ためし読み

『ギレルモ・デル・トロ モンスターと結ばれた男』

最新作『ナイトメア・アリー』『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』に至るまでの、デル・トロの人生と(未完の映画を含む)全ての作品を解き明かす決定的評伝『ギレルモ・デル・トロ モンスターと結ばれた男』
本書では、彼の生い立ちから現在に至るまでの軌跡を網羅的に紹介。監督作の制作背景やテーマ、俳優やスタッフとの協働の様子がまとめられており、デル・トロ本人の発言から影響を受けた作品や制作秘話も楽しむことができる1冊です。
今回のためし読みでは、著者イアン・ネイサンによる「イントロダクション」を公開いたします。

イントロダクション

monster 名詞
1 a:元来は、人間と他の動物の外見を合わせ持つ、あるいは動物の要素が2つ以上組み合わさった神話上の生き物。大型で、獰猛な外見を持つ場合が多い。やがて、大きくて醜悪な想像上の恐ろしい生き物を指すのがより一般的になる。
   b:かつては、派生的、もしくは比喩的に、faultless monster、monster of perfection〔どちらも「完全無欠のモンスター」の意〕といった連語コロケーションの形で、驚くべき、並外れた優秀さを示すのに使われていた。
2   :[廃]異常、または奇怪な何か。信じられないような出来事や事件。神童。驚異。
また、物事の並外れた例。1

──メリアム=ウェブスター・ディクショナリーより

 素晴らしきフィルムメーカー、ギレルモ・デル・トロの人生や作品を総括する術は数多ある。されど、基本的に彼は、フー・マンチュー博士──イギリス人作家サックス・ローマーの小説シリーズに登場する怪人──が企んだ数々の巧妙な罠のうち、何が自分のお気に入りかをさらりと挙げることができるようなアーティストなのだ。因みに、ローマーがハンガリー出身の奇術師ハリー・フーディーニの親しい友人だったことまで、デル・トロは付け加える。一方、フー・マンチューは中国人で、犯罪の首謀者。植物の蔓よろしく、へそまで届く長さの口髭を生やしているという。
 そして、デル・トロお気に入りの罠とは、次のような内容だ。ドアの向こうにフー・マンチューの世にも恐ろしい装置があると知った善玉たちは、リボルバーを構え、勇気を振り絞って隣室に足を踏み入れる。ところが、部屋は空っぽで、何ひとつない。すると突然、ひとりの口にキノコが生え、パッと傘を開いた。ひとり、またひとりと同じ現象が続き、とうとう全員の鼻、口、目からキノコが顔を出す。そう、室内は胞子に満ち満ちていたのだ!
「あのトラップがたまらなく好きでね」2と、デル・トロは明かしている。
 なるほど、デル・トロはフー・マンチューだ。空の部屋を使い、それを巧妙な罠に変える。つまり、思いがけないことを行う。物腰が柔らかで懐が広く、尽きることのない情熱を燃やし続けるこのメキシコ生まれの映画監督は、間違いなく魔術師だ。ホラー、おとぎ話、SF、ゴシック・ロマンス、ド派手なスーパーヒーロー、パペット、フィルムノワールといったものを魔術のように利用して、こちらのイマジネーションを罠に陥れようとし、我々はいつだって不意打ちを喰らう。

