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犬はわかっているのか

小説家の太田靖久さんと写真家の金川晋吾さん、それぞれの分野で活躍する新鋭のふたりの実験的共作として、2019年11月から2020年10月まで「かみのたね」で連載された『犬たちの状態』。全12回を一冊にまとめ、また写真を大幅に再構成した同タイトルの書籍が4月24日に刊行されます。刊行に合わせ、かみのたねでは金川晋吾さんによる本作のバックストーリーとも言えるエッセイを公開します。連載としての『犬たちの状態』が始まる少し前のお話からは、金川さん、太田さんそれぞれの犬に対する眼差しがうかがえ、本書をまた少し別の角度から読み込んでいただける入り口にも。犬たちのさまざまな姿を描き写し出した本書と合わせてぜひお楽しみください。

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 飯田橋にあるフランス政府が運営している文化施設アンスティチュ・フランセでは、「哲学の夕べ」という日本やフランスなどの思想家やアーティストが集まって、対談や講演、パフォーマンスなどをおこなうイベントが毎年開催されていて、2019年のテーマは「アニマリティ/動物」だった。アンスティチュ・フランセでのイベントの企画の仕事をしている友人が、私が数年前に動物園を撮った写真集を出していることを知っていたので、「哲学の夕べ」に合わせておこなわれる展覧会の依頼を私にしてくれた。
 私は動物愛好家というわけでは全然なくむしろどちらかというと苦手で、動物園の写真集も依頼を受けてつくったものだった。ただ、動物が好きではなくても興味はあった、それもとくに写真の対象としての興味はあったので、ぜひ何か作品をつくりたいと思った。イベントまでは2ヶ月とちょっとだった。
 私は動物というテーマで何ができるか考え、犬じゃないか、と思った。私はかつて犬を飼っていた。私が6歳のときにその犬はやって来て、私が21歳のときに死んだ。その犬の名前はコロといった。6歳の私が「コロッとしてるからコロにする」と言ったらしいが、まったく覚えていない。
 散歩中、コロは道端に生えている緑の雑草を一心不乱に食べたあとに緑の吐瀉物を嘔吐することがあった。また、コロは雄だったのだが、男性器が緑に変色して突起していることもあった。それが病気だったのか何だったのかよくわからない。もしかしたら私の記憶ちがいかもしれないが。ともに緑色だったからだろうか、コロのことを思い出すとまずこのふたつのことが頭に浮かんでくる。
 コロは全体的に黒く顔や手足に白い部分がある柴犬っぽい雑種だった。血統書付きの犬よりも雑種のほうが顔はかわいいのだという話を聞いたことがあった。たしかにコロはかわいい顔をしていた。その当時から、血統書付きという言葉に何か釈然としないものを感じ、「何犬ですか?」と尋ねられたときに「コロは雑種です」と答えることに矜持のようなものをもっていた気がする。
 コロはよく吠える犬だった。飼い主である私、兄、母、父以外の人間には誰かれかまわず吠えた。ご近所さんの迷惑になっていないかとやきもきする毎日だった。
 私には吠えなかったし、私になついていないことはなかった。ただ、コロが私のことを本当に好きでいてくれているとは、心のどこかで思えていなかった。それはまず私自身がコロに対して、他の多くの飼い主が愛犬に対してもっているようなとくべつな親愛の情をちゃんともっていないような気がしていたからだと思う。私はコロに対して何か引け目のようなものを感じていた。
 私はコロの散歩に行くのが面倒だと思っていた。今でもたまにコロの散歩に行かないといけないと焦っている、あるいは面倒に思っている夢を見る。目が覚めて、それが夢だと気がついたとき、ああよかったと思う。コロはもういないのだと落ち込むわけではなくて、コロがいないことにホッと安心する。
 自分がコロの自由を奪っているという引け目もあったと思う。散歩の最中、首輪につながれた紐をうっかり手放してしまうと、しめたとばかりにコロは全速力で走って逃げるのだった。はじめて紐を手放してしまい、コロの姿があっという間に見えなくなってしまったときには、ものすごく怖くなった。どこかで轢かれているんじゃないか。あるいは誰かに噛みついているんじゃないか。まだ幼かった私はべそをかきながら一人で自分の家へと戻るしかなかったが、数時間後にはコロは何事もなかったように家の前で座っていた。
 コロも年をとると、こちらが紐を放したからといって全速力で逃げるようなことはしなくなった。目も悪くなっていたのだろうか、どぶ沿いの道を歩いていると、とくに何か障害物があったりしたわけでもないのに一人で足を踏み外してどぶに落ちてしまうことがあった。若いころにはそんなことは考えられなかった。その姿を見たとき思わず私は笑ってしまったが、切ない気持ちにもなった。かわいいと思ったりもしたかもしれない。老年になるにつれ、コロは以前ほどは吠えなくなっていった。
 私はコロの最期には立ち会えていない。死に顔も見ていないし葬式的なものにも参加していない。そのころ私は大学の寮に入っていて神戸に住んでいた。実家は京都だったので、死に際に会えなくても最期に顔を見に行くぐらいはその気になれば簡単にできたはずだが、バイトがあって忙しいとか何か適当な言い訳をつくっていかなかった。こうやって書きながらも、なんでそんなことをしてしまったのだろうと思う。自分がふとしたときにそういうミスをしてしまう人間だということはわかっているし、自分のコロへの思いもそういうものだったのだということをひとつの事実として受け入れられているので、ひどく胸を痛めるというわけでもないのだが、やっぱりそんなふうにするべきではなかったと今でも思う。
 15年間犬と暮らしてみて、自分は犬を飼ってはいけない人間だと思った。犬にとっても、自分にとっても、犬を飼うことはよくないことだと思った。飼うんじゃなかったと思っているわけではないし、楽しかった思い出もないわけではない。ただ、自分には犬は必要がない、ゆえに互いにいい関係は築けない、そんな自分は犬を飼うべきではない、そう思うようになった。
 そもそも私はコロがまだ生きていたときから、おそらく自分が小学校高学年か中学生ぐらいのころから、犬に服を着せたり幼児言葉で話しかけることは言うに及ばず、そもそも犬を飼うということ自体に居心地の悪さを、嫌な言い方をすると悪趣味だと感じるようになっていた。犬を飼うということは、犬と人間はどうしたって対等にはなれない関係性であるにもかかわらずその非対称性には目を瞑って、都合のいいように人間の慰み者にしているだけではないのか。そんなことをわざわざ誰かに言うつもりはなかったが、なんとなく思うようにはなっていた。
 私は今回の「哲学の夕べ」のための作品制作を通して自分のコロへの思いを見つめ直したかった、と言うと嘘になるだろうか。コロのことを素材にすれば何か作品をつくれるんじゃないかと思った、と言うべきなのだろうか。作品をつくろうとするときの欲望をどう記述すればいいのか、まだよくわからないことが多い。
 私は自分の犬を飼うことに対する考え方にはどこか潔癖症的なところがあると感じていた。現に犬を飼っている人がこれだけたくさんいるのだから、悪趣味と言ってしまうのはちょっとちがうんじゃないかと。私は自分とはちがう他の人の話、犬に深い思いを抱いている人の話が聞きたかった。

