ためし読み

『虚像培養芸術論 アートとテレビジョンの想像力』第10章 流通するイメージとメディアの中の風景──今野勉の映像表現

テレビジョン=「虚像」が想像力とされた時代の作家像、作品概念を、現代の視点で分析する『虚像培養芸術論 アートとテレビジョンの想像力』
本書では、東野芳明・磯崎新・今野勉の思考を軸にマスメディアの中の芸術家像を検証しながら、現代美術、現代思想、現代メディア論を縦横無尽に横断し、メディア芸術の歴史的な視座を編み直していきます。
今回のためし読みでは、「第10章 流通するイメージとメディアの中の風景──今野勉の映像表現」の冒頭部分を公開いたします。

第10章
流通するイメージとメディアの中の風景

──今野勉の映像表現

2分40秒間の事件

 これは《遠くへ行きたい》〈伊丹十三の遠い海へ来てしまった! 岩手海岸 文学の旅〉(読売テレビ、1972年6月18日放送)の冒頭のシーケンスから切り出したイメージです。この回のディレクターは今野勉、レポーターは伊丹十三。

伊丹 え〜と今回は、え〜となんだ。え〜岩手県の太平洋岸のですね……。えー、つまり陸中海岸と呼ばれている海岸の、北の方へ旅行しているわけです。それで実を言いますと、宮古というところから出発して、だんだん北の方へ来て、いまここは北山崎というところで、ここでいまもう、フィルムがなくなりかけているので、これを最後のカットにしようと、いま終わりのところから、この番組をはじめるわけなんですが……。え〜紹介しますと、いま4人の男、いや3人の男とひとりの女がのぼってきますが、いちばん前が助監督で、その次がカメラ助手で、それからイメージ・ガール、それからいちばん最後が監督なんですけれども。陸中海岸に関係して、その吉村昭さんという方の小説があるわけです。この小説に3人の少年が出てくるので……。コンちゃん、ちょっとその吉村さんの小説を説明してくれませんかね。
今野 (階段をあがってくる)はっ、えっ、はぁ〜(息切れ)
伊丹 あれはあれですねあの3人の少年が、東京の少年でしょう。ほんとは3人じゃないけど、もっとたくさんの人が、なんだっけ。
今野 東京にいるのが嫌になって、なんとなく冗談ぽくね、「死んじゃおうか」なんて言って、旅に出るわけ。それで、小説の中に地名は出てこないんだけどね。だいたい北の陸中がモデルじゃないかなっていう。それを、うーん、まあ、確かめに来ようっていうのがあれですよ。
伊丹 今回の旅で、あったわけだけれど。全部やっちゃったんだから、それでその中で3人の少年……。ちょっとウエマツ見えないなあ。ちょっと見えるとこへ来なさい。ええと、カメラ助手とそれから、助監督と、イメージ・ガールとですね、3人ちゃんと番組の中に出る権利を持っている人がいてですね、その主人公をやってもらうと。どうぞお通りください(通行人を通す)。えーと、ここにいるのが録音の人で、それからカメラマンはいま現在、ただひとり、働いているわけです。えーっとそれで説明終わりましたけれども。
今野 じゃぁ宮古から、はじめから、出発しましょう。
伊丹 じゃあまた、はじめに戻って出発することにしましょう。

 冒頭約2分40秒間の出来事は、ほとんどがノイズです。ノイズとはむろん画質のことではありません。出演者たちが発するノイズです。このノイズは、既成概念に彩られたテレビを、完膚無きまでにモニターの内側から亀裂で充たします。番組のディレクターである今野をはじめとするスタッフが、息を切らせて素のままで階段を駆け上がってくる姿は、スタッフとしての仕事をしていないがゆえに、あたかも罰ゲームのようであり、レポーターといっても番組の説明を放棄した伊丹が、今野に解説を促すという導入は、ゲストとホストの役割をさりげなく反転します。この反転は、旅番組が本来画面の裏側に抱え込む、スタッフの存在を自然に開示し、番組をつくり出す身体性を露出させていると言えるでしょう。同時に、本来は旅番組で流通すべき「1人旅」の擬装を解体してしまうのです。解体された旅番組は、今野に吉村昭の小説「星への旅」の足跡をたどる旅である番組の企てを説明させることで、旅番組を透視図として再構成しはじめます。集団自殺を主題とする小説の旅程をさぐるスタッフたちヽヽヽヽヽヽのドキュメンタリーであることが提示され、それゆえにスタッフを含む出演者は、〈遠い海へ来てしまった!〉ということで、むろん自殺が再現されるわけでなく、いわば《遠くへ行きたい》という旅番組の既成概念を解体する円環構造をみせています。この2分40秒は、テレビというメディアを脱構築してみせていると指摘することもできます。

 レポーターである伊丹は、ディレクターである今野に、「星への旅」という企画を説明させた後、この番組の主体を明らかにするわけですが、それは1人旅というよりは団体旅行で、制作者こそが出演者であるという意図をもって、「番組の中に出る権利を持っている人」たちと強調します。さらに伊丹は、偶然の通行人に「どうぞお通りください」と道を譲ることで、映画的あるいは記号論的な画面構成の成立を完璧に破壊し、構築的に擬装された状況から遠く離れた、既成概念としての表象を破った状況の演出を完成します。そもそも、通行人を止めることこそ、本来のスタッフ、裏方の仕事で、そんな彼らを主人公として紹介しながら、通行人もスタッフもレポーターもディレクターも並列化されていくのです。

 「撮る」と「撮られる」、「見る」と「見られる」、「演出」と「出演」といったことがらが、ひとつずつ崩されていく2分40秒間は、1970年前後からはじまる映像を用いたマス・メディア vs マイナー・メディア──具体的には、クローズド・サーキット・テレビのような監視システムを用いたビデオ・コミュニケーションのような抵抗文化カウンターカルチヤー──というような2項対立的ヘゲモニー争いを超えて、番組それ自体が撮影現場から内破しているのです。モニターを介して、自然な放送によって、テレビの内と外の関係をもバリア・フリーにする2分40秒間。これほどまでに自由な風景は、メディアの中でも類例を見ないと思います。〈遠い海へ来てしまった!〉は、マス・メディア史に銘記されるべき事件といっても過言ではないのです*1


1──今野によれば、〈遠い海へ来てしまった!〉は、自覚的にスタッフたちで出演した最初だったのではないかと回想している(2012年6月29日に行った筆者によるインタビューに基づく)。私が調べられた範囲で正確を期しておくと、〈遠い海へ来てしまった!〉の放送は、1972年6月18日。これに先立って、1971年9月12日放送の〈伊丹十三のゲイジツ写真大撮影 白樺湖ヘロヘロの巻〉、1971年11月7日放送の〈信長に捧げるポップスコンサート〉の中にも、今野たちスタッフはすでに画面に映り込み、番組の枠組みに揺さぶりをかけはじめている。たしかに今野自身が述べているように、明らかに出演者として登場してくるのは、〈遠い海へ来てしまった!〉が初めてだったようである。

(この続きは、本編でお楽しみ下さい)

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虚像培養芸術論

アートとテレビジョンの想像力

松井茂=著
発売日 : 2021年3月24日
3,500+税
四六判・上製 | 312頁 | 978-4-8459-2030-3
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