上:その瞳の奥にあるもの──淡い青色の目で世界を見上げるギレルモ・デル・トロには、魔法が見えている

 デル・トロとの初対面で、私たちは『パンズ・ラビリンス』(2006)について語り合った。彼の多彩なフィルモグラフィの中で、おそらく最高傑作と言ってもいい作品だろう。しかし、監督と同じように、私も『デビルズ・バックボーン』(2001)の亡霊を、彼の空想と感情の融合の象徴だと捉える日もあれば、『ヘルボーイ』(2004)の緋色のヒーローの世界にどっぷり浸かる以外何も切望しない日もある。
 私たちは、彼の滞在ホテルの図書室と呼ばれる場所で腰を下ろした。室内にあった堅表紙ハードカバーの古典文学、オーク材のパネル、ヴィクトリア朝風の燭台しょくだい、革製の肘掛け椅子、そして魔法の鏡のごとく磨かれたアンティークのテーブルが目を引く。
 ひょっとして、シャーロック・ホームズか、エドガー・アラン・ポー作品の探偵オーギュスト・デュパンがふらりとやってきて、デル・トロと握手してくれるのではないかと、私はどこかで期待していた。部屋は、彼のロサンゼルスの邸宅「荒涼館」の小さな別館といった趣だった。デル・トロが自宅を改造し、インスピレーションをもらった全ての品──彼のストーリーテリングに厚みと深みを与えた一般書物、映画、絵画、漫画、雑誌、さらには医学書といった蒐集物──の収納場所にしたその荒涼館には、フー・マンチュー博士シリーズも全巻揃っている。デル・トロは、監督した映画が生まれるきっかけになった作品などを明確にしており、そうした源泉は彼の誇りでもある。過去との対話を続け、巨大生物(や巨大ロボット)の肩の上に立つ。それが、デル・トロだ。
 彼に質問をするのは、滝に足を踏み入れるようなものだった。
 ためらいがちに訊ねた最初の問いで、時間が足りなくなってしまうのではないかと、私は不安に駆られた。彼の頭は膨大な知識の宝庫ゆえ話がどこに向かうかわからず、たちまち話題は、『パンズ・ラビリンス』の迷宮の番人である牧羊神パンの動きの複雑さからヒッチコックの隠れた名作(1969年の『トパーズ』や1976年の『ファミリー・プロット』)にまで及ぶ。あれもこれも聞いてほしいという熱意を帯びて、次から次へと考えが展開していき、彼はまるで自問自答しているかに思えた。
 己の作品を文脈化、神話化するという点で、唯一クエンティン・タランティーノがデル・トロに近い。どんなインタビューも、革表紙の壮大な伝記本の新たな一章かと思えるほどだ。
 デル・トロのアプローチは映画監督のそれだが、虚栄は微塵もない。学者や批評家に先駆け、彼は自身の映画を分析する。メキシコでの幼少期につながる様々な要素、あるいは特定の色彩設定で得られる心理効果を指摘したり、寓話的な家具──現実の家具であることも少なくない──の全てを挙げたりする。『パンズ・ラビリンス』で、病に伏す少女オフェリアの母親のベッドはどうして(パンの)角のモチーフがさり気なく刻まれているのか、といったことを語ってくれるのだ。

上:『パンズ・ラビリンス』のワンシーン。恐怖で凍りついたオフェリア(イヴァナ・バケロ)の視線の先には、衰弱した母親(アリアドナ・ヒル)の姿が──。その背後のベッドフレームには、牧羊神パンの角のモチーフが彫られている

 物の質感はとても重要だ。彼は精巧なセット、プロップ(小道具)、モンスターを人の手で形にする。CGI(コンピュータ生成画像)に頼るのは、手作りが不可能な場合のみ。
 とはいえデル・トロ本人は、(作品の)ダークさとは正反対。心が広く、情熱的で、センチメンタル(まさにラテンの血!)ですらある。彼は笑うのが大好きで、いたずらやジョークに目がない。馬鹿げたことならなんでも、とりわけハリウッド、そしてその界隈の連中が誇らしげに見せる馬鹿さ加減にケラケラと笑い声を上げる。ヘルボーイの簡潔な受け返しは、デル・トロそのものだ。
「身近で感じる恐怖ほど恐ろしいものはない」と、彼はかつて発言している3。彼の基準では、下水道の壁にどれだけ血しぶきが飛び散っていようが、どの映画も個人的なものなのだ。
 デル・トロが我が子同然に大切にしていたのに、未完のままで終わったプロジェクトがいくつか存在する。そしてハリウッドは、彼が何者なのかという謎の解読に少なからず苦しんでいる。アーティスト? スリルの探求者? あるいは血みどろ描写気狂いなのか、詩人なのか。答えは、「全て当てはまる」だ。彼が敬愛してやまない作家H・P・ラヴクラフトの小説『狂気の山脈にて』の映画化が頓挫して受けた傷は、一生癒えるまい。だとしても、銀幕に映し出せなかった映画の1作1作は、今もデル・トロの中で息づいている。『ミミック』(1997)や『ヘルボーイ』の3作目、監督できなかった『ホビット』のために闘って刻まれた傷痕は、後続作品の偉大なアイデアの青写真となっているのだ。
 デル・トロの生い立ちは、驚異に満ちている。メキシコ第2の都市グアダラハラ郊外の比較的裕福な家庭で、現実的な父、不思議な力を持つ母、熱心なキリスト教信者で怒りっぽい祖母のもと、彼はどのように成長したのか。あらゆる儀式に参加を強いられ、罪悪感を植えつけられつつ、今ひとつ敬虔けいけんさに欠けるカトリック教徒として成長。メキシコ人であることは、単に国籍というだけでなく、彼の大きな力となっている。制作した場所がどこであろうと、出資者が誰であろうと、生み出した作品は全て「メキシコ」映画だ。
 (好きなものに対する)ひたむきさと、神から授かったか、あるいは後天的に備わった才能があった彼は、まず大学で映画を学んだ。準備なしに映画の知識で対決しても、マーティン・スコセッシに引けを取らないほどの博識となった彼は、大学卒業後、テレビ業界──そこで(文字通り)モンスターを作りを始めた──へ進む。やがて、初の長編映画である現代版吸血鬼物語『クロノス』(1993)に着手。彼が監督した長編映画全12作には、それまでに手掛けた映画のエッセンスが注ぎ込まれ、デル・トロ特製のエキゾチック混成酒カクテルが作られているわけだが、本作がその最初の風味であった。
 精神分析の創始者ジークムント・フロイトとアメコミ界の巨匠スタン・リー、スペイン出身の映画監督ルイス・ブニュエルとゴジラ、イギリスの小説家シャーロット・ブロンテと悪魔サタン、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤとフー・マンチューを絡ませる者が他にいるだろうか。

