ためし読み

『アートワーカーズ 制作と労働をめぐる芸術家たちの社会実践』 

プロローグ

1969年、匿名で書かれた一通の手紙がニューヨークの美術界に出回った。そこに記されていたのは次のような宣言だ。「我々は自分たちが身を置いているシステムを打ち倒し、変革への道を切り拓くことによって、革命を支援しなければならない。このアクションは、資本主義から芸術制作を全面的に切り離すことを意味する」。手紙にはただ「とあるアートワーカーより」とだけ署名されていた1。名もなき自称アートワーカーが発したユートピア的な呼びかけは、芸術がいかに生産され流通するかということがきわめて重要な政治的意味をもっていることを教えてくれる。この切迫した訴えは、アートワーク、、、、、、 がもはや美的な方法論や作品制作、あるいは伝統的な用法における美術品アート・オブジェクトに限定されないことを暗に示している。その言葉は、芸術家アーティストたちが集団で制作/労働する際の条件や、資本主義的な美術市場の廃絶、ひいては革命をも含んでいるのである。


アメリカ国内の芸術は1960年代後半から70年代初めにかけて本格的に「始動」したが、それはアーティストと批評家がともに自分たちをアートワーカーとして自認し始めた時期でもあった。芸術における労働の再定義の動きは、ミニマリズム、プロセス・アート、フェミニスト美術批評、コンセプチュアリズムにおいても必要不可欠で、論争の的となっていた。本書は、この再定義の具体的な社会的文脈を検証するとともに、それが「ベトナム戦争時代」という激動期において、アーティストたちがそれぞれアクティビズムや作品制作を通して行った介入の試みの中核をなしていたことを示すものだ。この新たな形をとった芸術における労働に関する本書の議論は、カール・アンドレ、ロバート・モリス、ルーシー・リパード、ハンス・ハーケの四人のケーススタディを通じて展開される。四人は1969年ニューヨークで設立されたアートワーカーズ連合(以下AWC)や、1970年にAWCから派生したレイシズム、戦争、抑圧に抵抗するニューヨーク・アート・ストライキ(以下、アート・ストライキ)の中心メンバーであった。二つの団体はともに、アーティストを労働者として再定義するよう声高に呼びかけていた。美術批評家のリル・ピカードは1970年の五月、アンドレ、ハーケ、リパードが「AWCのなかでも熱心で、周囲を引っ張っていく人物」であったと書いている2。モリスはAWCには関与しなかったが、アート・ストライキを先導する際にはアクティビスト的な組織化の動きの中心で注目を集めていた。


「アートワーカー」という言葉がもつ特別な力や柔軟性を探るために、本書ではAWCやアート・ストライキの全史を編むのではなく、これら四人の重要人物の芸術的・批評的実践に焦点を当てている。自らを「アートワーカー」と呼んだのは決してこの四人に限られないが、労働者としての集合的なアイデンティティとともに四人の個々の実践に注目することによって、その自認がはらむさまざまな緊張関係に光を当てることができるだろう。本書では、アートワーカーと自称する者たちが用いるレトリックと、四人の作品やテキストがもつ政治的主張のあいだにある、しばしば解決不可能で厄介な関係性を掘り下げたい。


アートワーカーという集団的アイデンティティは、AWCとアート・ストライキの内部で、芸術における労働に関する個々の理解にきわめて強い影響を与えていた。さらに言えば、アートワーカーは集団的な政治的アクションを組織しようとはしていたが、集団での作品制作という方法を採用したり強調したりしていたわけではなかった。AWCは連合を名乗っていたにもかかわらず、単一の作者シングル・オーサーシップという概念自体を疑問視する者はほとんどいなかったのである。この問題は、ここでは意図的に未解決のままにされている。本書は、「カール・アンドレの労働倫理」「ロバート・モリスのアート・ストライキ」「ルーシー・リパードのフェミニスト労働」「ハンス・ハーケの事務仕事ペーパーワーク」という一連のケーススタディから構成されている。そこでは、歴史的騒乱の時期にいた四人の傑出したアートワーカーが、それぞれ異なる先進的な芸術に傾倒しながら自身の労働のもつ意味とどのように向き合おうとしたのかを検証した。各章は、このナラティブの異なる側面に光を当てるものになっている。したがって、ケーススタディからなる本書の記述は百科全書的な網羅性を目指してはいない。むしろ本書が示すのは、影響力のある四人のアーティストたちの芸術における労働をめぐる政治的理解が、いかに可変的であり複雑であったかという点である。この四人が選ばれたのは、ひとつには、それぞれがAWCやアート・ストライキの中心におり、アメリカの戦後美術において主要な役割を担っているにもかかわらず、重なりあうその影響力の領域がこれまでほとんど検証されてこなかったからである。

