序章
ファッションを通して考える
思考すること、それは旅することである──ドゥルーズ&ガタリ[1]
1 ファッションを理論化する
現代ムスリムのアイデンティティを定義する上でのヴェールの役割、ファッション雑誌に登場する女性の表象、男性用下着の文化史、ファッションブログの勃興、モダニティの定義に関与するファッションショーとその起源、創造的な経済とアフリカン・ファッションのグローバルな流通……。これらは増大しつつあるファッション研究の論文が扱うトピックのほんの一例である[2]。これらすべてのテクストに共通するのは、ファッションの意味を理解すること、すなわちファッション、衣服、外見の社会的・文化的ダイナミクスをひもとき、理解し、そして分析することへの欲望である。実際、ファッションの領域はいまや社会理論や文化理論において主要な研究トピックとなっており、この複合的な分野を理解するために多くの分析がなされている。ファッションのさまざまなレイヤーへの啓発的な問いかけによって明らかにされてきたのは、消費と生産の実践からアイデンティティの政治学までの重要な社会的・文化的論点を考察する豊富なプラットフォームをファッションが提供することである。
あらゆる文化的なプロセスや体験を通して考えるのと同様に、ファッションを通して考えることは刺激的で挑戦的な訓練である。思想家たちは多くの場合ファッションについて書いているわけではないので、他の文化批評の領域とは異なり、ファッションではさまざまな理論や概念を批評的に扱う能力が重要となる。本書はファッションを通じた思考のプロセスに読者を連れ出すことを目的とする。このことは、社会理論や文化理論がファッション、衣服、物質文化の領域にどのように関係しているか、そして逆にそれらの領域が社会理論や文化理論にどのように関係しているかの双方を理解する手助けとなるだろう。それが可能となるのは、厳選された主要な思想家の著作へと読者を導き、鍵となる概念やアイディアを紹介し、場合によってはそれらが他の著作家たちによってどのようにファッションに適用されてきたかを論じ、このトピックについて考察するための他の方法を検討することによってである。
本書はファッションという語を広い意味で、つまり衣服や外見、スタイルといった意味で用いる。私たちはファッションを物質文化と象徴体系の双方の意味で理解している[3]。ファッションは消費財を生産・販売する商業的な産業であり、モダニティとポストモダニティのダイナミクスと結びついた社会゠文化的な力であり、そして実体を持たない意味体系である。このようにファッションは、個人的および集団的な行為者エージェントのみならず、生産、消費、流通、表象の実践を通じて融合するモノと記号からも作られる。ファッション研究は必然的に生産から消費まで、そして意味や記号作用の体系といった広大な領域をカバーするため、研究者はさまざまな分野の多様な方法論や理論を必要とする。このようにして衣服、外見、スタイルの研究は服飾史家や美術史家、そして美術館のキュレーターに支配されていた一方で、人類学や言語学、カルチュラル・スタディーズなどからの注目も浴びていた[4]。とりわけカルチュラル・スタディーズはファッション研究を社会的、文化的、経済的な分野に対する関心へと押し広げるのに有益であった[5]。カルチュラル・スタディーズは本質的に学際的であり、本書で論じられている理論家の多くから影響を受けている。「ファッション・スタディーズ」という用語はしだいに、歴史学(服飾史を含む)、哲学、社会学、人類学からカルチュラル・スタディーズや女性学、メディア・スタディーズまでのさまざまな学問分野を横断する研究領域に及ぶ、より広い意味でのファッション研究を参照するようになった[6]。それは多様な方法論──ファッションの物質性に着目するオブジェクトベースのアプローチから、グローバリゼーションやポストコロニアリズム、あるいは創造的な産業としての重要な役割といった、無形のダイナミクスや基盤への関心まで──を集めてきた[7]。
ファッション・スタディーズは定義上、学際的な領域である。ファッション・スタディーズの研究者は、たとえば美術史や人類学といった特定の分野を専門としていたとしても、つねに隣接分野にも通じているか、少なくとも目配せをしておく必要がある。本書はファッションを通して考える際に想定されるさまざまなバックグラウンドへと学生や研究者を向かわせるのに役立つ。研究者がファッションのある特定の側面に──たとえば消費よりも生産に、物質的な衣服の損傷よりもメディアにおける表象などに──着目するとき、その研究を効果的に行い、結果を分析するためには適切な方法論や理論を選ばなければならない。ファッションの文脈における重要な理論家を評価的に紹介することで、本書は読者が関連する理論家にアクセスしやすい概観を提供する。それによって、彼らがより深く、批評的に「ファッションを通して考える」ための手助けが可能となる。
本書の基礎をなす前提は、ファッションを通して考えるためのかけがえのない道具を理論家が与えてくれること、そしてファッションを理解し、分析するためにはそれらの理論が必要不可欠だということである。『コリンズ社会学事典(Collins Dictionary of Sociology)』でデイヴィッド・ジャリーとジュリア・ジャリーは理論を「ある種の現象や経験的現実の領域を説明するために提示された、論理的あるいは数学的議論に結びつく仮説や命題の設定」[8]と定義している。ファッションを理論化することは、その論理と現れの理解を進める命題と議論を展開することを意味する。理論が目指すのは、表象、生産、消費というファッションの生成にまつわる多くの実践の解説である[9]。
概念的なレベルの理論は、現実の世界から乖離した抽象的なものであるという非難にさらされてきた。しかしながら、イーグルトンが述べるように、「理論の真のむずかしさが出てくるのはこの種の知的洗練ではなくて、まさにその正反対のものからである。つまり理論がむずかしいのは、自然なものに見えるものを却下し、善意の大人から出されるずるい答えでごまかされるのを拒むことによって私たちが幼年期に戻ることをそれが要求するからである」[10]。換言すれば、ファッションの研究者と学生は先入観や偏見を自身の心から取り除き、ファッションという領域を新鮮な目で見る必要がある。それこそが、ファッションのダイナミクスをより理解するのに理論が役立つ理由である。私たちは理論によって、多くの現れを当然のことだと思いこむことなく、その現れの明白さや自然さを疑問視し、複雑なレイヤーを完全に理解するのに必要な批評的距離を獲得する方法を手にすることができる。たとえばジョアン・エントウィスルはブリュノ・ラトゥールについての章で、ラトゥールの「アクター(行為者)」という概念がファッションの生成における非人間の役割を再考する手助けをしてくれることを示している。ミハイル・バフチンについてのフランチェスカ・グラナータの議論では、グロテスクという概念が、慣習から逸脱するようなデザイナーたちの作品を理解する助けとなる。アニェス・ロカモラの議論では、ピエール・ブルデューの「場」の概念を援用することで、創造性が集団的なプロセスであることを私たちに気づかせてくれる。つまり、ファッションのコレクションは、社会から乖離した孤独な個人の精神から生じるのではなく、さまざまな社会的、経済的、文化的諸力の産物なのである。ピーター・マックニールは、二元論に基づいた日常生活についてのゲオルク・ジンメルの理論がファッションの論理を理解するのに役立つと論じる。つまり、人は他の誰かのようでありたいという欲望と、他の誰かと違っていたいという欲望に同時に突き動かされていると言える。言い換えるならば、ファッションは同一化であると同時に差異化でもあるのだ。