上:『クリムゾン・ピーク』の雪に覆われたセットで誇らしげに佇むデル・トロ。メキシコが生んだこの偉大な映画監督による豪華なセットは、俳優たちと同じくらい多くを物語る

 あなたが手にしているのは、並外れた想像力の未知なる土地テラ・インコグニタへの賛美、手引書、索引、海図だ。そして、そこには確かにモンスターが存在する。映画1作ごと、美しい絵1点ごと、それぞれの世界の滝で身を浴する機会なのだ。
 アーティスト(映画監督というだけでなく、画家、造形師、小説家、巧みな言葉づかいで魅了する詩人、ビデオゲームデザイナーでもあることを忘れてはいけない)としてのデル・トロには、もうひとつの秘密がある。彼は極めて真面目なのだ。そして、彼が愛してやまないハンス・クリスチャン・アンデルセン、グリム兄弟、シャルル・ペローといった偉大な童話の綴り手同様、世の中のルーツを掘り下げていく。人間をここまで摩訶不思議にしているものは何なのか。なぜ最悪の怪物は常に人間なのか、と。
 彼はこう説明している。「人は自分が必要としている映画を作るのではない。自分を必要とする映画を作るんだ」4

1 The Merriam-Webster Dictionary, Merriam Webster, 2016〔未邦訳:『メリアム=ウェブスター・ディクショナリー』、2016年〕
2 Guillermo del Toro and Marc Scott Zicree, Guillermo del Toro, Cabinet of Curiosities : My Notebooks, Collections, and Other Obsessions, Titan Books, 2013〔邦訳:ギレルモ・デル・トロ、マーク・スコット・ジクリー(著)、阿部清美(訳)、『ギレルモ・デルトロ 創作ノート──驚異の部屋[普及版]』、DU BOOKS刊、2018年〕
3 Gilbert Cruz, 10 Questions for Guillermo del Toro, Time, 5 September 2011〔ギルバート・クルーズによるインタビュー「ギレルモ・デル・トロへの10の質問」、『タイム』、2011年9月5日〕
4 Nick Nunziata, Mark Cotta Vaz, and Guillermo del Toro, Guillermo del Toro’s Pans Labyrinth, Titan Books, 2016〔邦訳:ニック・ナンジアータ、マーク・コッタ・バズ、ギレルモ・デル・トロ(著)、阿部清美(監修)、富永晶子(訳)、『ギレルモ・デル・トロのパンズ・ラビリンス──異色のファンタジー映画の裏側』、DU BOOKS刊、2018年〕

(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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ギレルモ・デル・トロ

モンスターと結ばれた男

イアン・ネイサン=著
阿部清美=訳
発売日 : 2022年3月11日
3,000円+税
B5判変形・並製 | 240頁 | 978-4-8459-2116-4
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