はじめに
この本は武器だ。人種や遺伝子や祖先という問題に取り組むために必要な科学的ツールをあなたに与えるために書かれた。つまり、事実と迷信を区別し、私たち人間がどれだけ似通っているか、どれだけ違っているかを理解するのに役立つツールキットである。
人間の物語はアフリカで始まった。私たち現生人類──ホモ・サピエンス──の最古の仲間は、約30万年前に現在の北アフリカ、モロッコで進化したが、最古の遺跡はアフリカ東部で見つかっている。その結果私たちの祖先はアフリカ全域に生息する種だった、つまり広大な大陸各地に生息する多種多様な集団だった、と考えられるようになっている。現在わかっているのは、初期の人類の一部は最後の25万年でアジアとヨーロッパに移住したものの、アフリカを出たあとは彼らの支配は長続きせず、子孫はおそらくもう残っていない、ということだ。そして、約七万年前に別の集団がアフリカを出て、世界各地に根を下ろし始めた。私たち人類が世界的な成功を収めたのは、多くの場合、地球の多様な生態系で生き残るため、移住先の環境に最もよく適応できるよう、進化によって微調整された結果だった。放浪者、狩猟者、農耕者、社会的な生きものといった私たちの典型的な性質は、過去数千年で地球が狭くなって、世界中の人びとが出会い、交易し、交配し、戦い、征服し、そのほか多くのことを行ってきたことを意味している。こうした交流のなかで、私たちは自分と違う人びとと関わりを持つ。これらの違いは生物学やDNA、それに衣服や発話や宗教や興味といった社会的動物である人間の振る舞いに根ざしている。権力と富を追求するなかで、こうした違いへの執着は人間の短い歴史で最も残酷な出来事を引き起こしてきた。
そうした政治的な風潮はこの数年で変化してきた。世界各地でナショナリズムが台頭し、公の場で差別を想起させる意味での人種というものが数十年ぶりに強く意識されるようになっている。本書が2020年2月に発売されて数週間から数カ月後、全米各地の都市で抗議デモが暴動に発展し衝撃が走った。何十万人もが行進し、抗議し、暴徒化した。きっかけはミネアポリスでジョージ・フロイドが警官に殺害されたことだった。これらは人種暴動だった。2016年にノースカロライナ州シャーロットでキース・ラモント・スコットという非武装の黒人男性が、あるいは2014年にミズーリ州ファーガソンで非武装のティーンエイジャー、マイケル・ブラウンが、2015年にメリーランド州ボルティモアでフレディ・グレイが、2001年にシンシナティでティモシー・トーマスが警察に殺されたときと同じだ。1992年にロドニー・キングがロサンゼルス市警の警官四人に暴行され、1980年に警官四人が信号無視を理由にアーサー・マクダフィーを殴り殺したあとも、全米各地で人種暴動が起きた。どの事件でも警察側は無罪もしくは刑事罰を科されなかった。これらは人種暴動だった──1968年のマーティン・ルーサー・キング牧師暗殺を受けて、全米の都市で巻き起こったのと同じように。
ある意味、状況は何も変わっていない。アメリカではいまだに人種差別が続き、常態化した偏見に耐えている黒人──およびそれ以外の非白人のアメリカ人──の日々の葛藤は、2020年5月、それ以前にもたびたび起きたように、民衆の抗議と暴力に変わった。だが現在は、20世紀の人種差別をめぐる暴力とは違い、技術の進歩によって派閥が生まれ、ソーシャル・メディアではぐくまれているようである。「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」運動はハッシュタグから始まった。2013年、その一年半前にトレイボン・マーティンを射殺した男が無罪になったのを機に始まり、やがて世界的な運動に発展した──BLMが掲げる目標は、白人至上主義を打破し、黒人に対する暴力行為に反撃することだ。
ロドニー・キングが暴行される様子は録画され──離れた場所から8ミリカメラで撮影したもので画像はぶれてはいるが──その後の出来事の前兆となった。ジョージ・フロイドの死は複数のカメラに収められた。警官のひざが九分間近く彼ののどを押さえつけている様子が映っている。その動画は数時間で世界中に配信され、フロイドの「息ができない」という言葉は、2014年にニューヨークのスタテンアイランドで警官に押さえつけられて窒息死したエリック・ガーナーが死の間際に発したのとまったく同じだった。こうしてBLMというスローガンは再び世界中で抗議デモに使われるようになった。デモ隊と警察の行動は今も混沌とした乱闘のなかで記録され続け、誰でも見ることができる。抗議デモ、略奪、警察による蛮行。奴隷制に続く人種差別という土台の上に築かれた国の分裂が、かつてないほどさらけ出されている。まるで神経がむき出しになるかのように。その「革命」はテレビ放映されるのではなく、リアルタイムでストリーム配信された。
抗議デモは現代社会の組織的・構造的な人種差別を象徴している。それは単に黒人に対する警察の暴力行為から生じたのではない。主流になっている白人至上主義者たちの意見からでもない。構造的な人種差別は日常的に行われ、その原因もまた日常的なものだ。差別される側の実体験に対する無関心に根ざしているのだ。
人種をめぐる固定観念や迷信は構造的人種差別の土台であり、欧米文化に浸透してきたが、そのなかにはこれから本書で分析する疑似科学も混じっている。警察の暴力行為にも、それが招いた抗議と暴動にも、人種差別がむき出しになっているが、これらの出来事のもとになっている誤解と悪意に満ちた見方は広く深く根付いていてなかなか消えない。時代遅れな人種分類は生物学に根ざしているという主張を支持しているのは、現代のテクノロジーによって意見が増幅される、明らかな人種差別主義者だけではない。悪気はなくとも本人の経験や文化的な歴史のせいで現代の人類遺伝学が裏付けていない見解のほうへ向かう人びともいる。スポーツでの成功をトレーニングではなく祖先のおかげだとする誤った考え、東アジア系の学生は生まれつき数学が得意だという根強い思い込み、黒人は先天的にリズム感がいいという偏見や、ユダヤ人は金儲けがうまいという見方などだ。私たちはこういう考え方をする人間を誰かしら知っている。本書では、こうした考えを精査し、人間の本当の類似点と相違点を科学的に説明する。そしてそれが、一見科学に基づいているかのような人種差別に対抗する根拠となる。本書では、私たちが固定観念や思い込みに固執して失敗しがちな四つの重要な分野に焦点を当てる。肌の色、純血性、スポーツと知能といったテーマについて、現代科学によって知りえることと知りえないことを概説していく。
何かを主張するほうがそれに反駁するよりも得てして簡単だが、人種差別がより公然と表現されるようになるなかで、頑迷な偏見が科学を味方だと主張する場合はなおさら、事実と微妙な差異をもってそれに対抗しなければならない。一部の科学者は人種の問題に関して、自分たちの研究に基づいて意見を表明するのが苦手らしい。それでも、人類遺伝学という人間の多様性の大海原を研究する以上は、人種について語らざるをえない。
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