 小説家の太田靖久さんがツイッターで犬についての短い描写を書き連ねていることが前から気になっていた。「水たまりをさける犬もいれば、さけない犬もいる」「朝の犬もいいし、昼の犬もいいし、夜の犬もいい」「行列の先頭は犬でした」「ボサボサの犬が美容室に入っていくところと、その同じ犬が数時間後にヘアカットを終えて出てきたところの両方を見た」「早足だった犬が立ち止まったのは、甘酒の匂いをかぎとったからかもしれない」「初詣の意味を理解している犬が時々いる」
 太田さんの犬への視線がとてもいいと思った。犬に対する強い愛情をもちながらも、犬を犬として見ているし、犬とのあいだにある距離を大切にしているように感じた。太田さんは犬を飼っているにちがいない。太田さんの犬の話を聞いてみたいし、太田さんが飼っている犬を撮りたいと思った。
 その旨をメールで送ると、一時間もしないうちに丁寧でありながらもこの人の犬への思いは尋常ではないというのがいやでも伝わってくる返信が送られてきた。
 愛犬のシーズーのあーちゃんは五年前に亡くなってしまって、自分の犬への愛はその亡くなったあーちゃんから来ている。夢のなかにいろんな犬種の犬が出てくるが、そのたびに「あ、この犬はあーちゃんだな」と自然に思ってることに気づき、「そうか、街で見かけるすべての犬のなかにあーちゃんがいるんだ」と思うようになった。以来、すべての犬がさらに愛おしくなった。勝手なお願いかもしれないけども、もしよかったら自分があーちゃんの写真を持ってかつての散歩コースを歩くので、その様子を写真に撮ってもらえたらうれしい。
 そんなことが書かれていた。「金川さんのテーマやコンセプトとはずれてしまうかもしれませんが」という配慮の言葉も添えられていた。