(中略)

本研究は、この時期のアクティビスト的な芸術団体と、芸術的・批評的な労働という新たなモデルの出現の関係性を初めて持続的な視点から考察したものである3。それゆえ芸術や労働についての筆者の語りは、キャロライン・ジョーンズの重要な著作『スタジオのなかの機械── 戦後アメリカのアーティストの構築4』に記録された筋書きとは異なっている。ジョーンズによれば、この時代は、自分たちの位置づけをめぐって管理者とブルーカラー労働者のあいだで葛藤していたフランク・ステラ、ロバート・スミッソン、アンディ・ウォーホルといったアーティストたちの芸術的アイデンティティへの関心によって特徴づけられる。またジョーンズは、1960年代のアメリカにおける作品制作を伝統的な労働と結びつけようとする努力が、アーティストの労働者としての自己形成に収束したと主張している。ジョーンズの研究を踏まえて、筆者はさらにこう主張したい。AWCやアート・ストライキのアーティストたちにとって、労働者というアイデンティティは何より政治的なものであったのだ。


筆者が検証した四人のアートワーカーは、芸術を仕事として再定義する運動のもっとも際立った顔ぶれとして、それぞれ異なる形で芸術における労働の意味を理解していた。アンドレにとってそれはミニマルな彫刻であり、モリスにとっては建設作業をベースとするプロセス・ワークであり、リパードにとっては「家事」としてのフェミニスト批評であり、ハーケにとっては制度批評であった。さらに、1960年代後半から70年代初めにかけての四人の影響力のある芸術的・批評的実践は、労働としての芸術という移り変わる概念と相互に多大な影響を与えあいながら 、、、、、、、、、、、、、、、、独自に形作られていたのである。芸術作品の地位はミニマリズム、プロセス・アート、フェミニスト批評、コンセプチュアリズムによって問いに付された。作ること(および作らないこと)についての四人の形式は、従来的な芸術における労働を強調すると同時に毀損するものであったのだ。


ヘレン・モールズワースは「第二次世界大戦以降の時代において、アーティストは自分たちを夢の国で制作するアーティストではなく、資本主義国アメリカの労働者として見なすようになった」と指摘している5。ベトナム反戦運動やフェミニズムを含む新左翼運動の台頭に押される形で、アーティストや批評家たちは、政治的に重要な意味をもつ芸術作品とはどのような種類のものか、アクティビズムのポリティクスにおける自分たちの集合的な役割とは何でありうるのかを議論するようになっていた。(「若者」や「学生」といった)多様な人々が召喚され、結束した独立体として議論を重ねていた時代において、アーティストたちはどのようにして、そしてなぜたんにアーティストとしてではなくアートワーカー、、、、、、、 として組織することを選んだのだろうか。組合の労働運動とは異なる方向へと力を注ぐことで先行世代の左派組織とは一線を画していたアメリカの新左翼の考え方のなかで、労働者の地位が変化していったことに鑑みれば、芸術を労働につなぎ止めることはとりわけ重要な意味をもっていた6。新左翼は、ブルーカラー労働者だけが革命の潜在的な担い手であると考えるのではなく、学生やアーティストなどの「知的労働者」を擁護するようになっていたのである。アンドレのミニマリズム、モリスのプロセス・アート、リパードのフェミニスト批評、ハーケのコンセプチュアリズムなどによって活性化された芸術的労働の具体的形成は、ポスト工業主義を起動させた大規模な仕事場や経済をめぐる転換だけでなく、この〔労働者の地位の〕移り変わりとも結びついている。


この時期は、たとえばイギリスやアルゼンチンなどのさまざまな地域でもアーティストたちを組織化する同様の努力がなされていたが、本書ではニューヨークに焦点を当てることとした7。ニューヨークには、急速に変化する都市風景のなかで生活するアーティストたちがひしめきあい、多くの有力な美術館が存在していた。また1930年代にはアーティスツ・ユニオン支部が活発に活動し、反戦運動が統合され見事に組織化されるなど、AWCやアート・ストライキの反制度的な政治性を育むための実に豊かな土壌を提供していた8。ほかにも、ニューヨークのフルクサスの集団的な活動や、グリニッジ・ビレッジのジャドソン記念教会に所属するダンサーたちのネットワークなどを含む環境が、AWCの出現の機運を高めていたかもしれない9。フルクサスとジャドソン記念教会は、どちらも芸術における労働についての新しい考え方を提供していたからである。しかしながら、アート・アクティビズムやラディカルな形式への問いは、1960・70年代の芸術に関するより広範な研究に関連するものである。筆者のケーススタディに登場するアートワーカーはみなAWCとアート・ストライキに深く関わっていたが、この時期の四人の芸術活動がいかに多様だったかは、各章が素材の仕入れ先(アンドレ)から知的労働の性質(ハーケ)まで、それぞれ異なる問題を展開していることからもわかるだろう。筆者は、労働、アーティスト、アクティビズムのあいだの、ときに緊張した関係を掘り起こしながら、1960・70年代の芸術制作の政治的側面の核心部に、厄介なカテゴリーたる「労働者」への複雑な幻想と同一化がどのように存在していたのかを明らかにする。

