、道徳的な曖昧さ、人間の弱さを視覚的なストーリーテリングを通して伝える黒澤の能力は、ヒッチコック自身の手法と呼応しており、彼が日本の映画技術や文化にインスピレーションを得たのも不思議ではない。

 私は『ヒッチコックとストーリーボード』を書くこととなったが、これは単に監督のストーリーボードを見るだけの本ではない。これは、ヒッチコックがどのようにして一流の協力者たちとともに作品を構想し、視覚的に組み立てていったかを探求するものである。日本の読者にとってこの本は、日本の伝統的な芸術様式のようにテーマや感情を伝えるためにセリフよりも比喩やミニマリズムを重視した、監督の頭の中を覗くことができるものだ。階段や飛んでいる一羽のカラス、丘の上の不吉な家など、ヒッチコックの用いる視覚的な隠喩や比喩は、しばしば象徴的な意味を持ち、それは日本の水墨画における一筆の筆跡やイメージが、いかにして意味に満ちた世界を呼び起こすことができるかに似ている。日本のシネフィルや、繊細で洗練された物語技法を愛する人々にとって、『ヒッチコックとストーリーボード』は示唆に富んだ知見の宝庫である。本書は、ヒッチコックがいかに全てのショットを、画家がキャンバスに描く一筆一筆を緻密に設計するように綿密に計画したかを紹介している。芸術においてもストーリーテリングにおいても精密さと控えめな表現の力を重んじる日本の読者なら、ヒッチコックの作品へのアプローチの仕方に深い結びつきを感じることだろう。

 『サイコ』と『鳥』は世界中と同じく、日本にも特に大きな衝撃を与えた作品だ。とりわけ『サイコ』はその二面性、抑圧、心理的緊張の探求という、日本の文学や映画にも頻繁に登場する要素によって、日本の観客の反響を呼んだ。内なる葛藤、つまり「表の顔」と暗い「裏の顔」という考え方は、特に三島由紀夫のような作家の作品を通して、日本の観客がすでに慣れ親しんでいたものだ。『サイコ』の主な登場人物であるノーマン・ベイツはこの二面性を不気味なほど説得力のある方法で体現し、この作品の心理的な複雑さを理解しうるものにしている。同様に『鳥』が注目を集めたのは、隠喩的で終末論的なニュアンスゆえであり、そこには自然の予測不可能性や人間社会のもろさといった、日本の文学や民間伝承の多くに通じるテーマがある。自然であれ超自然的なものであれ、制御不能な力に対する恐怖は、とりわけ日本の自然災害の歴史を考えれば、観客の心に響くコンセプトだろう。このテーマは本多猪四郎監督の『ゴジラ』など、日本の名作映画にも表れている。

 ヒッチコックの作品は特に日本の読者の興味を引くいくつかのテーマに触れている。まず、心理的緊張と人間の弱さ。『めまい』や『サイコ』、『鳥』などの作品では、登場人物たちは非日常的な状況に放り込まれた中で、しばしば恐怖や執着、罪悪感や孤独といった、深い心理的困難に立ち向かうことになる。日本の観客は内なる葛藤の物語を深く理解し、そして人間性の複雑さを探求する物語に惹かれることも多い。これは心理的な深みと内なる葛藤を中心的なテーマとした、日本の文学や映画で語られるタイプの物語と非常によく似ている。もうひとつ興味を引くであろう点は、ヒッチコックのサスペンスと曖昧さの使い方で、これは日本の物語において伝統的な、謎めいて曖昧なものの美しさを表す「幽玄」と似ている。ヒッチコックが作品の中で、全てを提示することは滅多にない。その代わりに、登場人物の思惑に疑問を抱かせたり、しばしば先の見えない結末に思いを巡らせたりと、観客に自ら考えさせようとした。これは感情的な要素の多くを行間に含み、語らないままにするという、日本の繊細で控えめな物語の語り方と似ている。加えて、『裏窓』や『めまい』でみられるように、ヒッチコックは覗き見や観察に焦点を当てていたが、これは日本の文学・映画両方に長年共通するテーマ、見る者と見られる者の関係性に対する興味と共鳴するものかもしれない。小津や黒澤のような日本の映画作家たちはしばしば観察という行為がその客体と主体双方にどう作用するかを探求しているが、それはヒッチコックが見事にやってのけたことでもある。最後に、ヒッチコック作品における象徴的表現も、日本の読者にとっての魅力であろう。日本の伝統的ストーリーテリングが事物や場面設定、行動に深い象徴的な意味を持たせることが多いように、ヒッチコックも鳥や鍵、階段のような事物に、より深い心理的、テーマ的な意味を持たせている。このような視覚的な隠喩は言語を超越したものであり、日本の伝統芸術に精通している人々にとっては特に興味深いものだろう。

 『ヒッチコックとストーリーボード』はヒッチコックの視覚的なストーリーテリングに対する体系的なアプローチを理解でき、その天才ぶりを解き明かす本として読者から反響を呼んでいる。ヒッチコックは「ストーリーボードを完成させた時点で、頭の中では映画は本質的に完成している」と言っていたことで有名だ。この本は日本の読者や世界中のシネフィルたちにとって、ヒッチコックがどれだけ緻密に映画を作り上げてきたのか、その舞台裏を視覚的な面から見ることができる貴重な機会を提供する。映画の芸術性や、映像による物語り方 ――視覚的なストーリーテリングに重きを置く日本の伝統芸術のような――に興味を持つ人々にとって、この本は貴重な資料となる。日本の観客、特に細部や象徴的表現、語られざるものを愛する人々は、ヒッチコックの計算されたショットやシークエンスがもつ何層もの意味や、彼が作品にもたらした視覚的な無駄のなさを解き明かすことに、ふたつとない喜びを見出すだろう。ヒッチコックの影響は国境を越えるものであり、また彼の映画制作に対する体系的なアプローチは、多くの日本の読者を含む精密さや感情の機微を重視する人々の心に強く響くものだ。日本の観客にとって、この本が有意義かつ刺激的なものとなると信じている。

著者(左)と、ヒッチコックの伝記〝Hitch:The Life and Times of Alfred Hitchcock”の著者であるJohn Russell Taylor(右)



購入する