 それから三日後の午後二時、太田さんの実家がある小田急線のA駅で待ち合わせた。改札で待っていた太田さんは私の顔を見ても、歩み寄ってくることはせずに距離をとったままで挨拶をしてきた。何度か会って挨拶をしたことはあるとは言え、それほど面識のない人間からいきなり妙なメールが送られてきて若干警戒しているのかもしれないと思った。でもそうではなくて、少し前に私にそっくりな人がいて間違えて声をかけてしまったので人の顔の識別に自信を失くしていたということだった。
 最寄りの喫茶店に入ると、太田さんはL判写真が入る写真屋でもらえるアルバムを2冊取り出した。写真の量は思っていたよりかは少なかった。猫の写真もあったし、あーちゃん以外の犬の写真もあった。今よりもずっと若い太田さんも写っていた。写ルンですで撮られたであろう白飛びした写真もあれば、デジカメで撮られたであろう写真もあった。太田さんの家は犬だけでなく猫も飼っていて、犬もあーちゃんの前に2匹飼っていたが、太田さんは猫よりも犬に、そして犬3匹のなかでもとくにあーちゃんにとくべつな思いをもっているとのことだった。服を着ているあーちゃんの写真もいくつかあった。私は、犬が服を着ることに機能的な側面もあるだろうし自分の知らないこともいろいろあるだろうから、そもそもそのことについて何か判断を下さないようにしようと思った。
 太田さんは言った。散歩しているあーちゃんの姿は自分でも見ていて記憶にも残っている。でも、あーちゃんと自分が一緒に散歩している姿というのは見たことがないし、写真にも残っていない。それがずっと心残りだった。なので今日は本当にうれしい。ありがとうございます。

 私が太田さんに訊きたかったのは、犬と通じ合えていると「本当に」思えるのかということだった。太田さんは即答で、通じないわけがないです、通じるものがないわけがないですと言った。たしかにそう言われると、まったく通じていないわけがないとも思った。でも、私が問題にしていたのは犬には人間の言葉が通じないし、犬が感じていること考えていることは人間にはわからないということだった。
 私の問いかけに対して、太田さんは言葉を続けた。太田さんはとてもうれしそうだった。太田さんにとっては犬を語ることそれ自体がよろこびなのだと思った。
 北風と太陽の話と同じで、言葉は北風的なんです。どれだけビュービュー吹きかけてもうまくいかない。犬に通じるにはもっと別の道があります。こちらのことを犬は勝手に感じ取ってくれるので、こっちもそれを感じればいい。それだけのことです。
 犬は悲しみを知っています。知っているし、悲しみのなかにいる。だから、人間が気づいていない悲しみにも犬のほうが先に気づいてしまう。驚きますよ。なかでもトイプー(太田さんはトイプードルをそう略している)は人間の悲しみを察知する能力がすごいので。こちらが悲しいときに道端で出会うと、ものすごい勢いで駆け寄ろうとしてきます。トイプーにおいては、悲しみを察知することとその相手に寄り添うことが分離していなくてひとつになっているんです。だから、寄り添うことに迷いがない。
 猫はちがいますね。あいつらは悲しみから逃げられると思ってるし、実際逃げ切ろうとしています。
 すべての犬のなかにあーちゃんを見るようになったのは最近のことです。犬という種全体に共通するドッグソウルというようなものがあって、それは遍在しています。あらゆる犬のなかにドッグソウルがあるから、どの犬のなかにもあーちゃんはいるんです。だから初めて出会う犬であっても、私がその犬をあーちゃんとして見ることができるんです。そして、そのとき、向こうも私をやっちゃん(太田さんの名前はやすひさ)として見るということが起こるんです。
 猫も私のことを認識することがありますが、勝手がちがいます。猫たちは実際に情報をやりとりするネットワークをもっていて、そこで情報が共有されているんです。だから、こちらは会ったことがなくても向こうはこっちを知っているということが起こる。一度会ったことがある猫はもちろんですが、一度も会ったことのないはずの猫でさえ、あーお前ねとこちらを認識することがままあります。だから私は、猫に会うとつい挨拶をしてしまうんです。本当は挨拶なんてしたくはないんですが。
 あとでわかったことだが、ドッグソウルという言葉はこのとき思いついたものらしかった。太田さんはさもそういう言葉や概念がすでに存在するかのように語っていた。太田さんがどこまで本気でこんなことを言っているのかよくわからなかった。
 これは信仰の話なんじゃないかと私は思った。ドッグソウルとかスピリチュアルっぽい言葉が出てくるからとかそういうことではなくて、本当にそうなのかよくわからないことに対する態度の問題であり、それはつまり信じるか信じないかの問題なんじゃないのかと。
 いまここに犬がいればいいのにと太田さんはうめくようにつぶやき、窓の外を眺めた。
しばらく待っていると、ブルドッグを連れた女性が通り過ぎた。太田さんは「あっ」と声を漏らしたがそれ以上は何も言わなかった。

