日本語版への前書き
本書の大部分は、2010年に書き下ろしたものである。2000年から2010年の間は、世界に大きな意味をもたらす政治的出来事が起こった時期であり、その影響はアートワールドにも及んだ。2000年には、米国で不況が始まり、ITバブルがはじけた。2001年の秋、9 ・11の同時多発テロとともに、私たちの多くにとってまったく新しい世界(brave new world)が現れた。私は、この暗い時期に書いたエッセイ(「アメリカのベルリンの壁」)の中で、もはや唯我論は創造的なコミュニティを形成していく選択肢の一つではないと主張した。続く2003年春のイラク侵攻は、ブッシュ政権によるきわめて不条理な行動にみえ、同時代の芸術はこの新しい世界の現実に無関心でいるわけにはいかないという、私の信念を再確認させてくれた。9 ・11が起こった週にニューヨークのチェルシー地区のギャラリーでのオープニングに出席したときのことを思い出す。そこでは、ほんどの人たちがアートを理解のためのツールではなく、一時しのぎの逃避と見ていた。
その前の数年間、私は、かつてニコラ・ブリオーが「関係性の美学」と名づけたことの貢献について疑問を感じていた。私の考えでは、美術館やギャラリーのコンテクストの中で参加型体験をつくりだすというアイディアは魅力的だが、それは多くの疑問をはぐらかしていた。たとえば、どのような種類の参加型インタラクションが提案されているのか、そういったインタラクションは美術館やギャラリーを超えた領域とどのような関わりをもつのだろうか。もし、アーティストが市民とエンゲイジしよう(深く関わろう)と決断するなら、そのエンゲイジの誓約は、境界線を押し広げ、参加者の心にできる限り深い影響を与えることをめざすべきだと私には思える。美術館のエデュケーターとして、私はつねに、参加者グループの参加の質とレベルに関して、より高い基準を定めることができるのではないかと感じていた。
このことを念頭に、私は2003年に、アラスカのアンカレッジから南米南端のティエラ・デル・フエゴまで、陸路で〝ノマデッィク・シンクタンク〞が旅する《ザ・スクール・オブ・パンアメリカン・アンレスト》というプロジェクトを立ち上げた。そのプロジェクトは、車に積んだ組み立て式の校舎型の小屋を使って、というより、むしろそれをシンボルとしており、私は、訪れたさまざまな都市で、プログラムやディスカッションやパフォーマンスを行った。旅は四ヵ月に及び、その実施プロセスで、私はパーティシパトリー(参加型)アート、教育、そして芸術全般についての自分の考え方すべてを見直すことを強いられた。
その後、2007年頃から、私は米国で「ソーシャル・プラクティス」学科を設けることに関心をもつ大学で客員講師をするようになった。その最初は、アーティスト、テッド・パーブスによるカリフォルニア州バークレーのCCA(カリフォルニア・カレッジ・オブ・ジ・アーツ)のプログラムだった。最初の数年、ソーシャル・プラクティスの指導と学習は、大きな意気込みに満ちていたが、出だしの失敗も数多くあったと言ってさしつかえないだろう。私たちにはまだ、「ソーシャル・プラクティス」を適切に定義する方法が見当たらなかった。そしてそのことが非常にリベラルな解釈につながった。誰かと一緒に公園を散歩することも、革命を起こすこともソーシャル・プラクティスと考えられよう。しかし、どちらの場合も、いかにその行動がアートの実践とみなされるのか、あるいはみなすべきなのか、もしそうなら、そのジェスチャーにどんな象徴的あるいは政治的意味が付加されているのかについて、実際に関わったり、考えることへの関心が欠如していた。私の経験から言うと、ソーシャル・プラクティスの初期段階では、さまざまな体験を人々と共に引き起そうとする高揚感が、貧弱なプランニング、お粗末な考え方、コミュニティのニーズや関心を誠実に聞く経験不足のために、たいてい壁にぶつかってしまうという問題があった。アルゼンチンから帰国後、私はソーシャリー・エンゲイジド・アートのプロジェクトを継続しながら、ある種の誤認や間違った前提、参加についての単純な理解が、一定のパターンに従っていることに気づいた。最悪のケースでは、そういったプロジェクトが、巧みに操作する戦略、つまり私たちがよく使う言葉でいうと、「コミュニティを媒体に使う」結果になってしまっていた。
この学科の講師を頼まれたときの私の関心事は、こういった問題に学生の注意を向けることだった。同様に、このテーマについて本を書くアイディアが浮かんだ。最初、私は、その本をソーシャリー・エンゲイジド・アートのいくつかの点を批評的に見るものにしたかったのだが、育ち始めたばかりのこのプラクティスについて本質的にネガティブな著作にしたくはなかった。そこで、ハンドブック(手引き書)として書くことを思いつき、すぐに着手した。教育者の目で見ると、社会的相互行為(ソーシャル・インタラクション)のさまざまな構成要素はどのように解き明かされるか──それを客観的な方法で記述すれば、新進のアーティストや、この種の仕事をすることに関心をもつ人にとって、役に立つツールになるだろうと思ったからだった。本書にはこの仕事を遠回しに批判する側面があるかもしれないが、それはソーシャリー・エンゲイジド・アートのプロジェクトが主張していることと実際に行っていることの関係に注目する、私なりの見方によるものだ。私にとって、この方法は、今日ソーシャリー・エンゲイジド・アートによって提起される複雑な倫理的ジレンマを避けるためにも必要だった。今でもまだ私は、倫理についての議論は別問題であり、それは必然的にソーシャル・プラクティスの政治学についての議論につながると考えている。
ソーシャリー・エンゲイジド・アートは、世界とエンゲイジして世界をよりよく変えたいと思うアーティストによって考案されたプラクティスであり、今日私たちが直面する最大の課題の一つは、このプラクティスと社会正義(ソーシャル・ジャスティス)の関係を理解することである。このことは、また別の機会に議論したいと思う。しかし、さしあたって私は、本書で提示した事例や定義が読者に役立ち、また、自分たちの仕事が社会に対して力強く前向きなインパクトをもつことを思い描く若い世代のアーティストたちに、知識と情報を与える助けになればと願っている。
パブロ・エルゲラ
ニューヨークにて、2014年12月
(この続きは本編でお楽しみ下さい)
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