理論はまた、ある主題の分析と解釈における概念への細心の注意やその運用能力とも関わる。チャールズ・ライト・ミルズが指摘するように、「「理論」とは、なにより、用いている諸々の単語、特にその一般性や、相互の論理的関係にしっかり注意を払うためのものである」[11]。事実、「専門用語」[12]は理論の実践に巻き込まれるものである。これらは、ある理論的枠組みが属し、そして関与する分野の専門用語である。本書が焦点をあわせるのは社会理論や文化理論であるが、それは、社会科学や人文学──史学、哲学、社会学、人類学、カルチュラル・スタディーズやメディア・スタディーズなど──の思想家の著作を特徴づけるものである。
原註
[1] Gilles Deleuze and Félix Guattari, A Thousand Plateaus: Capitalism and Schizophrenia, B. Massumi (trans.), Minneapolis, University of Minnesota Press, 1987 [1980], p. 482.(『千のプラトー──資本主義と分裂症』宇野邦一・小沢秋広・田中敏彦・豊崎光一・宮林寛・守中高明訳、河出書房新社、一九九四年、五三八頁。)
[2] たとえば以下の文献を参照。Reina Lewis, Modest Fashion: Styling Bodies, Mediating Faith, London, I.B. Tauris, 2013. Shaun Cole, The Story of Men’s Underwear, New York, Parkstone, 2009. Agnès Rocamora, ‘Hypertextuality and Remediation in the Fashion Media: The Case of Fashion Blogs’ in Journalism Pratice, 2012. pp. 92–106. Caroline Evans, The Mechanical Smile: Modernism and the First Fashion Shows in France and America, 1900–1929, London, Yale University Press, 2013. Leslie W. Rabine, The Global Circulation of African Fashion, Oxford, Berg, 2002.
[3] Yuniya Kawamura, Fashion-ology: An Introduction to Fashion Studies, New York, Berg, 2005.
[4] Barbara Burman and Carole Turbin (eds.), Material Strategies: Dress and Gender in Historical Perspective, Oxford, Blackwell, 2003. Emanuela Mora, Agnès Rocamora and Paolo Volonté, ‘The Internationalization of Fashion Studies: Rethinking the Peer-reviewing Process’ in International Journal of Fashion Studies, 1 (1), 2014, pp. 3–17.
[5] Christopher Breward, The Culture of Fashion, Manchester, Manchester University Press, 1995.
[6] Emanuela Mora et al., op. cit .
[7] グローバリゼーションについては次を参照。Margaret Maynard, Dress and Globalisation, Manchester, Manchester University Press, 2004. ポストコロニアリズムについては次を参照。Hildi Hendrickson (ed.), Clothing and Difference: Embodied Identities in Colonial and Post-colonial Africa, London, Duke University Press, 1996. ファッションと創造的産業については以下を参照。Norma Rantisi, ‘The Designer in the City and the City in the Designer’ in D. Power and A.J. Scott (eds.), Cultural Industries and the Production of Culture, New York, Routledge, 2004. Walter Santagata, ‘Creativity, Fashion and Market Behavior’ in D. Power and A.J. Scott (eds.), Cultural Industries and the Production of Culture, New York, Routledge, 2004.
[8] David Jary and Julia Jary, Collins Dictionary of Sociology, Glasgow, Harper Collins, 1995, p. 686.
[9] Raymond Williams, Keywords, London, Fontana, 1983. (『完訳 キーワード辞典』椎名美智・武田ちあき・越智博美・松井優子訳、平凡社、二〇〇二年。)
[10] Terry Eagleton, The Significance of Theory, Oxford, Blackwell, 1990, pp. 34–35.(『理論の意味作用』山形和美訳、法政大学出版局、一九九七年、五七頁。』
[11] C. Wright Mills, The Sociological Imagination, Oxford, Oxford University Press, 2000 [1959], p. 120.(『社会学的想像力』伊奈正人・中村好孝訳、筑摩書房、二〇一七年、二〇八頁。)
[12] Matt Hills, How to do Things with Cultural Theory, London, Bloomsbury, 2005, p. 40.
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