 太田さんとあーちゃんとのかつての散歩コースへ向かうため、車がそれなりに走っている国道の歩道を歩いた。散歩中の犬が向こうからやって来たとき、私は何か神妙な気持ちにすらなっていた。犬の爪音が遠ざかっていくのをしばらく眺めていると、太田さんは手を後ろで組んで目を閉じて歩き出し、言った。「まだあーちゃんが生きているころから、こうやってあーちゃんの前を歩いて、爪音を覚えておこうとしていました。散歩中の犬を見つけると、たまにその前にまわりこんでその爪音を聞きながら歩くんです。そうやってあーちゃんの存在を感じるんです」目を閉じて歩いているのでその足取りはおぼつかなかったが、顔は笑っていた。私が「でも、そうやって別の犬の爪音を聞いているときには、あーちゃんの存在以上にその不在を思ってしまいませんか」と尋ねると、太田さんは一瞬困惑を顔に浮かべたが、すぐに表情を取り戻し、そのとき感じているのは不在ではなくてあーちゃんの存在なのだと断言した。
 10分ほど歩いてから道を折れた。田んぼが広がり、川が流れ、住宅地と工場が点在し、高速道路も走っていて、その向こうにはとくべつ高くもない山が見えた。遠くまで見渡せる広がった風景だが、いい景色だなあとつぶやくのは場違いであるような、そういう場所だった。今の私の実家のまわりも同じような風景が広がっている。
 川と田んぼにはさまれているまっすぐにのびたあぜ道をよくあーちゃんと歩いたと太田さんは言った。ここに来たのもひさしぶりらしい。太田さんはじっと立ち止まって遠くを見ていた。
 カメラを取り出し、撮影をはじめた。太田さんにあーちゃんの写真を持って歩いてもらおうとしたが、写真をどのように持ってもらえばいいのかがよくわからなかった。写真の持ち方なんてこれまで考えたことがなかった。適切な写真の持ち方というのはあるのだろうか。写真を持っている姿というのは、絵になりにくかった。とりあえず撮ってみても、ただ小さな紙をヒラヒラさせている人にしか見えない。もっと大きなプリントを用意すればよかったのかとも思ったが、そういうことではないような気もした。
 あーちゃんの写真にもっと寄ってみたり、逆に遠景で撮ってみたり、写真を置くシチュエーションを変えてみるなど試行錯誤を太田さんと二人で繰り返した。たくさん撮っていると、あーちゃんが本当にいるかのように錯覚できてしまう瞬間がふっと訪れることがあった。その錯覚は写真に向けられる太田さんの視線によって生じていた。
 私は太田さんの期待に沿えるような写真が撮れているのかよくわからなかったが、太田さんはとても楽しそうにしていたので、私もそんなに気にしなくなっていった。そもそも太田さんにとっては、その場で目にするあらゆるものが私とは全然ちがっていたのかもしれなかった。
 ついでに「著者近影」に使うための太田さんのポートレートも撮ることになったのだが、その撮影のあいま、「あーちゃんもいたらよかったのに。そうしたらあーちゃんも撮ってもらえたのに」と太田さんはつぶやいた。その言い方は、あーちゃんがもういないことを嘆いているというよりも、たまたま今日いないことを残念がっているように聞こえた。
 別れ際、太田さんから週末に代々木公園でおこなわれる「わんわんカーニバル」に誘われた。「合法的にいろんな犬とふれあえるチャンスですよ」と太田さんは言った。
「それではわんわんカーニバルで」そう言って立ち去っていく太田さんの背中を撮り、「太田さん」と声をかけて振り向いてもらったところも撮った。夕暮れの背中の写真は感傷的な雰囲気をまといがちだと思ったが、振り向いた太田さんの顔にはまったく感傷的ではない充実した笑いが浮かんでいた。


                             写真:金川晋吾

(書籍『犬たちの状態』のどこかに「あーちゃん」がいます。ぜひ本書もあわせてお楽しみください。)

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