2020年8月26日に発売された『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』。常にヘレン・ケラーと比較され育った視覚障害をもつ著者が、ヘレン・ケラーとの架空の対話を試みるために手紙を綴っています。多くの方にとって学習まんがや伝記の世界でしか知ることのなかった彼女の、新しい側面を知ることができる本書。今回は読者モニターにご応募いただいた方による、本書の感想(第一弾)をお伝え致します。
***1人目***
「なぜ、もっとちゃんと〇〇のようにできないの?」
〇〇には様々なものがあります。お兄ちゃん、お姉ちゃんという言葉を入れ込んで末っ子に対して投げかけられたり、優れた同僚の名前を入れて職場で提示されたり。
この言葉が口にされるとき、あるいはこの問いを頭に持った人から厳しい言葉が投げかけられるとき、その受け手は〇〇に対して複雑な感情を抱くことになるでしょう。〇〇がいなければ、こんなことを言われることもなかったのにと。
この本は、視覚障害を持ちながら「なぜ、もっとちゃんとヘレン・ケラーのようにできないの?」というメッセージを受け続けてきた筆者が、その感情を、序盤には怒りと少しの同情、最後には愛を伝える本でした。いずれも、深く、強い感情です。それらを手紙の形で(返信は返ってきませんが)本人に伝えていきます。
何か出来ないことがあれば「ヘレン・ケラーはこんな努力をして…」という言葉が投げかけられる世界。一方で、たとえ何かを達成したとしても「それを独力で達成したの?そうじゃないでしょ」「盲目の目や聞こえない耳の背後には知力などない」という目が乱暴に向けられる世界。私なら、全く耐えられる気がしません。筆者の経験から生まれる怒りは、「あなたはでっち上げであり、偽物であり、ペテンだったのではないですか?」という第1章での問いかけに繋がります。
11歳のときの盗作疑惑と学校内裁判、共同生活の中にみえるヘレン・ケラーの性生活、サリヴァン女史による会話歪曲、それらの事実を“Creative Nonfiction(創作的ノンフィクション)”の形式で丁寧に追っていき、少しずつ、怒りは愛情へと変わっていきます。自分が怒っているのはヘレン・ケラー本人ではなく彼女を神格化・モデル化すると同時に「盲人にこんなことができるはずがない」というステレオタイプが固着した周囲・環境であり、 ヘレン・ケラーもそれに対して怒りを感じていたはずだ、という確信を通じて。
果たして私たちは、手のひらに文字を書かれたときに「指が固く、敵意がある」と感じることができるだろうか。話す相手の吐息を鼻で感じることで、その人の体調や具合を知ることができるだろうか。それができる人を盲目的に称賛することも、「それがなんだ」と言って突き放すことも、ヘレン・ケラーや筆者のジョージナは軽蔑するだろう。
怒ろう。わかりやすい不正義だけではなく、不公正をもたらすあらゆる神話に。
あとがきで伊藤亜紗さんが書かれているように、怒りとは、希望へと続く扉を開ける力なのかもしれないから。
***2人目***
あまりにも有名なヘレン・ケラーだからこそ、彼女の人生がどんなものだったのか、だいたいのことは知っている気になっていて、彼女の人となりなど深いところまで考えたことがなかった。
この本を読むと、ヘレン・ケラーの生まれてから亡くなるまで、まるで本人が書いたかのように、彼女の人生の細部、周りとのやりとり、考えていたことなどを覗き見ることができる。
筆者が視覚障害の当時者であるからこその洞察も多く、そういった視点は自分では持てないのでとても興味深かった。
もちろん視覚と聴覚に障害がある人が誰でもヘレン・ケラーと同じことができるわけはなく、彼女自身が努力家で生まれついての頭の回転の良さや性格の素直さなどもあったからこそ成功できたのだと思った。
読み終わると、今までうわべしか知らなかったヘレン・ケラーが自分の友達みたいに思えてくる。周りの友達にもぜひ読んでもらいたい。
***3人目***
子どもの頃に読んだヘレン・ケラーの伝記。なんだかすごい(すごすぎて想像がうまくできなかった)困難を乗り越えた人、というお決まりの印象が残っただけでした。その後、大人になって司書になり、ロービジョンの方々に仕事で接するようになり、ある時ふと思い出したのが、ヘレン・ケラーでした。不自由で大変だっただろうけど、彼女だって常に偉人じゃなく日常生活を送る、ひとりの女性だったのでは?
そんな時に出会ったのが、ジョージナ・クリーグのこの本。ヘレンを、“偉人”という透明な箱に入れたままの私に最初に訪れたは、本当にすごいのは、”water”と声に出したヘレンではなく、サリヴァン先生の指導力だったという、視点の切り替わりが起きた時の衝撃でした。
これがきっかけで、ジョージナの、彼女の頭の中でヘレンを見つめる”目”と言葉を通して、私がヘレンにかぶせていた透明な箱が取り払われて、ヘレンというカラフルな女性が私の前に現れたのです。困難を乗り越えた奇跡の人、ではなく、私(私もまた、ダイエットや足の痛みといった小さな困難を抱える)よりずっと先の時代に生きたひとりの女性なのだという親近感。そして、深い愛を持って情熱的にヘレンへの手紙を書くジョージナにも、同じくらいの親近感を感じずにいられません。
ふたりとも、私とは住む国も環境も違うけれど、つながっている感覚が、読後もずっと残っています。私は、この感覚を誰かにつなげたい。まずは、職場の同僚から始めてみるかな…(職場の蔵書にも勧めなくては!)。
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