 

【注】

1 Typed flyer signed “An art worker,” June 1969, New York, Lucy Lippard Papers, Museum of Modern Art file, AAA.
2 Lil Picard, “Protest and Rebellion,” Arts Magazine, May 1970, 18–19.
3 次の著書におけるフランシス・フラシーナによるこの時期の多くの反戦芸術活動の例示が有益である。Francis Frascina, Art, Politics, and Dissent: Aspects of the Art Left in Sixties America (Manchester: Manchester University Press, 1999). アーティストのアンドレア・フレイザーはサービス経済と芸術の自律性の観点からAWCについて書いている。次を参照。Andrea Fraser, “What’s Intangible, Transitory, Mediating, Participatory, and Rendered in the Public Sphere, Part II,” in Museum Highlights: The Writings of Andrea Fraser, ed. Alex Alberro (Cambridge, MA: MIT Press, 2005), 55–80. グレゴリー・ショーレットは集団性と仕事の新しいモデルについて幅広く書いている。次を参照。 Gregory Sholette, “State of the Union,” Artforum 46 (March 2008): 181–82.
4 Caroline Jones, Machine in the Studio: Constructing the Postwar American Artist (Chicago: University of Chicago Press, 1996).
5 Helen Molesworth, “Work Ethic,” in Work Ethic, exh. cat., ed. Helen Molesworth (University Park:Pennsylvania State University Press, 2003), 25.
6 こうした動向初期の有力な解説として次を参照。C. Wright Mills, “Letter to the New Left,” New Left Review 1 (September–October 1960): 18–23. 第1章も参照のこと。
7 1972年のイギリスアーティスツ・ユニオンに関する説明は次で見ることができる。 John A. Walker, Left Shift: Radical Art in 1970s Britain (London: I. B. Tauris, 2002). 1960年代におけるアルゼンチンのアーティストの組織化については次に詳しい。Andrea Giunta, Avant-Garde, Internationalism, and Politics, trans.Peter Kahn (Durham: Duke University Press, 2007). AWCのメンバーはおもにニューヨークに限定されていたが、この集団は1970年代後半のボストンやアトランタにおける似たような名称の組織に影響を与えた。
8 芸術と政治に関するアメリカの地域的な歴史は以下でも論じられている。Patricia Kelly, 1968: Art and Politics in Chicago (Chicago: Depaul University Art Museum, 2008), and Peter Selz, Art of Engagement:Visual Politics in California and Beyond (Berkeley: University of California Press, 2006).
9 フルクサスのこの点については以下に詳しい。Robert E. Haywood, “Critique of Instrumental Labor:Meyer Schapiro’s and Allan Kaprow’s Theory of Avant-Garde Art,” in Experiments in the Everyday:Allan Kaprow and Robert Watts ̶ Events, Objects, Documents, ed. Benjamin H.D. Buchloh and Judith F. Rodenbeck (New York: Miriam and Ira D.Wallach Art Gallery, Columbia University,1999), 27–46; and Hannah Higgins, Fluxus Experience (Berkeley: University of California Press,2002). サリー・ベインズによるジャドソンのダンスの記録は、筆者が注視する時期より少し前のこの街の、貴重な年代記である。Sally Banes, Greenwich Village, 1963: Avant-Garde Performance and the Effervescent Body (Durham: Duke University Press, 1993). キャサリン・ウッドはイヴォンヌ・レイナーに焦点を当てた明晰な研究で、労働の問題について洞察に満ちた調査を行っている。Cathrine Wood, Yvonne Rainer: The Mind Is a Muscle (London: Afterall Books, 2007).

 

(続きは本編でお楽しみください)

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アートワーカーズ

制作と労働をめぐる芸術家たちの社会実践

ジュリア・ブライアン゠ウィルソン=著
高橋沙也葉/長谷川新/松本理沙/武澤里映=訳
発売日 : 2024年3月26日
3,800円+税
A5判・上製 | 408頁 | 978-4-8459-2308-3
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